著者
数馬 広二
出版者
工学院大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2008

本研究は、「江戸時代関東農村における剣術流派の存在形態に関する基礎的な研究」である。17世紀初頭に関東(上野国(こうづけ)・下総国(しもうさ)・上総国(かずさ)・安房国(あわ)・常陸国(ひたち)・相模国(さがみ)・下野国(しもつけ)・武蔵国(むさし))に存在した剣術流派は、江戸時代、帰農した中世武士によって農村で武芸が伝承された、と考えられている。この仮説において、(1)馬庭念流(まにわねんりゅう)(群馬県)(2)新当流(しんとうりゅう)(茨城県)(3)新影流(しんかげりゅう)(群馬県)(4)外他流(とだりゅう)(千葉県)をとりあげ、分布と内容を明らかにすることを目的とし、以下の点が判明した。1.上野国で馬庭念流を中興した友松氏宗(ともまつうじむね) (偽庵(ぎあん))は彦根藩で「未来記念流」を指導した。友松の弟子、永居新五左衞門が、柳生新陰流(やぎゅうしんかげりゅう)と未来記念流(みらいきねんりゅう)の2流を併せた「江武知明流正法兵法」を創始しているので、友松が念流(ねんりゅう)を彦根藩と上州農村へそれぞれ伝えた。技法においても「犬之巻」「象之巻」「虎之巻」などの内容が両者で共通する。2.下総国、常陸国に興った新当流、神道流は16世紀に関東の上野国農村にも普及していた。今回調査した新当流文書は岐阜県大垣市立図書館・桜井家文書、山口県防府市毛利博物館蔵文書であった。3.常陸国の新当流の真壁氏幹(まかべうじも)と(暗夜軒(あんやけん)・1550-1622)は真壁(まかべ)城の城主であったとともに鹿島神宮(かしまじんぐう)の「鹿島大使」役を務めた。このことから関東農村のみならず関西方面へも鹿島信仰を弘めることも視野に入れ、新当流を普及したことが考えられる。4.上総国安房国に普及した外他流は、伊藤一刀斎が(いとういっとうさい)、1580年(天正8)頃、外他(とだ)一刀斎景久(かげひさ)と名乗り、南総里見家家臣の宇部壱岐守弘政(うべいきかみひろまさ)、石田新兵衛(いしだしんべえ)、御子神助四郎(みこがみすけしろう)、古藤田勘解由(ことうだかげゆ)などへ指南した。その内容を文書にみると、「五点」「殺人刀(せつにんとう)、活人剣(かつにんけん)」「卍(まんじ)」など、一刀流との共通術語が確認される。また、神前儀式や神饌などが記されていた点できわめて中世的な兵法を表していた。また武器絵図には、里見家の水軍が水上戦で用いた武器(熊手、長刀、突く棒、さす又など)も描かれている。5.近江国堅田(おうみかただ)(滋賀県大津市堅田)は、外他流を創始した伊藤一刀齋の出身地という説がある。その堅田で居初(いそめ)家は1100年続く琵琶湖船頭頭の家。ここで外他流の祖流、冨田流文書(寛永年間)が所蔵されており、堅田水軍と伊藤一刀斎そして関東の里見(さとみ)水軍への伝播へ結びつく可能性もでてきた。6.幕末期上総国・下総国・安房国など現在の千葉県農村で普及した不二心流(ふじしんりゅう)開祖・中村一心斎(なかむらいっしんさい)(中村八平)の江戸における動向を伺うことができた。すなわち、関東における農村と江戸の剣術流派をつなげたのは江戸で活動していた剣術家たちであった。7.江戸幕末期、関東農村にもひろがった、「しない打ち込み試合稽古法」導入の理由の一つとして、外国船の着船によることが、弘前(ひろさき)藩文書(文久2年「御自筆の写」)に読み取ることができた。

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@inuchochin 科研費研究の「江戸時代関東農村における剣術流派の存在形態に関する基礎的研究」を思い出しました。 https://t.co/dkOQGsBCUC

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