- 著者
-
平川 和
Hirakawa Nodoka
- 出版者
- 三重大学教養教育院
- 雑誌
- 三重大学教養教育院研究紀要 = Bulletin of the College of Liberal Arts and Sciences, Mie University
- 巻号頁・発行日
- no.4, pp.43-52, 2019
\n2017年に逝去したデニス・ジョンソンは、小説家の他に、詩人・戯曲家・ジャーナリストなど多様な肩書きを持つ作家であった。短編集『ジーザス・サン』(1992)でカルト的人気を博し、長編小説『煙の樹』(2007)で全米図書賞をしたことで現代アメリカ作家として盤石の地位を築いたと言えよう。一方で、上記2作品以外には、それほどジョンソン作品の研究が進んでいないのが現状である。本稿では、ジョンソンが生前に発表した最後の長編小説『笑う怪物たち』(2014)に焦点を当て、彼のジャーナリストとしての横顔にも着目しつつ、作品のメタフィクショナルな読解を試みる。『笑う怪物たち』はアフリカを舞台にしたスパイ小説である。しかし、主人公のネアはスパイとしてはあまりにも無能で、何ひとつ任務を果たすことはない。ならば、『笑う怪物たち』は反スパイ小説なのだろうか。いや、この小説が極めてスパイ的性質を帯びるのは、物語内容においてではなく、むしろメタフィクショナルな次元においてである。この小説では、現実を偽るスパイの偽装工作を、虚構を生み出す作家の創作行為に重ね合わせて読むことができる。また、語り手ネアの語りが途中から「日記調」に変化することで、この物語が「書かれたもの」であるという意識が先鋭化する。さらに、とりとめのない内容を記述したネアの日記には、アフリカの暗部を伝えるジャーナリズム的な筆致も見られる。journal という単語が「日記」と「新聞」の両方の意味を持つことを鑑みれば、ネアの書く文章を「日記に偽装した新聞」として読み替えることが可能だろう。『笑う怪物たち』は、小説そのものが偽装するというメタ的なスパイ・パフォーマンスをしているのである。