著者
中村 三春
出版者
北海道大学文学研究院
雑誌
北海道大学文学研究院紀要 (ISSN:24349771)
巻号頁・発行日
vol.160, pp.27-55, 2020-03-31

詩が作者の自己表現であるとする意識は、現在でも一般的なものだろう。しかし、少なくとも現代詩においてそれは成り立たない。詩は虚構であり、あるいは詩は虚構を含み、必ずしも自己を表現するものではない。しかし、そうであるとすれば、情を抒べるという意味の「抒情」が詩の根幹をなすと考えてきた常識はどのように変更されなけれ ばならないのだろうか。 第一詩集『二十億光年の孤独』(一九五二・六、東京創元社)以来、七〇年近くに亙って膨大な数の作品を発表し続けている谷川俊太郎の詩的様式を理解することは容易ではない。ここでは、一九七〇年代中盤から八〇年代半ばまでの幾つかの詩集に現れた谷川のスタイルを〈流用アート〉と関連づけてみた前稿を踏まえて、初期から特に一九九〇 年代から二〇〇〇年代以降の作品をも視野に入れつつ、改めて現代芸術としての谷川のテクスト様式を考え直してみたい。