著者
山内 昌斗
出版者
国際ビジネス研究学会
雑誌
国際ビジネス研究学会年報 (ISSN:13480464)
巻号頁・発行日
no.14, pp.85-97, 2008-09-30
参考文献数
24

本研究の目的は、外国資本企業の対日投資と現地経営の実態を明らかにすることにある。本稿では特に、ダンロップ社の事例を取り上げ、経営史的な視点からの分析を試みている。同社の現地経営の実態をより鮮明にするために、本国本社との関係をはじめ、被進出市場における競合企業との関係、現地の政財界との関係も視野に入れ、分析を試みている。本稿ではまず、ダンロップ社の成立と発展を概観し、同社のもつ所有優位や海外展開の特徴を確認した。そのなかで、同社の初期の海外進出が、輸出にはじまり、次にライセンシング、そして現地市場の成長をみながら徐々に直接投資へと移行したことが明らかになった。参入様式を転換した理由は各国ごとに様々であるが、一貫してこのプロセスをたどっていた。次に、日本市場におけるライセンシングの開始と、その後の対日投資に至るまでのプロセスを概観した。同社による日本市場でのライセンシングに、現地の政財界からの要請があったことが明らかになった。初期にはダンロップ社は技術的な優位性を保つことで、出資を伴わないコントロールを実現していた。ダンロップ社の対日投資は1921年以降本格化することになる。また、1920年代には輸入タイヤとの熾烈な競争が繰り広げられるが、ダンロップ社はこれを制し、独占的な地位を築くことに成功している。しかし、1930年代になると、国内における競合企業の出現により、市場を奪われ始めた。このようななか、同社の現地経営にとって大きな痛手となったものがカントリーリスクへの対応のミスであった。日本国内においてナショナリズムが台頭すると、外国資本企業は不利な立場へ置かれた。各社とも様々な対策をとるが、ダンロップ社はその対応に失敗した。結局、ダンロップ社は戦時中に他社の追随を許し、主導的な立場を失ってしまう。戦後、ダンロップ社は経営の現地化を進め、日本子会社の立て直しを図るが、本国本社の経営低迷などにより、上手くはいかなかった。最終的にダンロップ社は住友ゴムに経営権を譲り、日本市場から撤退している。本研究では以上のような点を明らかにし、ダンロップ社の現地経営の実態に迫った。今後、さらにこのようなケーススタディを蓄積し、一般化を志向した国際関係史の構築を進めていくことにする。
著者
住田 公明
出版者
国際ビジネス研究学会
雑誌
国際ビジネス研究学会年報 (ISSN:13480464)
巻号頁・発行日
no.11, pp.329-342, 2005-09-30

企業の事業活動がグローバルに拡大するにつれて、東西冷戦終結後の1990年代から安価な人件費のメリットを生かして中・東欧、中国等の企業も市場参入したことにより、価格を中心とした企業間競争が激化している。そのため、日本企業はグローバルマーケットで生き残りをかけ、懸命になって各事業を展開している。その事業を展開するにあたり、経営戦略を立案し、立案された戦略(主に事業戦略)を実行する必要がある。戦略の一つに成長戦略があり、その戦略を実行するツールとして、市場拡大を図るためのグローバルM&A戦略がある。海外企業のM&Aを過去に行なったか、現在も継続している日本企業は数多くあるが、成功例よりは、どちらかというと失敗例の方が多く見受けられるのが現実の姿である。大学卒業後入社した某社では、個人としては、海外ビジネスに従事し、ドイツの大財閥の一つであるS社等との海外企業とのビジネス交渉の経験を積んできた。会社としての海外ビジネスでは、資本参加から始まり最終的には子会社化したイギリス最大のコンピュータ会社であったI社(英国)、北米でIBM汎用大型コンピュータのPCM(Plug Compatible Machine)ビジネスをしていたA社(米国)等の赤字経営が続き、ビジネス縮小や会社の解散等を目の当たりにしてきた。また、現在在籍する企業でも、海外企業の買収が事業戦略から行われたのではなく、被買収会社から持ちかけられ、買収行為そのものが目的化したため、買収先会社の経営が芳しくない現実がある。海外企業とのM&A(グローバルM&A)の失敗例を身近に体験したことで、日本企業にはグローバルM&Aを成功させられない共通の要因があるのではないかとの考えに至った。その要因を分析・検討することが、企業人にとって今後のグローバルM&Aの失敗を避けられる一助となるものと期待するものである。