著者
安倍 素子
出版者
学校法人 尚絅学園 尚絅学園研究紀要編集委員会
雑誌
尚絅大学研究紀要 A.人文・社会科学編 (ISSN:18816290)
巻号頁・発行日
vol.2, pp.A1-A14, 2018-07-21

平安時代の作品『うつほ物語』には物語本文に「絵解」とよばれる本文が混在している。このため、この作品は絵と深い関係にあったとされる。江戸時代延宝五年(1677)、全巻に挿絵が入った版本が刊行された。この挿絵が、従来の「絵解」とよばれる本文の影響を受けて制作されたものかどうかを検討した。その結果、約4分の1の絵が「絵解」とよばれる本文に関係づけられた。「絵」の制作者が「絵解」に注目した可能性は高い。
著者
田中 孝明
出版者
学校法人 尚絅学園 尚絅学園研究紀要編集委員会
雑誌
尚絅大学研究紀要 A.人文・社会科学編 (ISSN:18816290)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.45-62, 2018-08-04

熊本市は2012(平成24)年4月に政令指定都市へ移行するにあたり,地域包括支援センターの見直しを行うこととした。具体的には,政令市移行に伴う行政区の見直しと連動して,2011(平成23)年6月に成立した介護保険法改正による地域包括支援センターの機能強化を図る一方で,センターの担当圏域の再設定を行い,これまでのセンター設置数を減らしたうえで委託事業者を新たに公募する形をとることにした。しかしながら,センター担当圏域の再設定やセンター数の削減は,①センターと地域住民とのこれまでの信頼関係,②公募制をとるにあたっての評価基準の仕組み,③将来的な人口推計を見据えた地域包括ケアシステム,にとって課題が多いと指摘できる。
著者
武田 昌憲
出版者
学校法人 尚絅学園 尚絅学園研究紀要編集委員会
雑誌
尚絅学園研究紀要 A.人文・社会科学編 (ISSN:18816290)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.A1-A24, 2012-03-31 (Released:2018-08-04)

島原の乱当時の藩を一欄に示し、この中で使者を派遣した諸藩を指摘した。そしてこの乱が全国的な影響を与えたことの証左とした。
著者
武田 昌憲
出版者
学校法人 尚絅学園 尚絅学園研究紀要編集委員会
雑誌
尚絅学園研究紀要 A.人文・社会科学編 (ISSN:18816290)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.A1-A24, 2012

島原の乱当時の藩を一欄に示し、この中で使者を派遣した諸藩を指摘した。そしてこの乱が全国的な影響を与えたことの証左とした。
著者
安倍 素子
出版者
学校法人 尚絅学園 尚絅学園研究紀要編集委員会
雑誌
尚絅学園研究紀要 A.人文・社会科学編 (ISSN:18816290)
巻号頁・発行日
vol.4, pp.A1-16, 2010

『うつほ物語』の絵入り本には、冒頭の巻「俊蔭」だけの奈良絵本10本と万治版、全20巻の延宝版がある。延宝版の「絵」には他の本との類似性がない。延宝版の中に「絵入源氏」の「絵」に類似しているものがあるという指摘があり、延宝版の121図と承応版「絵入源氏」の226図すべてについて照合した。その結果、延宝版121図のうち64図に「絵入源氏」との類似が認められた。延宝版が「絵入源氏」の影響のもとに製作されたことは確実である。
著者
森野 美央
出版者
学校法人 尚絅学園 尚絅学園研究紀要編集委員会
雑誌
尚絅学園研究紀要 A.人文・社会科学編 (ISSN:18816290)
巻号頁・発行日
vol.1, pp.41-51, 2007-03-31 (Released:2018-05-09)
参考文献数
14

本研究では、幼児期における感情理解の発達について、悲しみ感情と怒り感情の理解に焦点をあてて検討した。年中児、年長児123名を対象に、普段どのような場面で悲しみや怒りを感じているのかを尋ね、得られた回答を分類し、発達的変化について分析を行った。主な結果は以下の通りである。(1)言及数は、怒り経験よりも悲しみ経験の方が多く、年中児よりも年長児の方が多い、(2)悲しみ経験場面での意地悪への言及と、怒り経験場面での攻撃への言及は、年中児よりも年長児の方が多い。得られた結果に基づき、(1)年齢があがるにつれ、児童期に近い形で悲しみ、怒り感情の区別がみられるようになる可能性、(2)幼児が成人とは異なった場面で悲しみや怒りを感じている可能性が示唆された。
著者
和田 英穂
出版者
学校法人 尚絅学園 尚絅学園研究紀要編集委員会
雑誌
尚絅大学研究紀要 A.人文・社会科学編 (ISSN:18816290)
巻号頁・発行日
vol.5, pp.59-71, 2018-07-25

本論は中国における対日戦後処理中の台湾人処理方法と台湾における対日戦犯裁判および接収中に発生した台湾人による日本人殺人事件を事例とし,台湾における戦後処理の問題点を考察した。台湾における戦後処理は,対日戦後処理と並行して,対台湾人処理という困難な問題が存在していた。終戦直後から祖国中国に返還されるも「日本人」として戦争責任が負わされ,また一方では日本の不当な弾圧を受けていた台湾人民主派たちの祖国による日本に対する正当な処理への期待は失望へと変わってしまった。こうした「棄民」状況に陥っていた当時の台湾における戦後処理の状況はいまだ未解明の部分が少なくない。