著者
市川 秀和
出版者
日本庭園学会
雑誌
日本庭園学会誌 (ISSN:09194592)
巻号頁・発行日
no.17, pp.93-98, 2007-08-31
参考文献数
18
著者
前田 義明
出版者
日本庭園学会
雑誌
日本庭園学会誌 (ISSN:09194592)
巻号頁・発行日
vol.1998, no.6, pp.59-68, 1998-03-31 (Released:2011-05-20)
参考文献数
17
著者
河原 武敏
出版者
日本庭園学会
雑誌
日本庭園学会誌 (ISSN:09194592)
巻号頁・発行日
vol.2007, no.17, pp.103-110, 2007-08-31 (Released:2011-05-20)
参考文献数
18
著者
河原 武敏
出版者
日本庭園学会
雑誌
日本庭園学会誌 (ISSN:09194592)
巻号頁・発行日
vol.2007, no.18, pp.71-78, 2007-10-31 (Released:2011-05-20)
参考文献数
11
被引用文献数
1 1
著者
河原 武敏
出版者
日本庭園学会
雑誌
日本庭園学会誌 (ISSN:09194592)
巻号頁・発行日
vol.2005, no.13, pp.1-13, 2005-12-30 (Released:2011-05-20)
参考文献数
19
著者
杉本 宏
出版者
日本庭園学会
雑誌
日本庭園学会誌 (ISSN:09194592)
巻号頁・発行日
vol.2007, no.16, pp.13-26, 2007-03-31 (Released:2011-05-20)
著者
吉河 功
出版者
日本庭園学会
雑誌
日本庭園学会誌 (ISSN:09194592)
巻号頁・発行日
vol.1996, no.4, pp.14-21, 1996-03-31 (Released:2011-05-20)
参考文献数
8

水戸徳川家江戸上屋敷庭園であった後楽園 (東京都文京区) は、江戸の庭園文化を代表する大名庭園でありその文献史料も他庭と比較してかなり豊富である。しかしながら、各史料を検討しても、なお様々な未解決の問題が残されていることは否定出来ない。古庭園で、作庭当初のままの景が今日まで保存されているものは極く少ないということは常識であって、大部分が多かれ少なかれ何等かの改修を受けている。その庭園が各時代をどのように変遷してきたかという問題は、古庭園研究上の重要な課題である。ここでは後楽園の多くの疑問点の内、園内西部の重要な景観である「小盧山」の景中にある、「大堰川」の流れを中心とした部分の「渡月橋」と「西湖堤」について考察し、その変遷を文献と実地の上から明らかにしていきたいと思う。
著者
市川 秀和
出版者
日本庭園学会
雑誌
日本庭園学会誌 (ISSN:09194592)
巻号頁・発行日
vol.2007, no.17, pp.93-98, 2007-08-31 (Released:2011-05-20)
参考文献数
13
著者
吉河 功
出版者
日本庭園学会
雑誌
日本庭園学会誌
巻号頁・発行日
vol.1996, no.4, pp.14-21, 1996

水戸徳川家江戸上屋敷庭園であった後楽園 (東京都文京区) は、江戸の庭園文化を代表する大名庭園でありその文献史料も他庭と比較してかなり豊富である。<BR>しかしながら、各史料を検討しても、なお様々な未解決の問題が残されていることは否定出来ない。古庭園で、作庭当初のままの景が今日まで保存されているものは極く少ないということは常識であって、大部分が多かれ少なかれ何等かの改修を受けている。<BR>その庭園が各時代をどのように変遷してきたかという問題は、古庭園研究上の重要な課題である。<BR>ここでは後楽園の多くの疑問点の内、園内西部の重要な景観である「小盧山」の景中にある、「大堰川」の流れを中心とした部分の「渡月橋」と「西湖堤」について考察し、その変遷を文献と実地の上から明らかにしていきたいと思う。
著者
外村 中
出版者
日本庭園学会
雑誌
日本庭園学会誌 (ISSN:09194592)
巻号頁・発行日
vol.2009, no.21, pp.21_1-21_14, 2009 (Released:2012-02-22)
参考文献数
1

近年注目されている説によれば、飛鳥の須彌山石は、夷狄が当時の日本の朝廷に対して行う服属儀礼のための装置であったらしいとされる。そして、その儀礼は帝釋天や四天王に関連する神聖なあるいは呪術的なものであったらしいとされる。さらには、『倶舍論』にもとづきつつ、須彌山石と東大寺大仏蓮弁の須彌山図とには共通点が見られるので、須彌山石は意匠的にも須彌山を象徴したものであろうとされる。しかしながら、『日本書紀』や『倶舍論』などの内容を確認してみると、以上のように解釈することは適切ではなさそうである。須彌山石は、文化力誇示のための装置と見るほうがよいであろう。また、その意匠についても、さらに検討が必要であろう。