著者
加藤 喜之
出版者
東京基督教大学
雑誌
キリストと世界 : 東京基督教大学紀要 (ISSN:09169881)
巻号頁・発行日
no.24, pp.1-24, 2014-03

本論文では、17 世紀のネーデルラント改革派教会における正統主義神学者のひとりであるペトルス・ファン・マストリヒト(Petrus van Mastricht、1630-1706)による、デカルト主義者たちとの哲学と神学の関係についての議論に注目する。ファン・マストリヒトは、当時のプロテスタント教会において、最も影響力をもった神学者の一人であり、彼の生涯はデカルト主義との論争に満ちていた。ファン・マストリヒトとデカルト主義者たちとの論争に注目することにより、中世と近代のはざまで、それまで社会と学問の紐帯として機能していたキリスト教神学が新科学の宇宙観によってどのような挑戦をうけ、その挑戦に対してどのように応答したのかをみていく。特に、この思想的に激動の時代において、いかにして神学が諸科学の女王という座を失っていったかをみていきたい。だがそれと同時に、中世的な神学を退けた思想も実は、神学的な要素を多く含んだものであったことを示していく。 第1 節では、ファン・マストリヒトの最大の論争相手であった、17 世紀中盤から後半にかけてのデカルト主義の発展をみる。第2 節では、このあまり知られていない神学者であるファン・マストリヒトの生涯と思想を簡単に紹介する。第3 節では、ファン・マストリヒトの『デカルト主義の壊疽』(1677)を、分析する三つの理由と方法論を論じたい。そして第4 節では、この『デカルト主義の壊疽』から、特に哲学と神学の関係という主題に注目して、ファン・マストリヒトによるデカルト主義批判をみていきたい。This paper focuses on Petrus van Mastricht (1630-1706) of the DutchReformed Church and his controversy with the seventeenth-centuryCartesians concerning the relationship between philosophy and theology.Van Mastricht was one of the most influential orthodox Reformedtheologians of his day. He was involved in many philosophico-theologicaldebates with the Cartesians throughout his career. By focusing on thedebate between Van Mastricht and the Dutch Cartesians, the paperexamines how the new cosmology of the early modern period challengedChristian theology that functioned as a social and intellectual bond and howtheology responded to the challenge. Particularly, it focuses on the declineof the role of theology as the queen of science. At the same time, the paperalso shows that early modern cosmology was a theological project as well. The first section examines the development of Cartesianism in the DutchRepublic during the mid-seventeenth century. The second section introducesthe relatively unknown theologian, Petrus van Mastricht, and his thought.The third section discusses three reasons for examining Van Mastricht'sNovitatum cartesianarum gangraena (1677), as well as the methodologyused. The fourth and main section examines, by focusing on the relationshipbetween philosophy and theology, Van Mastricht's criticism of Cartesianism.
著者
金子 毅
出版者
東京基督教大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2005

本研究の目的は、まず米国における技術文化スローガン「safety-first」の構築過程を解析し、そこに内在する精神性と、その輸入概念としての日本語の「安全第一」活動との相違を明示することにあり、具体的には自動車工業都市デトロイトの成立事情とプロテスタント教会及びこれを取り巻く信仰の変質の問題を論じる。考察の軸としたのは信者である事業経営者と牧師との間に生じた、信仰をめぐる葛藤とその局面である。具体的な考察対象としたのは、フォード社における信仰実践に与した人物として、S.S.マーキュス及び着任間もない若きラインホルド・ニーバーである。そこから明らかとなったのは信者である経営者の意図に沿った道徳へと信仰が左右され、さらに従業員の私的生活をも包摂する「奉仕」を容認する「経営宗教」による独自の経営倫理意識の構築と、これによる「フォーディズム」という生産管理の実態であった。そこには時代をめぐる二つの社会的要因が作用している。第一に、労働を取り巻くカトリックを含む移民と禁酒運動による米国市民化という教会外部からの要因である。第二に、教会と信徒教育を取り巻く内的要因であり、これは聖書に依拠したテキスト化に動機付けられた教育の変質を示唆する。以上より、プロテスタンティズムに内在する資本主義の精神性という仮説に依拠せずに労働をめぐる「奉仕」観の変質を捉え、そこから生じた「safety」という理念へと肉迫することが可能となる。「フォーディズム」成立の時代のもとでは、聖書における主体的な「safety」の構えは失われ、空洞化されたスローガン「safety-first」と化したといえよう。
著者
櫻井 國郎
出版者
東京基督教大学
雑誌
基督神学
巻号頁・発行日
vol.21, pp.24-58, 2009