著者
桑名 義晴 岸本 寿生 山本 崇雄
出版者
消費者金融サービス研究学会
雑誌
消費者金融サービス研究学会年報 (ISSN:13493965)
巻号頁・発行日
no.6, pp.43-52, 2005

近年、日本の消費者金融サービス業は急速に成長・発展を遂げたが、その反面成熟段階を迎えつつあるのも事実である。このため、日本の消費者金融企業は多角化や国際化で新たな活路を見出さなければならなくなっている。前者については、すでに多くの企業が試みつつあるが、後者については、ごく一部の企業が挑戦しているとはいえ、これからの課題となっている。もし日本の消費者金融企業が海外展開するとすれば、どの地域が有望となるか。それは、いうまでもなくアジア地域であろう。そこで本稿では、アジア地域でも経済、とりわけ金融市場が発展している台湾と香港を研究対象にして、そこでの消費者金融サービス業の発展、現状と特徴、および問題点を考察し、日本企業の進出の可能性、条件、方法などを明らかにすることにした。台湾では、近年消費者金融サービス業が急速に発展しているが、現在の段階では銀行しかそのビジネスを行なうことができない。このため、もし日本企業が台湾に進出するとしても、銀行などと提携して進出しなければならないだろう。一方、香港では消費者金融サービス業は比較的早くから発展してきているため、現在専業、カード会社、銀行との間で過当競争がみられる。したがって、香港での消費者金融ビジネスの展開にはかなり厳しいものが予想される。しかし台湾と香港においては、まだ日本におけるような消費者金融サービス業のビジネス・モデルが十分に確立されていないので、日本の消費者金融企業の進出の可能性が残されていると思う。日本の消費者金融企業は、多くの優れたノウハウやスキルを有しているので、両地域でもそれらをうまく活用すれば成功する可能性が大きい。
著者
今井 雅和
出版者
消費者金融サービス研究学会
雑誌
消費者金融サービス研究学会年報 (ISSN:13493965)
巻号頁・発行日
no.5, pp.113-128,200, 2004

本稿の目的は、ロシアにおける個人ローンの現状と課題を明らかにすることにある。社会主義時代の「強制された貯蓄」から消費社会へと、ロシアは大きく変貌をとげている。国民の平均収入も実質で2桁の伸びを示し、国内総生産の約半分は個人消費によるものである。個人の銀行預金が増加し、個人向けのローンもようやく始まり、急成長している。個人ローンは、3年未満の販売信用、3年超の住宅ローン、クレジットカードに分類される。参入者増による競争激化もあり、貸出金利は低下傾向にある。ルーブル建ての販売信用は、他のローンに比べ、金利レベルが高く、当該顧客の信用レベルが不安定なことを示唆している。販売信用ビジネスでは、ルースキースタンダルト銀行が初期参入者利益と卓越した戦略によって強みを発揮している。クレジットカードビジネスでは7割、販売信用でも4割近いシェアを握り、第一位を占めている。同社の強みの一つは債権リスク管理である。住宅ローンは、制度の不備もあって、担保ローンの普及率が極めて低い。長期の個人ローン市場をほぼ独占する、最大手のズベルバンクは、担保ではなく、複数の保証によって住宅ローンを急速に伸ばしている。住宅ローンの課題は、担保権の確実な執行、担保ローンの債券市場の整備である。
著者
井上 葉子
出版者
消費者金融サービス研究学会
雑誌
消費者金融サービス研究学会年報 (ISSN:13493965)
巻号頁・発行日
no.8, pp.57-66, 2007

本研究の目的は、中国におけるサードパーティー・オンラインペイメントの現状を分析することにより、同市場の将来性と課題を明らかにすることである。研究対象とする主体は、オンラインペイメントの決済業務を主たる事業とするノンバンクのサードパーティー・オンラインペイメント企業とし、対象とする市場は個人ユーザーと一部のネットショップで構成されるC2C市場である。研究方法としては、中国の官庁、民間のシンクタンクの調査データの分析ならびに中国におけるサードパーティー・オンラインペイメント企業最大手の支付宝へのインタビューを行なった。サードパーティー・オンラインペイメントに対する利用者の反応や企業の戦略は国や文化によって異なり、それが市場規模にも反映している。現在、中国ではアメリカのPaypal社のビジネスモデルに基づいたエスクロー方式が主流である。2008年には国家政策も始動するが、はたして外国のビジネスモデルが中国で定着するのか、それにはどのような条件が必要なのか、という視点から論を進める。本研究の調査にあたり、2001年度消費者金融サービス研究振興協会から研究助成を受けたことに深く感謝する。
著者
上田 良光
出版者
消費者金融サービス研究学会
雑誌
消費者金融サービス研究学会年報 (ISSN:13493965)
巻号頁・発行日
no.6, pp.53-65, 2005

97年11月26日の徳陽シティ銀行破綻は仙台市民や宮城県民にとって、必ずしも驚くべきことではなかった。なぜならば、96年5月23日の「社長交代劇」では大谷邦夫社長が相談役に、新井田時男専務が社長にと、既に数回にわたる大蔵省によるテコ入れがなされていたからである。徳陽シティ銀行は当初昭和17年4月宮城県内の東北、宮城、太洋の無尽会社3社が合併し、三徳無尽会社として設立され、昭和25年11月、社長に早坂順一郎が就任、翌年の「相互銀行法」施行に伴い、徳陽相互銀行となり、その後「早坂一族支配」が続くことになった。平成元年4月、日銀出身の甲斐秀雄副社長が社長に就任し、早坂一族以外から初の社長となった。平成2年6月、社長に大谷邦夫が就任、8月、普通銀行として「徳陽シティ銀行」に転換したが、業績悪化のため他の相互銀行より1年遅れたのである。さらに、平成6年、金融当局によって北日本、殖産銀行との合併による「平成銀行」の成立が画策され、3行頭取が合意に達し、東北では大ニュースとして報道されたにも関わらず、敢えなく破談となってしまった。それは不良債権が766億円と公表されたが、実際は1,000億円と云われ、また、東北の地銀、第二地銀中、貸出残高に対する比率も12.36%と最大で、七十七銀行2.06%、徳陽に次いで比率の高い福島銀行でさえ4.34%と、いかに高い数字かがうかがわれたのである。この合併劇の破談は徳陽の業績の悪化を世間に一層印象づけることになり、破綻への道を早める結果となったのである徳陽シティ銀行の破綻は「大蔵省主導の終焉」と位置づけられる。なぜならば、平成元年から8年まで2代続けて大蔵省出身の頭取が就任したにも拘わらず、破綻を食い止めることができなかったこと、さらには、大蔵省主導で平成6年に画策された北日本銀行、殖産銀行との合併による「平成銀行」が3行頭取の合意がなされたものの北日本銀行従業員組合、顧客団体の反対に遭い、敢えなく破談となってしまったことなどからも我が国の金融業界も「大蔵省支配」から次第に「市場原理」に近づきつつあることを示したものと言えよう。