- 著者
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唐澤 太輔
- 出版者
- 特定非営利活動法人 頸城野郷土資料室
- 雑誌
- 頸城野郷土資料室学術研究部研究紀要 (ISSN:24321087)
- 巻号頁・発行日
- vol.2, no.8, pp.1-20, 2017 (Released:2019-04-20)
本稿では、博物学者・民俗学者として知られる南方熊楠(1867~1941 年)が表した深遠な「曼陀羅」の解釈を行い、そこに見られる近代科学的あるいはロゴス的思考を越えた新たな知の可能性を探る。この「曼陀羅」の存在とそれに関する熊楠の言説は、研究者たちによって以前から知られてはいたが、その考察はほとんどされてこなかった。その原因の一つは、熊楠がこの「曼陀羅」内で言及している「名」と「印」が一体いかなるものなのかが明確ではなかったからである。これらの語は、熊楠によってあまりにも唐突に語られ、またあまりにも説明が複雑に入り組んでおり(熊楠自身の混乱さえ見られる)、完全に理解することは難しく、長い間、本格的な研究は「保留」状態にあった感が否めない。
熊楠自身による「名」と「印」の解釈は、実際どのようなものであったのか。また、それは仏教における概念とどの程度合致するものなのか。本稿では、土宜法龍宛書簡以外の熊楠による書簡や著作にも目を向け、この「名」と「印」を知るための言葉を示していく。そして、そこから熊楠が人類に共通する「世界」認識の構造をどのように考えていたかを見出していく。そして最後に、非因果的連関作用としての「縁」について、熊楠がどのような言説を行っていたかを概観する。本稿は、今の研究者たちによる数少ない熊楠の「名」と「印」に関する論の解釈に一つの結論を与えると同時に、今後の文化人類学や民俗学のみならず哲学や宗教学において、知の巨人・南方熊楠が果たした思想的役割を広く議論していくための「土台」を提供することを目指すものである。