- 著者
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西原 志保
- 出版者
- 特定非営利活動法人 頸城野郷土資料室
- 雑誌
- 頸城野郷土資料室学術研究部研究紀要 (ISSN:24321087)
- 巻号頁・発行日
- vol.2, no.5, pp.1-20, 2017 (Released:2019-04-20)
- 参考文献数
- 12
光源氏亡き後の世界を描く『源氏物語』宇治十帖では、臨終間際の大君(おおいきみ)の様子が「身もなきひひな」に喩えられる。「ひひな」(雛)は紙などでできた人形(にんぎょう)であり、紫の上の幼い頃など、子どもが遊ぶ場面で描かれる。また、大君に関しては、彼女の死後薫が大君の「人形(ひとがた)」を作りたいと言い、その「人形(ひとがた)」として最後の女主人公浮舟が登場する。「人形(ひとがた)」は穢れを払うために流されるなでもののことである。『源氏物語』研究において雛は物語構築の手法として、人形(ひとがた)も重要なモチーフとして注目されるが、雛と人形(ひとがた)を総合的に考察したものは多くない。そこで、雛と「人形(ひとがた)」を併せて考察することで『源氏物語』の人形(にんぎょう)論を試みるのが、本稿の目論見である。人形(にんぎょう)は現代のアートシーンにおいて、男性によるオブジェ嗜好とも関わりながら、女性の内面表現の媒体として特異な発展を遂げている。芸術論においては絵画や彫刻と対比され、その衣装性が指摘される。子どもが遊ぶ人形を指す雛が、なぜ大君の喩に用いられるのだろうか。この疑問を切り口に、女性の内面形成とフィクション構築とを重ね合わせる手法としての「人形(にんぎょう)」に着目する。子どものままごと遊びとして始発しながら、男性(薫)のオブジェ嗜好を経て、女君自身(浮舟)の人形(にんぎょう)化願望へと辿り着く様相を明らかにする。