- 著者
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西舘 崇
太田 美帆
- 出版者
- 玉川大学文学部
- 雑誌
- 論叢 : 玉川大学文学部紀要 (ISSN:02868903)
- 巻号頁・発行日
- no.56, pp.143-159, 2015
本稿は,原子力エネルギー政策の形成における熟議民主主義の可能性と限界を,幾つかの既存研究に対するレビュー調査によって考察することを目的としている。原子力エネルギー政策に関する問題は,原子力エネルギーを将来も継続して用いるか否かといった争点や核廃棄物を如何に保管するかといった論点を含んでおり,現代世代の決定が将来世代の暮らしやエネルギー事情を長きにわたって決定するという性格を有する。こうした中にあって,熟議民主主義こそ原子力エネルギー政策の形成と社会的合意に用いるべきとする議論がある。本稿では,その代表的研究者であるG. F. ジョンソンの『核廃棄物と熟議民主主義―倫理的政策分析の可能性』を考察し,その上で日本及びドイツにおける原子力エネルギー政策を扱った文献を検討した。 熟議民主主義における最も大きな争点のひとつは熟議の意義についてである。この点に関して本文献レビューは,熟議民主主義は「将来にも継続して議論すべき論点を,正当な手続きによって明示し得る」という意義を提起した。これは特に,将来世代に重大な影響を与える原子力政策において重要である。本稿はまた主に次の2点を示唆している。第1に,合意そのものについて考えることの重要性についてである。例えば,熟議民主主義における実証研究の更なる精緻化のためには,合意自体の概念整理が必要である。また合意の可能性は,熟議の規模や対象とするテーマと合わせて検討することが有意義である。第2の示唆は,熟議における主導側の意思の重要性である。熟議の結果を政策に反映させる意思が明確でない場合,熟議を取り入れる意義は限られたものとなろう。