著者
石見 明子
出版者
Japanese Association of Indian and Buddhist Studies
雑誌
印度學佛教學研究 (ISSN:00194344)
巻号頁・発行日
vol.55, no.1, pp.399-396,1222, 2006-12-20 (Released:2010-07-01)

“The parable of the sparrow” is indicated by the word “nirgrantha-srava-ka-cataka-vat” in the ninth chapter of the Abhidharmakosa-bhasya (AKBh). The commentary on this word by Yasomitra forms one story that contains a question and an answer. It is similar to one of Aesop's Fables called “κακοπραγμον”which means “an evil doer.” This seems not have been identified among the Buddhist canons. The interpretation of “avyakrta” in this chapter is examined by referring to this story.In this story, the evil doer is a questioner. The section that includes the word in the AKBh discusses “avyakrta.” The Buddha is reported to have not expressed an opinion on a series of questions such as “Is the world eternal ” Relying on this, the Vatsiputriyas insist on “avaktavya.” They don't state whether an individual (pudgala) is exactly the same as elements (skandha).The point of the critique by Vasubandhu (the author of AKBh) is taking “prastur asaya” (the intentio n of the questioner) as the reason for “avyakrta”. Therefore, if a questioner does not have “asaya,” those questions should be answered. The parable of the sparrow is quoted to emphasize “asaya.”
著者
師 茂樹
出版者
Japanese Association of Indian and Buddhist Studies
雑誌
印度學佛教學研究 (ISSN:00194344)
巻号頁・発行日
vol.63, no.3, pp.1126-1132, 2015-03-25 (Released:2017-09-01)

雲英晃耀(きら・こうよう,1831-1910)は,幕末から明治時代にかけて活躍した浄土真宗大谷派の僧侶で,キリスト教を批判した『護法総論』(1869)の著者として,また因明の研究者・教育者として知られる.特にその因明学については,『因明入正理論疏方隅録』のような註釈書だけでなく,『因明初歩』『因明大意』などの入門書が知られているが,その内容についてはこれまでほとんど研究されてこなかった.雲英晃耀の因明学については,いくつかの特徴が見られる.一つは実践的,応用的な面である.雲英は国会開設の詔(1881)以来,因明の入門書等を多数出版しているが,そのなかで共和制(反天皇制)批判などの例をあげながら因明を解説している.また,議会や裁判所などで因明が活用できるという信念から因明学協会を設立し,政治家や法曹関係者への普及活動を積極的に行った.もう一つは,西洋の論理学(当時はJ. S. ミルの『論理学体系』)をふまえた因明の再解釈である.雲英は,演繹法・帰納法と因明とを比較しながら,西洋論理学には悟他がないこと,演繹法・帰納法は因明の一部にすぎないことなどを論じ,西洋論理学に比して因明がいかに勝れているかを繰り返し主張していた.そして,三段論法に合わせる形で三支作法の順序を変えるなどの提案(新々因明)を行った.この提案は西洋論理学の研究者である大西祝や,弟子の村上専精から批判されることになる.雲英による因明の普及は失敗したものの,因明を仏教から独立させようとした点,演繹法・帰納法との比較など,後の因明学・仏教論理学研究に大きな影響を与える部分もあったと考えられる.
著者
赤羽 律
出版者
Japanese Association of Indian and Buddhist Studies
雑誌
印度學佛教學研究 (ISSN:00194344)
巻号頁・発行日
vol.62, no.3, pp.1217-1224, 2014-03-25 (Released:2017-09-01)
被引用文献数
1

Bhaviveka (ca. 490/500-570)によって,Nagarjuna (ca. 150-250)の『根本中論』(Mulamadhyamakakarika)に対する注釈書として書かれたPrajnapradipaは,サンスクリット原典が散逸し,今日我々が目にすることができるのはチベット語訳と漢訳『般若灯論』のみである.しかし,月輪賢隆氏によって漢訳の不備が指摘されて以来,漢訳は殆ど研究対象として扱われてこなかった.本稿では,月輪氏の指摘を紹介するとともに,第8章の議論の一部を採りあげ,漢訳とチベット語訳の対比を元に,月輪氏の指摘を確認しつつも,漢訳が必ずしも不備ばかりでないことを示す.また,『根本中論』の偈を推論式に構成して注釈する際に,チベット語訳に於いて見出される推論式構成要素の説明部分が一貫して漢訳『般若灯論』に欠落している特徴を指摘し,漢訳とチベット語訳それぞれの元になったサンスクリット原本にそもそも差があった可能性を提示する.加えて,反論と答論が示され,その反論の一部が漢訳に見出されない場合,その見出されない反論部分に対する答論部分もまた綺麗に欠落していることがしばしば見出されることから,仮に両訳の元となったサンスクリット原本が同一であり,漢訳者が議論を一部省略したと想定するとしても,翻訳者Prabhakaramitraが議論を踏まえた上で省略した可能性が高いことを明らかにした.