著者
遠城 明雄
出版者
公益社団法人 日本地理学会
巻号頁・発行日
pp.79, 2020 (Released:2020-03-30)

1. はじめ19世紀後半以降の近代世界の到来およびそれとの接合という経験において、近代以前に起源を有する地域の祭礼はどのような変化を遂げてきたのであろうか。この問いを人々の意識や行動に寄り添って考えてみる、というのが本報告の試みである。博多祇園山笠は、福岡市の都心に位置する博多地区の櫛田神社で毎年7月1日から15日まで行われる奉納行事である。同地区には近世に起源を有する町の集合体である「流(ながれ)」という地縁的な自治組織があり、この組織が山笠を建設し運営する。七つの流があり、それぞれの地区内で男性が「山」(車輪がついていない山車)を舁き廻って地域の安寧や悪疫の退散を祈願するが、最終日に行われる「追山」は七つの山が同じ順路を移動する行事であるため、タイムを競う雰囲気が高まる。すでに明治期の新聞にも詳しいタイムが報じられており、この祭礼が神事であると同時にレース的な特徴を有することが、参加者と見物人の両者を熱狂させるひとつの要因になっていると思われる。 柳田國男(1942)によれば、「見物と称する群の発生」による祭の変化は明治以前から始まっていた。博多祇園山笠の場合は、近世期から見物人としてのみならず、参加者(「加勢人」)としても、周辺の村人たちが多数博多に足を運び、都市の文化に触れ、それに実際に関与しており、時に祭りの進行を妨げる諍いを起こす場合もあった。山笠行事は、都市内部の地縁組織の想像的な共同性を強化するにとどまらず、都市と農村の人的な接触を生み出すことで、両者の差異を際立たせると同時に、その相互依存的関係を実感させる場になっていたと思われる。 2. 祭礼をめぐる行政と地域社会明治以降、山笠行事をめぐって行政・警察と地域住民の間に激しい対立が幾度もあった。その裸体と「蛮風」、飲酒、時間と資金の浪費、交通への妨げといった理由から、この行事は近代という時代にそぐわないものであるというのが前者の基本認識であり、さらに祭りを通じて醸成される地域の連帯感や共同性の感覚が、市・県の行政執行の妨げになること、また行政・警察への日常的不満が非日常の解放感のなかで、暴力を伴って爆発しかねないことなども懸念されていた。こうした対立は1920年代も続くが、市中心部の人口減少や経済不況などにより山笠行事が衰退すると、福岡市は1937年、観光振興や国策との関連などの理由で、山笠行事に補助金を支給するようになった。地域内外の状況の変化が、山笠を市公認の「伝統行事」に変えていったと言える。 3. 1910年の福岡市と博多祇園山笠 本報告では特に1910年という年に着目してみたい。この年は、その後の福岡市の発展にとって、ひとつの転機になったという評価がある。九州沖縄八県聯合共進会の開催を契機として、市の中心部を東西につなぐ新たな道路が開鑿され、そこに市内電車が敷設・運行されるなど、福岡・博多の空間構造は大きく変容したのである。福岡市はこの社会基盤整備を土台として、近代都市への離陸を果たしたと言えるかもしれない。さて、この時に山笠行事の廃止あるいは継続をめぐって、地域有力者らの意見が地元新聞に掲載されている。その多くは山笠の廃止や行事内容の変更を主張するものであり、こうした有力者らの見解の背景には、地域住民の山笠に対する意識の変化も感じられる。近代性を象徴する諸施設が目の前に具現化されることを通して、人々の場所に対する感性にも揺らぎが生じていたのかもしれない。ただし、地域における話し合いの結果、最終的にこの年の山笠行事は変則的な形ではあったが実施され、その後も継続されることになった。そして、それを可能にした論理は、近代性に対する民衆なりの対抗でもあったと思われる。このように1910年は福岡市、そして山笠行事の過去と現在を考える上でも、興味深い年であると考えられる。本報告は多くの限界を抱えているが、これらの新聞記事を読むことで、最初に掲げた課題に接近してみたい。

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遠城明雄 2020 1910年の福岡市と博多祇園山笠. 日本地理学会発表要旨集 2020, 79. https://t.co/bgzt1jvoz3 2020年,新型コロナのため山笠は延期になり皆が悲しみましたが,今から90年前の1910年には近代化の流れで山笠の廃止や行事内容の変更の主張が吹き荒れれたようですね。#祭心理学文献

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