著者
一ノ瀬 俊明
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2020年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.27, 2020 (Released:2020-03-30)

前報(2012年春季大会)では、日中屋外で色彩以外が同一規格の衣料(U社製、同一素材・デザインのポロシャツ、色違いの9色)を用い、表面温度の経時変化を観測した結果を報告した。色彩による温度差は明瞭であり、白、黄がとりわけ低く、灰、赤がほぼ同じレベルで、紫、青がさらに高めで拮抗し、緑、濃緑、黒が最も高温のグループを形成した(e.g. Lin and Ichinose, 2014: IC2UHI3)。また、一般に日射が強まるとこの差は顕著となった。可視光の反射率(明度)が表面温度を決める支配的要因の一つであると考えられるが、太陽放射の少なからぬ部分を占める近赤外領域(0.75-1.4 µm)の効果に対する検討が不十分であったため、追加の観測を行うと同時に、被服表面における反射スペクトル(0.35-1.05 µm)の分析を行った。2011年夏以降複数の観測事例を蓄積してきているが、たとえば濃緑(高温)と赤(低温)との間には5〜10℃の温度差(夏季日中の日照条件下)が生じる。可視領域のみならず近赤外領域までを含めた色彩別の反射率は、濃緑87%、黒86%、青84%、緑84%、紫82%、赤78%、灰75%、黄70%、白63%となっており、従前可視領域の反射率だけを比較した時よりも、表面温度の大小との対応関係が明瞭となった。反射率25%の違いは約15℃の温度差をもたらしている。ほぼ無風の条件下では黒や緑で50℃を超える事例(2013年9月など)も観測されており、夏季の暑熱リスク軽減の視点から、被服の色彩選択も重要な気候変動適応策の一つといえる。
著者
研川 英征 後藤 雅彦 大角 光司 栗栖 悠貴
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2020年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.132, 2020 (Released:2020-03-30)

1.はじめに自然災害伝承碑は,過去に発生した自然災害の教訓を後世に伝えようと先人たちが残した恒久的な石碑やモニュメントで,「過去に発生した自然災害に関する発生年月日,災害の種類や範囲,被害の内容や規模」が記載されたものである.国土地理院では,「自然災害伝承碑」の情報を,ウェブ地図「地理院地図」(https://maps.gsi.go.jp/)に令和元年6月19日から掲載を開始した.令和2年1月15日現在で,自然災害伝承碑の公開数は, 45都道府県139市区町村の416基である.公開した自然災害伝承碑の情報は,防災教育をはじめとする地域の防災力を高めるための様々な用途に活用可能である.そこで,自然災害伝承碑の公開に関するこれまでの経緯のほか,地形特性情報との重ね合わせにより本取組の意義について報告する.2.経緯近年激甚化・頻発化する自然災害に備えるためには,土地の成り立ちを知り,地域の災害に対する危険性を理解することが重要となる.たとえば低地の微地形は,河川の氾濫等の積み重ねで形成されていることを知れば,その土地では浸水のリスクがあることが理解できる.国土地理院では,このような地形特性情報の整備と提供をおこなってきたが,地形等の情報だけでは,十分に伝わりにくいという課題があった.そのため,国土地理院では,地形特性情報だけでなく,その地域で実際に起こった災害そのものの情報を伝える自然災害伝承碑を災害履歴情報として分かりやすく提供し始めた.自然災害伝承碑の情報を伝えることで,身近な災害への理解を深め,土地の成り立ちの理解促進による地域防災力向上への貢献を目指している.3.地形特性情報との重ね合わせ地理院地図上で,自然災害伝承碑を治水地形分類図や標高情報と重ねると,実際にどのような場所で,どのような災害が起こっていたのかを知ることが出来る.たとえば堤防の決壊が発生したことを伝承している場所について,治水地形分類図と自然災害伝承碑を重ね合わせることで,自然災害伝承碑が旧河道に隣接する微高地上に建立されていることや,自分で作る色別標高図及び陰影起伏図を重ね合わせることで,自然災害伝承碑が建立されている土地は,周囲よりも低い土地であることが読み取れた.自然災害伝承碑の情報を通して,当該箇所の災害履歴が分かるとともに,地形特性情報の意味を実感することが可能となる.4.まとめ地形特性情報に,地域の方々によって伝承されている災害履歴情報である自然災害伝承碑を組みあわせることで,具体的にそこで起こった災害の背景を知ることができ,災害をより身近に感じられるきっかけとなる可能性がある.
著者
栗栖 悠貴 後藤 雅彦 田口 綾子 研川 英征
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2020年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.134, 2020 (Released:2020-03-30)

近年激甚化・頻発化する自然災害に備えるためには,地域の災害に対する危険性を我が事として理解しておくことが重要である.国土地理院では,従来から土地の成り立ちに関する情報(地形特性情報等)を通して地域の危険性について発信してきた.しかし,これらは地形分類など専門性が高く,危険性を実感しにくいため,十分に伝わりにくいという課題があった.そこで,国土地理院は,防災意識を高め,地域全体の防災力を底上げするためには防災教育・地理教育が重要であるとの認識にたち,教育現場で活用可能なわかりやすいコンテンツの整備に取り組んでいる.その中で,令和元年6月19日より国土地理院のウェブ地図「地理院地図」(https://maps.gsi.go.jp/)に自然災害伝承碑の掲載を開始した.自然災害伝承碑には災害の様相や被害の状況などが記載されているため,地域に暮らす住民が災害の危険性を身近に感じやすい有力なツールになる.しかし,現在の教育現場では,教材の研究,作成をする時間が少ないことが原因で,有用な情報であってもすぐ使える形になっていないと活用されない傾向がある.そのため,自然災害伝承碑も授業ですぐに使えるコンテンツとして提供する必要がある.本報告では,「地理教育の道具箱」(https://www.gsi.go.jp/CHIRIRIKYOUIKU/index.html)に掲載しているコンテンツを例に自然災害伝承碑を活用した防災・地理教育支援について紹介する.
著者
横田 祐季
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2020年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.247, 2020 (Released:2020-03-30)

Ⅰ はじめに近年アニメ聖地巡礼が盛んであり,その中で,コラボ終了後の持続可能性は重要な課題とされる(風呂本,2012).作品愛着を超えて地域愛着を持ち地域を何度も訪れるようなファンを獲得することが重要と言えるが,アニメファンの地域愛着については研究が不足している.また近年では聖地に移住するファンの存在も指摘されているが(喜馬ほか,2018),聖地移住についての研究は為されていない.Ⅱ 研究目的と調査概要 本研究では,前述の研究背景を踏まえ,①聖地巡礼を通じたアニメファンの地域愛着の存在とその形成に影響を与える要因,また②そうしたアニメファンが聖地巡礼を契機に聖地への移住へと至るプロセスの二点を明らかにすることを目的とする. 対象地域は『ラブライブ!サンシャイン!!』聖地静岡県沼津市とした.近年アニメツーリズムの成功事例として注目を集めており,関係者への取材によると,アニメ放送が開始された2016年以降少なくとも50人以上はアニメ聖地巡礼を契機とした移住者がいるという. まず上記①を明らかにすることを目的に,聖地巡礼者にアンケート調査を実施した(Ⅲ).その結果アニメファン166名の有効回答を得た. また②を明らかにすることを目的に聖地移住者にヒアリング調査とアンケート調査を実施した(Ⅳ).ヒアリング調査は10名の移住者に対して行われ,アンケート調査はさらに10名を加えた20名に対して行われた.Ⅲ アニメファンの聖地への地域愛着 地域愛着の分析には,単純な嗜好の程度を表す地域愛着(選好),「そこに住みたい」という地域との結び付きを感じる程度を表す地域愛着(感情),「このような地域であって欲しい」という願いの程度を表す地域愛着(持続願望)の3指標を用いた.また地域愛着の形成に影響を与えると思われる要因として聖地巡礼の内容や地域への意識など様々な質問項目を設定した.分析では相関分析とt検定を用いた. 調査の結果,以下の知見が得られた.まず,アニメファンは聖地に対して一定の地域愛着を持つ(平均:選好4.6,感情3.69,持続願望:3.78/5点満点).また地域愛着(選好)→(感情)→(持続願望)と,より深い次元の地域愛着へと段階的に醸成されること,そして地域愛着の醸成が次回,さらにはコラボ終了後の来訪意欲にも繋がることが示唆された. 地域愛着(選好)は来訪回数や来訪満足度,地域交流度,SNS利用と関連があり,単純に訪問を重ねることでも醸成されると考えられる.また地域住民との交流機会の創出やSNSの活用を意識したイベント展開で醸成を促せると考えられ,来訪意欲との相関も最も高いことから観光振興を図る上で有効な指標といえる. 地域愛着(感情)は滞在日数や来訪満足度,地域交流度,SNS利用と一定の関連があり,地域愛着(選好)と同様の施策展開を行うことである程度醸成を促せると考えられる.また「景色が美しいまち」「人のあたたかいまち」「自然豊かなまち」といったイメージを持つ人は高い値を示す傾向にあり,アニメ作中で描かれるイメージを実際に聖地巡礼でも抱けたことで「居場所がある」といった感情が生まれると考えられる.移住者はこの値が高く,そのために移住に至ったと推察される. 地域愛着(持続願望)は地域愛着(選好・感情)と比べると様々な要素と関連が薄く,来訪意欲との関連も薄い.アニメツーリズムの展開を促す上では有効な指標とはいえないと思われる.Ⅳ 聖地移住のプロセス 聖地巡礼を通じた認知や体験によって地域愛着(選好)→(感情)というように深い次元の地域愛着の醸成に繋がり,これがプル要因となっていた.その際,自然的環境や都市的環境に加え,アニメ聖地巡礼に特有なものとして「地域の人のあたたかさ」「ファンの集う場所」といった社会的環境や「地域に根付いたアニメの存在」が認知され,アニメが媒介となって自らと地域の結び付きを感じる状態になっていた.前環境への不満がプッシュ要因となった場合もあったが,必ずしも移住の決断に際して必要な条件ではなかった.また移住者・移住希望者交流会の定期開催が近年の移住者数の増加に寄与しており,そこでもアニメを通じたコミュニティの形成が参加への障壁を下げ情報交換を促し移住の決断を後押ししていたと考えられる.謝辞:調査にご協力頂いたアニメファンの皆様,沼津市の方々に心より感謝いたします.参考文献風呂本武典 2012. 過疎地域におけるアニメ系コンテンツツーリズムの構造と課題—アニメ「たまゆら」と竹原市を事例に.広島商船高等専門学校紀要 34:101-119.喜馬佳也乃・坂本優紀・川添 航・佐藤壮太・松井圭介 2018. リピーターの観光行動からみたアニメツーリズムの持続性—茨城県大洗町「ガールズ&パンツァー」を事例として.筑波大学人文地理学研究 38:13-43.
著者
澤 宗則 南埜 猛
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2020年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.70, 2020 (Released:2020-03-30)

1.問題の所在日本において, 「インド料理店」が急増している。しかし新規店舗は, ネパール人経営者と料理人であることがほとんどである。しかも, チェーン店化していてもあまり繁盛しているようには見えない。本発表ではネパール人経営の「インド料理店」が急増している理由・背景の解明を出発点として, ネパール人移民のエスニック戦略を神戸市を事例として明らかにする。エスニック戦略とは, エスニックな社会集団の構成員が, そのネットワークを社会関係資本(Social Capital)として活用しながら, ホスト社会の中で独自に実践する方策である。日本ではベトナム人とならびネパール人の移民が急増している。ネパール人は日本語学校の留学生(いわゆる「出稼ぎ留学生」 が多い), 「インド料理店」の経営者・料理人, および料理店関係者の妻子が主である。2.神戸市のネパール人神戸市もネパール人は急増している。東灘区深江浜に食品工場(弁当・冷凍食品など), 中央区・東灘区に多くの日本語学校・専門学校が立地し, 両区にネパール人は多い。食品工場の労働者は, かつては「日系人」が主力であったが, 現在は日本語学校のベトナム人・ネパール人などの留学生や, ネパール人料理店経営者や料理人の妻子が主力となった。日本語学校は, 東日本大震災(2011年)以降減少した中国人学生の代替としてベトナム人とネパール人学生を積極的に増やした。人手不足のコンビニ, 食品工場, ホテルのベッドメーキングが, ネパール人留学生と料理人の妻子のアルバイト先となった。3.神戸市の「インド料理店」のエスニック戦略神戸市のインド料理店も急増し, 新規店舗の多くはネパール人経営である。「インド料理店」とは, インドカレーを看板メニューにした飲食店であるが, 経営者がインド人, パキスタン人, ネパール人でその経営戦略が大きく異なる。①インド人経営の場合, 古くからのインド人集住地(中央区北野〜三宮)に集中し, インド人定住者向けの料理店を発祥とし, 現在は日本人(観光客を含む)向けのやや高級な非日常的なエスニック料理を提供する。食事も内装もインド伝統にこだわる。ウッタラカンド州のデヘラドゥーン周辺出身からのchain migrantがほとんどである。②パキスタン人経営の場合, 中央区の神戸モスク・兵庫モスクのそばにハラール食材店とともに局地立地。ムスリムが主な顧客で, ハラール食材のみ使用し, アルコール飲料も原則置かないため, 収益はあまり期待できない。経営者は, 中古車貿易業が主であり, 料理店は食事面で不便なイスラム同胞のために開始したサイドビジネスであることが多い。印パ分離独立(1947年)にインドからパキスタン・カラチに避難したムスリムが多い。③ネパール人経営の場合, 駅前・郊外・バイパス・ショッピングモールなどに居抜きで出店(出店料を抑える)。昼はランチ1000円未満のセット(ナン食べ放題など)を提供する定食屋, 夜は飲み放題などの居酒屋として, コストパフォーマンス重視の戦略である。主な顧客は日本人である。経営不振の際は夜にもランチメニューを導入, さらには価格を下げることで対応しているが効果は薄い。経営赤字は妻子の収入(食品工場・ベットメーキング)で補填している。できる限りチェーン店化を進め, 兄弟, 親戚, 同郷者を呼び寄せる。チェーン店化が進むほど, チェーンマイグレイションが進む。山間部のバグルン周辺出身者がほとんどである。必ず実家へ送金し(料理人の月収は約13万円, 生活費3万円, 残りの10万円送金), 実家の子どもの教育に投資, さらには実家が平野部の都市・チトワンに移動する場合もある。日本のネパール人留学生が卒業後, 料理店を起業する場合も増加した。さらには, 出身地で「日本語学校」を起業する場合もある。4.エスニック料理店のエスニック戦略「エスニックビジネス」としての「インド料理店」はそれぞれの地域の資源(顧客層)を独自に読み解きながら, エスニックネットワークを社会関係資本として活用し, 独自のエスニック戦略のもと経営を行っている。「エスニックビジネス」を単体のみで考えるのではなく, トランスナショナルな領域で形成されている社会関係資本の一部として考える必要がある。
著者
平峰 玲緒奈 青木 かおり 鈴木 毅彦
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2020年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.238, 2020 (Released:2020-03-30)

1.はじめに火山砕屑物の一つである軽石は,多孔質であるために水に浮くこ とが多い.そのため,海域での漂流を開始した軽石は,海岸に打ち上げられるか,海底に沈むまで,漂流し続けると考えられている(加藤,2009).このような軽石は,「漂着軽石」や「漂流軽石」と呼ばれ, 海岸や地層中から発見・認定されてきた.地層中に認定される漂着軽石は,年代指標,古環境指標として利用できると期待される.しかし,漂着軽石に関する基礎的な研究は少なく,それらの漂流・漂着に関わるプロセスは明らかになっていない.日本列島とその周辺海域では,1986 年の福徳岡ノ場噴火以降, 大量の軽石を海域に供給する噴火は発生していないにもかかわらず,現在の日本列島の海岸には軽石が漂着している.これは,噴火活動以外に海域へ軽石を供給する仕組みがあること示唆する. しかし,日本の複数地点で,ほぼ同時期に漂着軽石を調査した例 は存在しない.また,軽石を海域へ供給する噴火が発生していない「平穏時」における漂着軽石の給源やそれらの地理的分布は不 明である.そこで,本研究では,記載岩石学的特徴に基づき日本列島の現世海岸における漂着軽石の給源とその地理的分布を明らかにし,海域への軽石供給の仕組みや,漂着軽石の漂流・漂着に関するプロセスを解明することを目的とした.2.研究手法沖縄県西表島から青森県下北半島にかけての,日本列島の海岸25 地点から採取した漂着軽石120 試料について,肉眼的特徴による分類を行い,個別に粉砕した試料を洗浄,ふるい分けし,63-120 μm サイズの火山ガラスを用いて主成分化学組成分析を実施した. 分析には高知大学海洋コア総合研究センターの共同利用機器であるEPMA(日本電子株式会社製 JXA-8200)を使用した.3.結果・考察漂着軽石は,幅の狭い浜など漂着物が保存されにくい海岸を除くと全ての海岸で確認された.浮遊しやすい発泡スチロールやクルミなどが多く漂着する海岸では,漂着軽石も多く見出された.EPMA 分析の結果,漂着軽石は13グループに分けられた.13グループの中で,給源が推定可能なものは4グループあり,その給源となるテフラは,姶良カルデラの約3万年前(Smith et al., 2013)の 噴出物である姶良Tnテフラ(AT:町田・新井,2003),十和田火山 の約1万5千年前の噴出物である十和田八戸テフラ(To-H:町田・ 新井,2003)と AD915 年の十和田aテフラ(To-a:町田・新井,2003),1924 年の西表島北北東海底火山噴出物,1986 年の福徳岡ノ場噴出物である.AT起源の漂着軽石は日本各地の海岸から見出され,青森県の下北半島を最北端,沖縄県の西表島を最南端として確認された.特に,西表島で見出されたAT 起源の漂着軽石は,周辺の海流系を考慮すると,黒潮,黒潮続流,北赤道海流等 での漂流を経て,再度,黒潮本流に合流し,当該地域に漂着した可能性がある.また,鹿児島県奄美大島の海岸から,十和田火山起源の漂着軽石も見出されており,AT起源の軽石同様に,漂着軽石は海流により太平洋上を循環している可能性が示唆される.現世の海岸に分布する漂着軽石は,噴火により直接海域に流入した可能性と、陸域に一次堆積した火砕物が,二次的な移動により海域に流入した可能性がある.約3万年前(Smith et al., 2013)の噴出物である AT起源の漂着軽石は,日本列島各地の海岸で見出さ れた.また,AT噴火の火砕流堆積物は,入戸火砕流堆積物 (A-Ito:町田・新井,2003)として給源近くに厚く分布し,火砕流台地であるシラス台地を形成しており,海岸沿いや開析谷沿いに広く露出している.以上を考慮すると,火砕流堆積物が海岸侵食や崩壊,土石流により二次的に移動し海域へ流入したものが,漂着軽石として現世海岸に分布すると考えられる.つまり,陸域に分布する軽石主体の堆積物の二次的な海域への運搬が,平穏時における軽石供給の主要なメカニズムであると考えられる.4.まとめ本研究結果から,軽石を海域に供給する噴火が発生していない平穏時であっても,現世海岸には漂着軽石が多く分布していることがわかった.給源テフラの推定結果から,最近100年間に発生した海底噴火に伴うものと1万年以上前の大規模噴火に伴うものが見出された.特に1万年以上前の大規模噴火に伴うものは,現在火砕流台地を広く形成しており,それらの二次的な移動が平穏時における継続的な軽石供給の重要なメカニズムであると考えられる.
著者
鈴木 晃志郎 伊藤 修一 于 燕楠
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2020年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.31, 2020 (Released:2020-03-30)

研究目的 異なる2種の点分布間の空間的関係を分析する方法である最近隣空間的随伴尺度(以下NSM)は,地理学では商業集積の分析などに用いられ,多くの成果を挙げてきた(Lee 1979, 石﨑1998).NSMは異なる2つの点分布傾向の随伴性を示す指標であり,ランダム分布である1を挟んで値が大きいほど2者は互いに避け合うように分布し,0に近いほど異なる2種の点同士が近接していることを示す.従って,2種の点分布でさえあれば,使用データが小売店舗などの位置情報である必要はないはずである. 超常現象が何であるにせよ,それらが超常現象となり得るには,何処かで何者かに認知されなければならない.ゆえに,共有された心霊スポットの布置は,社会が超常現象の舞台に与えた価値づけや役割期待の反映と目しうる.本発表はNSMを用いて,心霊スポットの空間分布特性をその他施設の分布傾向から検討することを試み,そこから怪異に投影された社会的役割を捉えることを企図している.主たる関心は,見えない怪異を地理学的・定量的に可視化することに注がれ,超常現象や心霊スポットそのものへのオカルティズム的関心は有しない.研究方法・分析対象 インターネット最大の心霊スポット紹介サイト「全国心霊マップ」から2019年11月入手した心霊スポットの全国住所データ1690件をサンプルとし,国土数値情報の公共施設データを別途用意してQGISで座標値を取得, NSMにより二者の随伴性を検討した.結果 結果を以下の表に示す.紙幅の都合から詳細は述べないが,仮説と反し公共施設のほぼ何れとも異なる独自の分布傾向を示すことが分かった.更に分析を進め,口頭発表では追加データやGIS による解析結果を示す予定である.文献:石﨑研二 1998. 店舗特性・立地特性からみた世田谷区におけるコンビニエンス・ストアの立地分析. 総合都市研究65: 45-67.Lee, Y. 1979. A nearest neighbor spatial-association measure for the analysis of firm interdependence. Environment and Planning A 11: 169-176.
著者
牛山 素行
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2020年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.44, 2020 (Released:2020-03-30)

台風2019年19号および10月25日の発達した低気圧による大雨(以下「台風19号等」)による死者・行方不明者101人を対象に,筆者が整理している最近約20年間の風水害(以下「1999-2018」)による死者・行方不明者(「犠牲者」)1259人の発生状況と比較し,主にその発生場所に関する特徴を速報する.「洪水」(河川からあふれた水に起因する犠牲者),「河川」(増水した河川等に接近して転落など)犠牲者で,発生位置が推定できた者について,国土交通省「重ねるハザードマップ」を元にその場所が浸水想定区域(計画規模)または浸水想定区域(想定最大)の「範囲内」か検討すると,1999-2018(集計対象270人)では「範囲内」または「範囲近傍」(図上で30m以内)が4割程度だが,台風19号等(同68人)では7割程度だった.「重ねるハザードマップ」に示された「地形分類(自然地形)」,「土地分類調査」等により地形分類との関係を見ると,1999-2018,台風19号等ともに犠牲者のほぼ全員が「低地」で発生した.中小河川では浸水想定区域の指定が進んでおらず「範囲外」となりやすいが,地形分類図を用いれば補完が可能と示唆された.しかし,地形分類図は複数の作成体系があり,地域により凡例も異なるなど,広く一般に利用は薦められないのも現状であり,さらなる工夫が必要だろう.
著者
奥山 加蘭
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2020年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.173, 2020 (Released:2020-03-30)

日本では近年,多くの地震が発生しているが地震発生の時期や規模を正確にことは困難である.一方地震は繰り返し起こるとされており,過去の地震の被害状況を復元することは今後の防災を講ずる上で重要な情報となる.昭和19年東南海地震は戦時中に発生した地震であり,詳細な公的記録がほとんど残っていない.そこで本研究では数少ない地震体験者に体験談や資料を収集することで昭和19年東南海地震の被害状況をできるだけ詳細に明らかにし復元することを目的とする.またどうしてそのような被害が出たのかを地形条件と対応させて分析する.
著者
荒堀 智彦
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2020年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.205, 2020 (Released:2020-03-30)

1. 研究の背景と目的 グローバル化が進む現代社会において,世界各地で発生している新興・再興感染症の問題は,公衆衛生上の新たなリスクとなっている.インフルエンザについては,2017年に世界保健機関(WHO)がインフルエンザリスクマネジメントに関する基本方針を発表した.その基本方針の一部には,社会包摂的アプローチの導入が提案されている(WHO, 2017).そこでは,世界レベル,国レベル,地方レベル,コミュニティレベルの各レベルで,経済,交通,エネルギー,福祉などの各分野が協同でリスクマネジメントに取り組むことが明記されている.感染症を撲滅するのではなく,いかにして予防・制御していくのかに重点が置かれ,日常的な備えとして,各レベルにおける効果的な情報配信とリスクコミュニケーション体制の整備が求められている. 世界各国では,感染症の状況把握と分析のために感染症サーベイランスを運用し,サーベイランス情報を地理情報システム(GIS)に組み込んだ,Webベースのデジタル疾病地図の整備が進められている.加えて,それらのツールを利用したリスクコミュニケーションへの応用も行われている(荒堀,2017). 日本では,厚生労働省と国立感染症研究所を中心とした感染症発生動向調査(NESID)が国の感染症サーベイランスシステムとして構築され,1週間毎の患者数や病原体検査結果が報告されている.しかし,NESIDで収集されるインフルエンザ情報は,報告する定点医療機関が5,000と限られており,全国における流行の傾向を知ることには適しているが,地方レベル以下のローカルスケールにおける詳細な流行状況を知ることには適していない.そこで本研究では,日本の各地域における感染症予防と制御に向けたWebベースの疾病地図の利用状況について,調査を行った.2. 感染症専門機関データの収集と構築 本研究では,日本全国の感染症専門機関および地方自治体のWebサイト調査を実施した.調査に先立ち,感染症専門機関および地方自治体のWebサイトのデータ収集を行い,専門機関のデータを構築した.対象となる専門機関および自治体数は82地方衛生研究所,552保健所,1,042医師会,1,977地方自治体である.3. 疾病地図の利用状況 Webサイト調査の結果,地方レベル以下の空間スケールにおける感染症情報を提供している機関・自治体は,332の専門機関および地方自治体のみであった.その内訳は,57地方衛生研究所,116保健所,108医師会,51地方自治体であった.サーベイランスの空間スケールは,一般に,専門機関や地方自治体の管轄に対応している.しかし,医師会は,郡および市の医師会レベル,市区町村レベル,公立学校区レベル,丁目および字レベル,学校施設レベル,病院および診療所レベルなど,さまざまなレベルで提供されていることが明らかとなった.疾病地図による可視化を行っている56の機関および地方自治体のうち,WebGISを使用しているのは3機関のみであり,htmlまたはPDFの画像形式によるものが中心であった. 東京都,愛知県,兵庫県,広島県など大都市を含む都道府県に位置する専門機関や地方自治体においては,保健所レベル以下のローカルスケールのデータを提供していることが明らかとなった.これらの地域に位置する自治体は中核市であることが多く,保健衛生に関する権限委譲に伴う機能の多様化が背景にあると推察される.4. まとめ 調査の結果,日本のローカルスケールにおける疾病地図・WebGISの活用事例は少ないことが明らかとなった.現状では,地図をリスクコミュニケーションに活用するというよりは,情報をWeb上に一方的に流している状態であるといえる.加えて,使用されている疾病地図は,地域特性を反映しているものが少ない.リスクコミュニケーションには,専門家と非専門家(地域住民)との対話が欠かせない要素になる.そのため,リスクコミュニケーションツールとしての対話型地図に関する議論が必要になると考えられる.
著者
遠城 明雄
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2020年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.79, 2020 (Released:2020-03-30)

1. はじめ19世紀後半以降の近代世界の到来およびそれとの接合という経験において、近代以前に起源を有する地域の祭礼はどのような変化を遂げてきたのであろうか。この問いを人々の意識や行動に寄り添って考えてみる、というのが本報告の試みである。博多祇園山笠は、福岡市の都心に位置する博多地区の櫛田神社で毎年7月1日から15日まで行われる奉納行事である。同地区には近世に起源を有する町の集合体である「流(ながれ)」という地縁的な自治組織があり、この組織が山笠を建設し運営する。七つの流があり、それぞれの地区内で男性が「山」(車輪がついていない山車)を舁き廻って地域の安寧や悪疫の退散を祈願するが、最終日に行われる「追山」は七つの山が同じ順路を移動する行事であるため、タイムを競う雰囲気が高まる。すでに明治期の新聞にも詳しいタイムが報じられており、この祭礼が神事であると同時にレース的な特徴を有することが、参加者と見物人の両者を熱狂させるひとつの要因になっていると思われる。 柳田國男(1942)によれば、「見物と称する群の発生」による祭の変化は明治以前から始まっていた。博多祇園山笠の場合は、近世期から見物人としてのみならず、参加者(「加勢人」)としても、周辺の村人たちが多数博多に足を運び、都市の文化に触れ、それに実際に関与しており、時に祭りの進行を妨げる諍いを起こす場合もあった。山笠行事は、都市内部の地縁組織の想像的な共同性を強化するにとどまらず、都市と農村の人的な接触を生み出すことで、両者の差異を際立たせると同時に、その相互依存的関係を実感させる場になっていたと思われる。 2. 祭礼をめぐる行政と地域社会明治以降、山笠行事をめぐって行政・警察と地域住民の間に激しい対立が幾度もあった。その裸体と「蛮風」、飲酒、時間と資金の浪費、交通への妨げといった理由から、この行事は近代という時代にそぐわないものであるというのが前者の基本認識であり、さらに祭りを通じて醸成される地域の連帯感や共同性の感覚が、市・県の行政執行の妨げになること、また行政・警察への日常的不満が非日常の解放感のなかで、暴力を伴って爆発しかねないことなども懸念されていた。こうした対立は1920年代も続くが、市中心部の人口減少や経済不況などにより山笠行事が衰退すると、福岡市は1937年、観光振興や国策との関連などの理由で、山笠行事に補助金を支給するようになった。地域内外の状況の変化が、山笠を市公認の「伝統行事」に変えていったと言える。 3. 1910年の福岡市と博多祇園山笠 本報告では特に1910年という年に着目してみたい。この年は、その後の福岡市の発展にとって、ひとつの転機になったという評価がある。九州沖縄八県聯合共進会の開催を契機として、市の中心部を東西につなぐ新たな道路が開鑿され、そこに市内電車が敷設・運行されるなど、福岡・博多の空間構造は大きく変容したのである。福岡市はこの社会基盤整備を土台として、近代都市への離陸を果たしたと言えるかもしれない。さて、この時に山笠行事の廃止あるいは継続をめぐって、地域有力者らの意見が地元新聞に掲載されている。その多くは山笠の廃止や行事内容の変更を主張するものであり、こうした有力者らの見解の背景には、地域住民の山笠に対する意識の変化も感じられる。近代性を象徴する諸施設が目の前に具現化されることを通して、人々の場所に対する感性にも揺らぎが生じていたのかもしれない。ただし、地域における話し合いの結果、最終的にこの年の山笠行事は変則的な形ではあったが実施され、その後も継続されることになった。そして、それを可能にした論理は、近代性に対する民衆なりの対抗でもあったと思われる。このように1910年は福岡市、そして山笠行事の過去と現在を考える上でも、興味深い年であると考えられる。本報告は多くの限界を抱えているが、これらの新聞記事を読むことで、最初に掲げた課題に接近してみたい。
著者
野上 道男
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2020年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.17, 2020 (Released:2020-03-30)

『周髀算経』の一寸千里法は「魏志倭人伝」解読の里程論における基本的な論拠であるとして、多くの研究がなされてきた。これまで取り上げられることの少なかった『淮南子』天文訓の一寸千里法と比較すると、『周髀算経』巻上の「栄方陳子問答」の一寸千里法は、太陽の大きさや日影長を観測せず、しかも『淮南子』の方法を改竄開陳するときに、いくつかの誤りを犯している、と判断される。
著者
松尾 卓磨
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2020年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.101, 2020 (Released:2020-03-30)

1.はじめに ジェントリフィケーションと立ち退きの関係性に焦点を置き様々な角度からジェントリフィケーション研究をレビューしている5つの論考が2018年から2019年にかけて相次いで発表された(Zhang and He, 2018; Zuk et al., 2018; Cocola-Gant, 2019; Easton et al., 2019; Elliott-Cooper et al., 2019)。いずれの論考もジェントリフィケーションの研究史の中では比較的新しく2018年と2019年という短期間に集中的に発表されたものであり、いずれの論考の表題にもジェントリフィケーションと立ち退きの両方が含まれ、さらにジェントリフィケーションによる立ち退きの類型化を行ったピーター・マルクーゼの研究(1985; 1986)への言及が見受けられる。本発表ではこれらの共通点に着目し、ジェントリフィケーション研究において立ち退き概念やマルクーゼによる立ち退きの類型化がいかに位置づけられ、どのように新たなアプローチが模索されているのかという点について検討する。研究方法としては基本的にはマルクーゼの研究内容や上記の5つの論考の内容を参照し、それらの研究において提示されているジェントリフィケーション研究における立ち退き概念や今後のジェントリフィケーション研究に必要な視点や研究方法を整理する。2.結果 マルクーゼはニューヨークを事例として不動産物件の放棄、ジェントリフィケーション、立ち退きの関係性について論じる中で、ジェントリフィケーションによって引き起こされる4種類の立ち退き、すなわち最後の居住者に対する立ち退き、連鎖的に進行する立ち退き、排他的な立ち退き、立ち退きの圧力の4つを提示した。最初の2つの立ち退きは直接的な立ち退きであり、漸進的な過程の最後の段階に着目するのか、より長い時間軸で捉えるのかという着眼点の違いに基づいて2つに分類されている。そして後者の2つは間接的な立ち退きにあたり、これらは立ち退きの内容の違いにより重点が置かれて分類されている。ジェントリフィケーション研究が進展する中では特に間接的な立ち退きへのアプローチが新築のジェントリフィケーション、小売業のジェントリフィケーション、教育での立ち退きなどの把握の際に応用されている。しかしながら、このマルクーゼによる類型化は依然として高く評価されてはいるものの、この類型化が1980年代のニューヨークの状況に基づいて提示されたものであるという点には留意しなければならない。この点に関してElliott-Cooper et al.(2019)はジェントリフィケーション研究のレビューを通じてジェントリフィケーションと立ち退きに対する多角的なアプローチの必要性を指摘している。彼らは「立ち退きの現象学的側面や情動的側面、立ち退きという経験に内在する怒りや絶望」を理解する必要があると主張し、さらにAtkinson(2015)を参照しながらジェントリフィケーションによる立ち退きを「居住者とコミュニティの繋がりを断ち切る『アンホーミング』の過程」として捉える視点を提示している。こうした視点は、ジェントリフィケーションに直面し立ち退かされる人びとのアイデンティティや心理へのアプローチを促すものであり、ジェントリフィケーションおよび立ち退きへの抵抗に関するアプローチとも密接に関連している。そしてElliott-Cooper et al.(2019)を含む近年発表された5つの論考においては、多種多様な視点や方法論に言及されながら検討されるべき重要な論点が数多く提示されており、例えば「サンドイッチクラス」や元ジェントリファイアー、公共投資によって進められる政府主導のジェントリフィケーション、そしてビッグデータを使用した立ち退きの定量的研究などにも言及されている。3.結論 先行研究の整理を通じて、近年の研究においてもマルクーゼによる立ち退きの類型化の重要性が認められており、ジェントリフィケーション研究の文脈においては依然として頻繁に参照されているということが明らかとなった。そして本研究で参照した5つの論考がその点を裏付ける重要なレビュー研究の事例であるということも確認することができた。ジェントリフィケーションの定義やジェントリフィケーションへのアプローチの多様化は同時に立ち退きの定義やアプローチの多様化も意味している。そのため今後の研究ではジェントリフィケーションの研究史における概念やアプローチの展開、そしてそれらの重要性を十分に踏まえながら、そうした先行研究で提示されている視点、概念、事例研究が応用されていくことが期待される。[謝辞] 本研究には日本学術振興会科学研究費補助金(特別研究員奨励費:課題番号18J23295)を使用した。
著者
近藤 昭彦
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2020年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.109, 2020 (Released:2020-03-30)

2019年秋季に千葉県は台風15号、19号および台風21号の影響による風水害に見舞われた。一連の災害で最も広域の被害があったのは台風19号であり、この時は千葉県はむしろ被害は少ない印象を報道は与えたように思う。台風19号が、その後開催されたシンポジウム等では中心課題となったようである。しかし、連続する風水害が三重苦となった地域も多い。これは災害に対する外からのまなざしと内からのまなざしの違いといえる。前者では研究の成果の公表、後者では行政による災害対応、ボランティアや被災者自身を含めた復旧・復興が具体的なアクションとなるが、災害をわがこと化し、ふたつのまなざしを融合させる意識の醸成が大切だろう。 台風15号による強風は家屋の破壊、送電網の切断、倒木等の被害が生じたことはこれまでに報告されている通りである。災害の誘因は強風であるが、素因としての人間的側面をいくつか挙げることができる。・建物の老朽化:人口減少、高齢化と関連・雨戸の機能の失念:伝統的家屋の機能の再認識・森林管理の不全:拡大造林とその後の林業の不振 長引く停電は多くの家庭で不便を生じさせたが、多くの場所で末端の電信柱が倒れたため、復旧が追いつかなかったためである。これは送電システムに対する課題であり、これを機に自然エネルギーの活用策が進むと良いと思う。 土地利用、土地条件および地形と水害の関係は地理学の課題であり、防災、減災の要といえる。今回もこれらの関係が説明可能な事例が多く見られた(仮説を含む)。・JR佐倉駅東方高崎川鏑橋における氾濫(台風21号) 市街地が高崎川の沖積低地に発展したため、高崎川が市街地に入る部分が狭窄部となっており、従前から治水上の課題であった。・茂原の氾濫(台風21号) 概ね想定された範囲で浸水が発生したが、この地域は天然ガス鹹水の揚水による地盤沈下が進行している。地盤沈下と治水安全度の関係は現時点では不明であるが、受益と受苦の関係性に関わる社会的な問題でもある。・八街市の氾濫(台風21号) JR八街駅は台地上にあり、台地面上に市街地が発達している。関東ローム層底部には常総粘土層が発達しており、昔から湿潤な土壌を好む里芋の産地である。台地上によく見られる皿状地(台地の離水過程で形成された地形)では従前から夕立程度の雨でも広く湛水する地点が多数存在した。・長柄町、長南町の氾濫(台風21号) 丘陵地帯に位置する長柄町、長南町でも氾濫が発生した。ハザードマップはできていたが、浸水想定区域外でも浸水が発生した。この地域は上流部に塊状泥岩である笠森層が分布し、降雨時に飽和帯が発生しやすい。地質の特徴が急な浸水の発生を促した可能性がある。 以上のように、土地条件と水害の関連を地理学的知識に基づいて説明することは可能である。知識を智慧に変え、短期的だけではなく長期的な観点から災害に強い地域を創ることは地理学に課せられた課題であろう。 現在、多くのダムでは事前放流を行い、豪雨に備える対策をとっている。印旛沼でも台風15号の際に事前放流を行い、水位を下げた結果、沼の水位を低く抑えることができた。二つの排水機場を動作させなかった場合は水位は計画高水位を超えたであろうことを水資源機構は報告している。また、印旛沼土地改良区では排水ポンプを止めて、収穫後の水田を湛水させることにより印旛沼の水位上昇抑制に貢献している。隠れた努力、行為を知ることも防災意識向上への契機となりえる。 君津市久留里では台風15号により停電、断水等の被害に見舞われたが、上総掘りの自噴井が役に立ち、給水車を他地域に配置ができた事例があった。浅層地下水が利用できる富里市では発電機によるポンプの稼働で給水ができたという話を聞いた。地域の自然資源の活用は災害に強い地域づくりの要となるだろう。 ハザードは避けられないものだとしても、それをディザスターにしない方法を地理学的知識に基づき、生み出すことがでる。それが防災に関わる教育の目標である。一方、我々は近代文明の成果である治水施設により守られていることを知ることも重要である。 災害は地域で発生するので、地域ごとに素因を明らかにすることによって地域の安全を創り出すことができる。本文では十分な検証を経ずして記述している部分もあるが、今後の防災教育では地域の人が地域を知ることにより、地域の安全に関わる知識を生み出すことが災害に対して強い地域を創り出すことになる。それが必履修化される「地理総合」の目指すところではないだろうか。
著者
渡邊 三津子 遠藤 仁 古澤 文 藤本 悠子 石山 俊 Melih Anas 縄田 浩志
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2020年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.265, 2020 (Released:2020-03-30)

1. はじめに 近年,大野盛雄(1925〜2001年),小堀巌(1924〜2010年),片倉もとこ(1937〜2013年)など,日本の戦後から現代にいたる地理学の一時代を担った研究者らが相次いで世を去った。彼らが遺した貴重な学術資料をどのようにして保存・活用するかが課題となっている。本発表では,故片倉もとこが遺したフィールド資料の概要を紹介するとともに,彼女がサウディ・アラビアで撮影した写真の撮影場所を同定する作業を通して,対象地域の景観変化を復元する試みについて紹介する。2. 片倉もとこフィールド資料の概要 片倉が遺した研究資料は,フィールド調査写真,論文・著作物執筆に際してのアイデアや構成などを記したカード類,フィールドで収集した民族衣服,民具類など多岐にわたる。中でも,写真資料に関しては,ネガ/ポジフィルム,ブローニー版,コンタクトプリントなど約61,306シーンが確認できている(2018年12月現在)。本研究では,片倉が住み込みで調査を実施した経緯から,写真資料が最も多く,かつ論文・著作物における詳細な記述が遺されているサウディ・アラビア王国マッカ州のワーディ・ファーティマ(以下,WF)地域を対象とする。3. 片倉フィールド調査写真の撮影地点同定作業 本研究では,以下の手順で撮影地点の同定をすすめた。1) 調査前の準備(写真の整理と撮影地域の絞り込み) まず,写真資料が収められた収納ケース(箱,封筒,ファイルなど)や,マウント,紙焼き写真の裏などに書かれたメモや,著作における記述を参考に,WF地域およびその周辺で撮影されたとみられる写真の絞り込みを行った。次いで,WF地域で撮影されたとみられる写真の中から,地形やモスクなどの特徴的な地物,農夫などが写り込んでいる写真を選定し,現地調査に携行した。2) 現地調査 2018年4〜5月,2018年12月~2019年1月,2019年9月の3回実施した現地調査では,携行した写真を見せながら,現地調査協力者や片倉が調査を行った当時のことを知る住民に,聞き取り調査を行った。 次に,撮影地点ではないかと指摘された場所を訪れ,背景の山地,モスクや学校などの特徴的な地形や地物を観察するとともに,周辺の住民にさらなる聞き取りを行った。 聞き取りや現地観察を通して撮影地点が特定できた場合には,できるだけ片倉フィールド調査写真と同じ方向,同じアングルになるように写真を撮影するとともにGPSを用いて緯度・経度を記録した。なお,新しい建築物ができるなどして同じアングルでの撮影が難しい場合には,可能な限り近い場所で撮影・記録を行った。3) 現地調査後 調査後は,調査で撮影地点が同定された写真を起点として,その前後に撮影されたとみられる写真を中心に,被写体の再精査を行い,現地調査で撮影地点が同定された写真と同じ人物,建物,地形などが写り込んでいる写真を選定し,撮影同定の可能性がある写真の再選定を行った。一連の作業を繰り返すことで,片倉フィールド調査写真の撮影地点の同定をすすめた。4. 写真の撮影地点の同定作業を通した景観復元の試み 撮影地点が同定された片倉のフィールド調査写真と、現在の状況との比較,および1960年代以降に撮影・観測された衛星画像との比較を通して,およそ半世紀の間におこった変化の実情把握を試みた。例えば衛星画像からは、半世紀前にはワーディに農地が広がっていたのに対して,現在では植生が減少していることなどを読み取ることができる。一方で,集落では住宅地が拡大し,道路が整備された。このような変化の中、地上で撮影された写真からは,以下のような変化を読み取ることができる。例えば,1960年代の集落には,日干しレンガの平屋が点々とあるだけであったが,現在は焼成レンガやコンクリートを使った2階建以上の建物が増えた。一方で,集落内のどこからでも見えた山はさえぎられて見えなくなった。また,次第に電線が張り巡らされ,1980年代以降電化が進んだ。また,1960年代当時は生活用水をくむために欠かせなかった井戸は,配水車と水道の普及により次第に使われなくなった。発表では,実際の写真を紹介しながら,フィールド写真を用いた景観変化復元の試みについて紹介する。 本研究はJSPS科研費16H05658「半世紀に及ぶアラビア半島とサハラ沙漠オアシスの社会的紐帯の変化に関する実証的研究」(研究代表者:縄田浩志),国立民族学博物館「地域研究画像デジタルライブラリ事業(DiPLAS)」,大学共同利用機関法人人間文化研究機構「現代中東地域研究」秋田大学拠点の研究成果の一部である。また,アラムコ・アジア・ジャパン株式会社と片倉もとこ記念沙漠文化財団との間で締結された協賛金事業の一環として事業の一環として行われたものである。
著者
阿部 諒
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2020年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.240, 2020 (Released:2020-03-30)

かつて世界一周は限られた人が行うものであった。2000年代以降,世界一周する日本人旅行者は増加していると考えられる。その背景には治安の改善やSNSの普及,さらには世界一周航空券の販売がある。現代の世界一周旅行は多様性に富み,旅行を通じてさまざまな人びとが世界各地を訪れるようになった。しかし,筆者自身の世界一周旅行の体験からも,現代の世界一周旅行は多様化しつつも,それぞれの旅行者の行動には共通点や類似性があると考えられた。本研究では世界一周を「日本から西もしくは東方向に太平洋と大西洋を一度ずつ横断し,各地を観光・見物して戻ってくること」定義し,日本人世界一周旅行者の行動の空間的特徴を明らかにする。世界一周旅行は旅行者個人にとって,人生における「究極の旅行」であり,通常の旅行とは異なる意義をもつ。必然的に,その行動には世界一周旅行独自の様式や空間的特徴があると考えられる。 世界一周旅行者の情報は書籍,聞き取り調査,アンケート調査およびブログから入手した。聞き取り調査,アンケート調査は2019年3月に南米ボリビアのウユニで実施した。インターネット上で閲覧可能な100以上の世界一周旅行のブログから,既に旅行を終えている42のブログを対象とした。これらの方法で集めた世界一周旅行の情報を「訪問地」「移動」「イベント」の3つの視点から分析する。世界一周旅行者の訪問地を国別に見た場合,最も多いのはアメリカ(34人)であり,次いでペルー,スペイン(各30人),ボリビア,イギリス(各27人)であった。南米やヨーロッパ全体への訪問が目立つ一方で,東アジア各国への訪問者は少ない。具体的な訪問地として最も多かったのはウユニ塩湖(27人)で,他にも主にヨーロッパ,東南アジアの大都市と南米の有名観光地に集中している。世界一周旅行者は有名観光地,定番的観光地を中心に訪問するが,その中には通常の旅行では行きづらい場所も含まれる。一方でビザ取得の手間や治安の面から,秘境と呼ばれる地域を訪問する機会は少ない。世界一周は「無難な旅」である。 「移動」は「大陸間の移動」など,長距離移動に焦点をあてた分析を行った。その結果,アジア〜ヨーロッパ〜北米の北半球が移動の軸であり,そこから南に逸れるような形で南半球を訪れるのが一般的な世界一周ルートであるということが分かった。北半球は交通網が発達しており,移動しやすく,世界一周航空券も使用しやすい。訪問地の分析から,世界一周旅行者の多くは南米を一とする南半球の地域に強い指向性を持つことが明らかとなったが,長距離移動は北半球が中心である。南米から太平洋を横断し,帰国する際も,多くの旅行者は北半球,とくに北米の都市を経由する。世界一周旅行者は,一見行きたい場所に自由に行くように思われるが,現実的には,彼らの行動は既存の航空交通システムに強く制約される。世界一周は「制約のある旅」である。 「イベント」は旅行者が旅行中に遭遇した「想定外の出来事」を意味する。イベントは盗難,病気,交通機関のトラブル,人との出会い,の4つに大きくわけることができ,世界各地で遭遇する。世界一周旅行を通じて旅行者は「弱者」という立場に自分を置くことで自身の成長を期待する。最終的には「人との関わり」によって旅行者が少しずつ成長していき,旅行の意義を感じる。 現代の世界一周旅行は「弱者」が行う「無難ではあるが制約のある旅」である。これに加えて,各地を順番に巡っていく中で,彼らはさまざまなイベントを体験し,ゴール(帰国)する。旅行者は旅行中にイベントを通じて,困難な状況を解決するための力をつけていく。世界一周旅行はいわば「RPG」のようなものである。それが,ありきたりなコースをたどるだけの無難な旅行に,その人にとっては代え難い独自性を持たせ,世界一周旅行を意義づける。
著者
吉田 国光
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2020年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.124, 2020 (Released:2020-03-30)

1.研究課題 農村地域における代表的な経済活動の一つである農業生産をめぐって,当事者である農家間での共同作業や集団的に土地の管理が行われてきた。草刈り作業などの作業内容によっては,当該地域に居住する非農家もそれらの共同作業に関わり,地域の社会的機能が維持されてきた。他方,農村地域において,農業生産活動に経済的役割は相対的に低下してきており,農家であっても農地や用水路など農業生産に関わるインフラ等(以下,農業インフラ)を維持・管理する意欲は減退し,それらの作業を「誰がどうやって担うのか」といった問題が表面化し,一部の作業は外部化されるなかで履行されている。かつては,個別世帯や集落などの社会集団を単位として自己完結的に農業インフラが維持されてきたが,それらの担い手が集落外へも広がりつつある。そこで本発表では,近年の農業・農村地理学の成果を概観することから,農業インフラを維持・管理する担い手が再編される仕組みを地理学的に読み解く方法について検討する。2.最近の農業インフラの維持に向けた担い手の広域化 近年の農業・農村地理学においては,耕作放棄地の増加が社会問題としても取り上げられるなかで,農地管理や農作業の共同化や外部受委託を取り上げた事例研究がみられるようになった。これらの研究を通じて,明治行政村や旧町村などを単位とした地域営農組織による農地利用の維持,また他出子弟による農作業など,農地管理や農作業の共同化や外部受委託の担い手が集落外へと広がる様相が描かれてきた。これらの研究のなかで,担い手の広がりじゃ様々な地縁や血縁,その他の縁を契機として構築された事例が示されてきた。さらに,特定の農業生産法人による広域的な農作業受委託(農地貸借含む)によって,担い手の広がりが地縁や血縁を必須とせずに構築される事例が示されてきた。3.広域化する担い手を読み解く視点 農業インフラ維持の担い手が集落外にも及ぶようになりつつあるなか,担い手の広域化を可能とする地域条件の検討について,コモンズ研究の領域で社会実践も含みながら学際的に取り組まれてきた。これらの領域では,社会ネットワークや社会関係資本などをキーにしながら「どのような地域社会のあり方が,集団的な保全活動を可能にするのか」といった命題が取り組まれている。そして英語圏の地理学者らが,コモンズ研究の専門誌で社会ネットワークや社会関係資本をキーにコモンズ研究との接合を図る議論を展開している。 社会ネットワークに注目することで,従来の村落地理学では分析対象として含めにくかった,集落内外に広がる多様な主体を同列に分析の俎上へのせることが可能となった。とくにコモンズ研究の領域では,社会ネットワーク分析や社会関係資本を枠組みとして,個人や世帯を単位とした社会ネットワークの広がりや,結びつきの強弱,媒介性を可視的に示す点に強みがある。しかし,社会ネットワークの広がりを,地理的スケールの重なりのなかで捉える視点について課題がみられる。 他方,地理学においては集落など社会集団が他の集落や地方自治体,その他の機関と構築される社会ネットワークについて,集団以上の地理的スケールの重なりのなかで説明する点に強みがある。しかし,個人の社会ネットワークが集団の集合的行為として平準化される点に課題がみられ,アンケート調査で得られた地域組織の有無や会合の回数などのスコア化に頼らない分析も必要といえる。4.社会ネットワークに注目した地理学的アプローチ 農業インフラの維持の担い手を分析対象とした研究で,日本の農業・農村地理学の強みを生かした地理学的アプローチとして,社会ネットワークを定性的に分析する方法が有用と考えられる。この方法では,一つないし複数の集落というミクロな対象地域を単位とし,農業インフラの維持をめぐる個人や世帯,その他集団の行動がより大きな組織等への集団の集合的行為へ統合されていく過程を検討する際に有用と考えられる。この方法は,各地理的スケールがどのような結びつきに依拠して集団を組織しているのかといった集団の社会的特性や,その影響をおよぼす範囲の実態把握,集団を構成する個人間を結びつける社会関係に関するデータを必要とし,詳細な現地調査を必須とする。詳細な現地調査は,日本の農業・農村地理学において重視されてきた強みである。分野横断的に取り組まれる地域運営組織を分析対象に取り上げる際に,地理学の強みを活かした方法としても端的に示しやすいと考えられる。また,このアプローチはNPO法人などによるローカルガバナンスの研究や,リスケーリングの議論とも方法論的の接点を見出せ,地理学界内における研究対象を横断したような議論の共有につながるのではないかと考えられる。
著者
田嶋 玲
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2020年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.335, 2020 (Released:2020-03-30)

1.はじめに 福島県の檜枝岐村で江戸時代より伝承されている「檜枝岐歌舞伎」は,祭日に上演される「地芝居」と呼ばれるジャンルの芸能である.今日ではその伝統性・真正性が高く評価されており,福島県を代表する「民俗芸能」「伝統芸能」として多数の観光客を集めている. これまで,ある地域で伝承されている芸能を対象とした研究では,「担い手」を演者のみに限定する研究が多かった.しかし現代においては,芸能の上演は行政や観光関係者,そして観客などの多様な主体が絡み合うことで初めて成立している.本報告では,近代以降における社会変化の中で,檜枝岐歌舞伎の上演が成立する空間がどのように変化してきたか,そして,その上演の存立基盤を形成する主体がどのように多様化してきたかを明らかにする.2.観光化以降における上演空間の変容 歌舞伎は江戸時代に檜枝岐村へ伝来して以降,「大衆芸能」として村民の手で上演されており,村の紐帯ともなっていた.その在り方が大きく変化したのは戦後のことである. 昭和20年代以降,研究者によって「檜枝岐歌舞伎」が見出され,県内の芸能大会に出場しメディアに取り上げられることで「貴重な民俗芸能」となっていった.しかし,テレビをはじめとする新しい娯楽の登場と,経済成長に伴う若者の流出によって,昭和40年代には上演が困難になった. 一方その頃,檜枝岐村は奥只見ダム建設に伴う電源収入を元手に,全村を挙げて尾瀬を中心とした観光化を推し進めていた.その中で檜枝岐歌舞伎も観光資源として見出され,村内の鎮守神で上演される歌舞伎に外部から多数の観光客が集まるようになった.すると,これに対応するように上演空間も大きく変容していった. 観光客が収容しきれないほどまで増えると,境内は階段状の観客席へと造り替えられ,照明や音響設備も整えられていった.物的な面だけでなく質的な面も大きく変化した.畑作から民宿などの観光業に転換した村民は,上演日には観光客の対応に追われるようになり,上演を見るのが難しくなってしまった.その結果,歌舞伎の上演は村の紐帯という役割を失い,観客は外部からの観光客で占められるようになったのである.3.存立基盤を構成する主体の多様化 檜枝岐歌舞伎と檜枝岐村を取り巻く戦後の変化は,観客以外にも多数の主体を上演の存立基盤に加えていった. 檜枝岐村とその周辺地域では,江戸時代から各村落に地芝居が点在し,それらの上演を演技指導者や道具貸し出し業者が支えていた.戦後,その存立基盤はより複雑化していく.ミクロスケール(村内)では,観光化に伴って村民が演者・行政・民宿などの主体に細分化されていき,上演を共に支えつつも,「伝承」と「利用」のバランスを巡るせめぎ合いが発生するようになった.メソスケール(周辺地域〜県内)では,特に檜枝岐村と直接関わる地域の企業が多数の寄付を出すようになり,重要な資金源となっている.観客の多くはマクロスケール(全国)に位置する主体だが,彼らは客席を埋め尽くし,多数の拍手やカメラのフラッシュを浴びせることで,演者たちの「原動力」を湧き立たせる重要な役割を担っているのである. 戦後における社会の変化は,一度は檜枝岐歌舞伎の伝承を危うくした.しかし結果的にその変化は,上演の存立基盤に多様なスケールからの主体を招き入れることにも繋がった.現在の檜枝岐歌舞伎の上演は,こうした存立基盤の上に初めて成立しているのである.
著者
山本 卓登
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2020年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.269, 2020 (Released:2020-03-30)

Ⅰ 研究の背景と目的中山間地域の地域公共交通を支えてきた路線バス事業は,利用者の減少と他部門での収益性の悪化により厳しい状況に置かれている.自治体に移管されたのちも,収益性の改善は見込まれない.地域公共交通に関しては,工学や経済学の分野から効率的な運行形態を模索する研究,地域社会学や人文地理学の分野から事例に基づき現状や経緯の分析を行う研究など,多分野の研究蓄積がある.一方で,地理的条件や生活実態を踏まえて,保障すべき地域公共交通の内容を明らかにするような,実践的な研究が不足している.本研究は長野県下伊那郡阿南町を事例に,中山間地域の存立基盤として保障すべき,地域公共交通の内容を明らかにするとともに,具体的な運行案の提示を試みる.Ⅱ 対象地域の概況阿南町は長野県南部の下伊那郡に位置する.下伊那地域の中心都市は飯田市であるが,高校や病院を有する阿南町は周辺の村に対する中心機能を有している.阿南町の地域公共交通は幹線道路を走行し阿南町と周辺の村,飯田市を結ぶ南部公共バス,各集落と医療機関を結ぶ町民バス,近隣の村に拠点を置くタクシーがある.阿南町は,前2者の運行に関わっており,後者には半額補助のタクシー券を発行することで関わっている.なお,飯田市への交通には,町の東側に隣接する泰阜村内を走るJR飯田線も併用されている.Ⅲ 利用実態の分析に基づく保障水準の導出現状の地域公共交通の利用実態を踏まえると,阿南町における地域公共交通の合理的な保障水準は,①主に通学需要に対応するため幹線道路沿いに停留所を持つ路線を平日毎日運行すること,②主に通院需要とそれに付随する買い物需要に対応するため,集落内に停留所を持ち集落と医療機関(や周辺商業施設)を結びつける路線を週1回以上運行することであることが導出される.通院需要に対応する便の運行頻度の導出根拠は,週2回以上運行する町民バスの路線の停留所別の乗降記録から,定期的に週2回以上利用している者がいる可能性が低いことに基づいている.また,現行のタクシー券は補助率が低いため,長距離の利用では1回あたりの自己負担額が大きい.そのため病院から離れた地区の住民には利用されず,病院周辺の住民に利用が偏る現状がある.通学需要や病院への通院需要に対応する南部公共バスの運行には一定の妥当性があるため,改善案は町民バスとタクシー券のみを対象として検討した.Ⅴ 具体的な改善案と合理性の検討先述の水準に基づき改善案を示す.概要としては次の通りである.①通院需要に対応する町民バスの路線の運行頻度を週1回に統一する.②利用の極端に少ない町民バスの路線を廃止し,他の路線を一部デマンド化することで利用できる地域を拡大する.③財政支出を抑制しながらタクシー券を必要としている住民が利用できるよう,購入制限の追加や補助率の引き上げといったタクシー券の制度変更を行う.利用者にとっては,②③によって保障水準が満たされる住民が増えることに利点がある.経営に苦しむタクシー事業者にとっては,1回当たりの利用額が多い比較的長距離の利用が促進されるため増収が見込まれる.町民バスの受託事業者としては減収となるものの,課題である運転士確保の問題を緩和することになるため,許容範囲と考えられる.自治体は,出資者の立場としては財政支出の拡大をもたらさないため許容できると考えられ,地域公共交通の計画者の立場としてはタクシー事業者の経営への好影響が地域公共交通の選択肢の維持に繋がるという利点がある.Ⅵ おわりに以上,保障水準の導出,運行案の提示,合理性の主張を行った.インテンシブな調査による住民感覚の把握,検討手法の一般性を検討する事例研究の積み重ねが,今後の課題である.
著者
塩崎 大輔 橋本 雄一
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2020年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.301, 2020 (Released:2020-03-30)

1.研究目的 高度経済成長期以降,日本では大規模リゾート施設や大型保養地が各地で開発され,北海道や東北,本州内陸部といった積雪地域ではスキー場を中心としたスキーリゾート開発が進められた.しかしバブル経済の崩壊とともに,スキーリゾート地域は長らく低迷の時代を迎えた(呉羽,2017).しかし,2000年代後半から一部スキー場は外国人からの注目を集め,スキー場周辺の再開発が見られるようになった.北海道虻田郡倶知安町に位置するニセコグランヒラフスキー場もその一つである.グランヒラフスキー場が位置する倶知安町字山田はバブル経済とともに開発が活発化し,また開発エリアも泉郷や樺山といった隣接エリアにまで拡大していった.しかしバブル経済の崩壊とともに開発行為が停滞し,2000年代後半から外国人による開発が急拡大した(塩崎・橋本,2017).現在では6階以上の高層階を有する分譲型の建物が建築されているが,こうした不動産の実態は未だ不明である.そこで本研究は不動産登記情報をもとに,ニセコヒラフ地区における建物および不動産所有の実態を明らかにし,空間特性および課題を議論することを目的とする.2.研究対象地域及び研究方法 研究対象地域は北海道虻田郡倶知安町字山田,道道343号からグランヒラフスキー場にかけてのエリア(以後ヒラフ北部地区と称す)とする.本研究はまず,不動産の登記情報723件をデータベース化する.登記情報を収集するにあたっては,ZENRIN住宅地図の2017年度版に記載されているヒラフ北部地区の建物を対象とした.次に登記に記載されてある建物情報及び所有者情報から,不動産及び不動産所有の実態を明らかにする.さらに建物の立地及び建物情報,所有者情報からニセコヒラフ地区における現在の不動産及び不動産所有の空間特性を議論する.最後に当該地区の不動産と災害リスクについて考察し、これらの分析結果を総合し本研究はニセコエリアにおける地域開発を議論する。3.研究結果まず登記情報を集計した結果,ヒラフ北部地区の専有部種類は12種類登録されており,最も多いのが「居宅」で451件であった.次いで多いのが「ホテル」で114件であり,「物置」47件,「店舗」27件と続いた.建物毎に集計すると,建物内に50件以上の「居宅」を有する建物は4棟存在した.これらの建物は一般的な宿泊予約サイトにも掲載されており,「居宅」で登録された部屋が宿泊施設としても利用されている. 次に各専有部の所有者の変化を見ると,表題部に記載された所有者の所在が,倶知安町で236件と最も多かった.次に札幌市が213件と多く,東京都が85件,オーストラリアが85件,神奈川県が49件,マレーシアが4件であった.しかし売買などを経た最終的な所有者は,最も多いのが中華人民共和国で210件,次にオーストラリアが101件,シンガポールが82件とアジア圏の所有者が増加している一方で,倶知安町が32件,札幌市が19件と激減している.これにより北海道のディベロッパーがヒラフ北部地区を開発し,専有部をアジア圏の富裕層に販売している実態が明らかとなった. 各建物の立地時期を年代別に分けて表示すると,多くの建物が2010年代に開発されたものということが見てわかる(図1).また西側から南側にかけて沢が存在するが,この沢に沿う形で建物が並んでいる様子もわかる.もともとヒラフスキー場は沢に挟まれた狭矮な土地であり,地形的制約から開発が拡大しにくいため,飛び地的に泉郷や樺山エリアが開発されてきた.しかし近年ではこの沢付近でも開発が行われる傾向があり,そうして開発された建物を多くの外国人が所有する実態が明らかとなった. こうした地形は災害リスクも伴う.ヒラフ地区は沢地形のような急傾斜地が多いため,土砂災害エリアが設定されており,図1で示された多くの建物がこのエリア内に存在する.またこれらの建物には外国人オーナーはもちろん,宿泊施設としても多くの外国人が来る.こうした人たちに災害情報をどのように伝達するのか,また災害発生時にどのようにアプローチするべきなのかを検討する必要があると考えられる.