著者
麻生 将
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2023年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.298, 2023 (Released:2023-04-06)

1.はじめに 無教会主義は内村鑑三(1861~1930)によって創始されたキリスト教のグループの一つであるが,指導者や体系化された神学,儀式化された聖礼典,礼拝堂などを持たず,「既成の教会論を転倒」した運動であり,彼らの礼拝の場は「大自然という教会堂」であった(赤江 2013).すなわち既存のキリスト教の組織化,体系化された信仰実践ではなく,『聖書之研究』などの雑誌の読者によって支えられる「紙上の教会」であり,日常生活に根差した信徒たちそれぞれの場における祈りや聖書学習などの信仰実践であった(赤江 2013).このような無教会主義キリスト教の姿は近年人類学や地理学などで注目されている「生きられた宗教 Lived Religion」(McGuire 2008)とも関連すると考えられる.本発表は無教会主義キリスト教の詳細な記録を残した斎藤宗次郎(1877~1968)が描いた様々な風景画を通して,視覚資料による無教会主義の思想の検討を試みる. 2.『聴講五年』の挿絵 『聴講五年』は上・中・下の三巻,合計670ページから成るテクストで,斎藤が花巻から東京に転居した後の1926年9月から内村が死去した1930年3月までのおよそ三年半にわたる記録で,内容は今井館や日本青年館などでの聖書講義の内容のほか,内村の言葉,内村の家族の様子,内村の最期の様子,斎藤と無教会関係者との会話や活動などを記録したものである.また,斎藤はこれらの記録を内村の下での活動中から執筆していたが,第二次大戦後に清書し,1953年に完成させた.斎藤はこのテクストに膨大な文章とともに風景や人物などの数十点の挿絵を描いている.挿絵は合計62点で人物が47点,それ以外が15点で,人物を多く描いていた.人物の描き方について,内村の姿を描く際は人物を比較的大きく描く一方,集会に大勢の人々が集う様子や内村邸の庭先の数名の関係者を描く際は比較的小さめに描いていた.これらの挿絵は本文の内容と密接に関係しており,斎藤が後世に伝えるべき記録として必要に応じて描いたと考えられる.この点は近世京都名所を描いた『都名所図会』の人物の描き方との関連も考えられよう(長谷川 2010). 3.挿絵に投影される無教会主義の思想 図1の左は1929年5月16日の夕方に斎藤が現在の世田谷区の楠林で,左は1930年1月18日に現在の杉並区荻窪の林で,それぞれ祈る場面を描いた挿絵である.『聴講五年』の中で斎藤が自ら祈る場面をいわばメタ的に描いたものであるが,注目すべきは祈る自身の姿だけでなく,周辺とはるか遠くの景観を描いている点である.斎藤にとっては自分が存在する周囲の空間,そして自身の目に映る遠景も含めたまさに「生きられる空間」こそが信仰の実践としての祈りや賛美などを行う,彼にとっての「生きられた宗教」たる無教会主義キリスト教の信仰実践の場であった.こうした挿絵は斎藤の無教会主義キリスト教の信仰と思想を視覚化したものだったのである.言い換えれば,こうした風景や景観を描いた視覚資料は単に歴史的な景観を復元するだけではなく,日常的な信仰実践やその思想の研究,すなわち宗教史研究や思想史研究との接続も可能な資料なのである. (本稿の作成にあたってはJSPS科研費基盤研究(C)19K01193の助成を一部使用した.)

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