著者
北田 晃司
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.69, no.8, pp.651-669, 1996-08-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
19
被引用文献数
1 1

近代初期の非欧米諸国には,伝統的都市に行政的中枢管理機能,開港地などの新興都市に経済的中枢管理機能が立地するという二元的構造が見られ,それが後の中枢管理機能の立地にも影響した例が多い.本研究は植民地時代の朝鮮を例に,主要都市における経済的中枢管理機能および行政的中枢管理機能の立地を分析し,以下の結果が得られた. 1910年代初頭には,二元的構i造が顕著に見られた. 1920年代後半も大きな変化はないが,伝統的都市でも経済的中枢管理機能,あるいは新興都市でも行政的中枢管理機能を強化した都市が登場した.戦時体制下の1940年代前半には,工業化を背景とした北部の諸都市の経済的中枢管理機能の強化や,新たな官署の立地による都市相互の管轄関係の複雑化により,二元的構造はさらに後退した.このようななかで,京城の圧倒的優位のもとではあるが,北部では平壌,南部では釜山や大邸が,広域中心都市としての性格を持っに至った.

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@ChicyKwok ちなみに南北分断前(1942年)は 京城111万 平壌38万 釜山33万 清津23万 仁川22万 大邱21万 やったみたいです。 https://t.co/8OSybM4Ig0

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