著者
高橋 美樹
出版者
The Japanese Association for the Study of Popular Music
雑誌
ポピュラー音楽研究 (ISSN:13439251)
巻号頁・発行日
vol.10, pp.58-79, 2006 (Released:2009-10-29)
参考文献数
47

本稿の目的は1920-40年代に沖縄出身の普久原朝喜が丸福レコードにおける〈媒介者〉として、どのような実践をしていたのか明らかにすることである。制作者としての役割を果たしながら、歌手・演奏家、聴衆を仲介する人物として、朝喜の実践を分析した。結論は以下の3点である。第1に、朝喜はレコードを沖縄、日本、海外における沖縄系エスニック・コミュニティに向けて発信するスタイル、つまり〈内向き〉発信スタイルに基づきレコードを発売していた。第2に、レコード制作は沖縄固有のローカル性に富み、聴衆と販路は国境を越え流動化していた。ただし、丸福レコードの活動は国という地理的な境界は越えたが、沖縄人という民族的な境界は越えていなかった。第3に、大阪在住の朝喜の存在は沖縄移民の中継地として機能していた。朝喜は沖縄、日本、海外における沖縄系ネットワークを有効に活用し、レコード制作販売に反映させることで商業的成功を成し遂げたといえる。

言及状況

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J-STAGE Articles - 沖縄音楽レコード制作における〈媒介者〉としての普久原朝喜 https://t.co/KilCaFXV3v
普久原朝喜は大阪で当時、西淀川での訪問販売(自転車に「レコード」とのぼりを立てる)と、取次を通じた注文販売で、レコードを売っていたらしい。ターゲットである販売相手が非常に明確。 https://t.co/fiFy0F5INE

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