著者
長野 栄俊
出版者
国際忍者学会
雑誌
忍者研究 (ISSN:24338990)
巻号頁・発行日
vol.2018, no.1, pp.2-15, 2018 (Released:2020-03-05)
参考文献数
21

本稿は福井藩の忍者について、松平文庫の藩政史料を用いた考察を加えることを目的としている。 まず制度面では、従来「忍之衆」として紹介されてきた同藩忍者が、藩内では「忍之者・忍組」と呼ばれていたこと、設 置期間は慶安2 ~慶応2 年(1649 ~ 1866)であったことなどを明らかにした。また、人数や家格、給禄、居住地の変遷をたどるとともに、明治初年の元「忍之者」の人名と、歴代「忍之者預り(忍之者支配)」の人名を史料から抽出した。 次に職掌面では、探索に代表される忍び御用やかれらが担った軍役の内容について事例を紹介しながら考察した。あわせて義経流忍術の稽古や武具管理といった同藩に特有の事例を紹介し、その職掌の多様性を示した。 最後に同藩における忍之者という役職が廃止されるに至った要因として、探索対象となる情報の高度化や探索者に求められる資質の高度化があったことを指摘した。

言及状況

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福井藩の忍者に関する基礎的研究 https://t.co/fArmTNXkzh 慶安二年から慶応二年まで存続した福井藩の忍び。忍術を稽古して忍び道具携行するのはテンプレなのに、権利が株として売買されてたり、タウンマップに忍者屋敷が堂々と載ってたりするのが妙におかしい。
https://t.co/j19cmeb8yk 半弓を使える忍者だと 紐付きの印字槍或いは打根利用の例も有るのかだが https://t.co/40jWRJCeEj 福井藩の半弓利用の忍者の装備品には 此れは含まれない訳だろうか
https://t.co/40jWRJCeEj 福井藩の忍者だと下役は銃・半弓を利用出来るが 忍之者は銃は利用しない可能性も有るのかだが
https://t.co/3MMPA1JmtY 福井藩の忍者が9-12石で 徒武者的甲冑を装備していたとすると 熊本藩の10-15石の忍者も装備していた可能性は有るのかだが
https://t.co/kzAYCiPnvb 福井藩の忍者だと雨松明が有るが 此れを投げて着火していたのかだが 手火矢(焙烙玉)での着火も有ると言う事なのかだが
https://t.co/40jWRJk5qb 足軽より高級な甲冑を装備する 福井藩の忍者なら 相応の武術は身に付けており 焙烙玉や鉤縄も投げる事は出来ると言う事だろうし https://t.co/ljZSbMQwBb 太平記の忍者的な畑時能は刃長四尺三寸の大太刀迄 利用していると言う事だろうか
https://t.co/40jWRJk5qb >「禄高帳」以外にも忍之者の名を記した史料をいくつか見つけることができる。 「御咎之部并赦」 (六五七号)からは、文化五年(一八〇八)に駒五郎」なる人物が登場する。   江戸期でも名が公開されている忍者は 居ると言う事なのかだが
https://t.co/40jWRJk5qb >火薬を詰めた器などを投射する「手 (て火び箭や)」 、    福井藩の手火矢が投げられる忍者なら 石や鉄礫程度は放れた可能性は有るのかだが そうした物の城潜入時の携行は無いと言う事なのかだが
https://t.co/40jWRJk5qb 福井藩の忍者だと半弓・刀は装備しているから 此れ等の利用と 組討は習得していたと言う事なのかだが 忍下役だと半弓・銃・刀は使えたと言う事だっただろうか
https://t.co/40jWRJk5qb >下役が鉄炮(小筒)を扱ったことは「隠密秘事忍大意」に「下役ハ(中略)半弓鉄炮習セ申事」との記載があることに符合する が、    下役も半弓は放てるが此れの装備は無いが 奪った弓を利用出来る様にしていると言う事なのかだが
https://t.co/40jWRJk5qb 福井藩の忍者に手裏剣は無いが 腰指の半弓を装備していると有るが 此れは箙に装着出来る可也小型の物と言う事なのかだが 手火矢(焙烙玉)を投げる技術も有ると言う事だろうか
https://t.co/40jWRJk5qb >すなわち伊賀者は藩主の参勤に付き従い、江戸では藩邸に宿直したという。  史料一・二によると、福井藩の忍之者も同様に 属留守居」とある。
https://t.co/40jWRJk5qb 福井藩の忍者が携行する打鈎(鈎縄)も長いだろうが これで長物を拘束する事は 果たしてしていたのかどうかだが
https://t.co/3MMPA1JmtY 福井藩の忍者だと兜・頬当迄有る 徒武者的な装備だが 太平記の畑時能とその部下が 大鎧と鎖帷子を使い分けていたと同様に 軽装で潜入した例も有るのかどうかだが
撒菱を投げる等と言うのは 忍者以外では有るのかどうかだが https://t.co/3MMPA1JmtY 一方で福井藩の忍者だと 撒菱の携行は無いと言う事なのかだが
そして『忍者研究』の第1号と第2号は、J-STAGEで本文が読める! https://t.co/MnUhXkcahn 拙稿「福井藩の忍者に関する基礎的研究」も。https://t.co/HMlddBam4K https://t.co/ACPFgqtodb
1980頃:この本を愛読  ↓   2017 『日本奇術文化史』を東京堂出版から刊行 2018 「福井藩の忍者に関する基礎的研究」を『忍者研究』誌に発表 https://t.co/HMlddBam4K 幼少期の読書体験はその後の人生を左右する。かも https://t.co/bQCzVbKwUk
https://t.co/B5E2RXzHM0 左の福井藩の忍者の絵も https://t.co/kzAYCj6YmJ 左の文書の物とはやや異なると言う事なのかだが 胴以外は赤い部分は無く 頬当も装備され 脛当は無い可能性も有るのかだが
https://t.co/kzAYCj6YmJ 福井藩の忍者だと打鉤が装備されるが 此れは矢狭間に穴を空ける事にも利用される苦無の可能性も有るのかだが
https://t.co/kzAYCj6YmJ >忍之者は銀半月の立物がついた椎成黒塗の甲に頬当、金ノ丸が前後についた朱塗の胴、小手などを身につけることになっていた。   >忍装束を身にまとい、 単身敵地に乗り込むという後世の創られた忍者イメージとはまるで異なる重装備だと言えよう。
福井藩の「給帳」がエクセルとPDFで公開! 四代光通および六代吉品の代の「給帳」には、義経流軍学師・井原番右衛門の名も。井原は福井藩の忍者制度(忍之者・忍組)を導入・確立させた人物。 https://t.co/KdeXur0FlE 詳細は「福井藩の忍者に関する基礎的研究」を参照。https://t.co/kYIds6jXgI
国際忍者学会会誌『忍者研究』第1号に掲載された拙稿が、今日からJ-STAGEで公開開始です。 J-STAGE Articles - 福井藩の忍者に関する基礎的研究 https://t.co/HMlddBam4K 藤田達生先生の「伊賀者・甲賀者考」ほか、同号掲載の記事も読めます。

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