某研究者 (@boukenkyuu)

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https://t.co/qxhaHw051P 1611-12年の萩藩の忍者の熊本探索時だと 商人に偽装していたのかだが 僧侶や山伏だと 城には入り難い故なのかだが
https://t.co/FLfCPWL6mv 一言坂の戦いの徳川軍撤退時に着火して煙を出したのは 忍者・大鐘彦市政広だったのかだが 禄高は50石と武士身分と言う事なのかだが
https://t.co/fqzleToOMo 忍術書・竊奸秘伝書だと  表裏に模様が有るリバーシブルの服利用と言う事なのかだが 人に偽装する為の予備の羽織も同様なのかだが
https://t.co/fqzleToOMo 竊奸秘伝書だと 熊の毛皮に目潰しが仕込まれている例も有るが 毛皮を縄状にして顔を打つ物なのかだが 扇子に目潰しを仕込む例も有り 口から飛ばす例も有るのかだが
https://t.co/tYPkze5yZ6 紀州藩の合武伝法急勌齅物見之巻の 堀越色々の事だと 水中すいり的な銅製の鍋が使われるが 竹筒装備で長時間水上移動も可能だが 防弾機能は無いと言う事なのかだが これは浮草を付けて偽装される訳だろうか
https://t.co/I1dr3m35Co 紀州藩の合武伝法急勌齅物見之巻の 夜間木の葉隠れの事だと 草木の葉色や岩の色に染めた忍者服が有るが 此れは正忍記に有る茶色以外に 緑や灰色も有ると言う事なのかだが 漫画的に地面・木・壁に密着して 隠れる技も有ると言う事だろうか
https://t.co/PWzQ8b0u8s 紀州徳川の忍術伝書・合武末書の香期取だと 火縄での伏兵の偽装も考慮されているのかだが
伯耆流等の居合術利用の忍者の刀に 鼻繰形装備が多い可能性は有るのかだが https://t.co/9mBMpTGieP 尾張の忍者だと関口新々流居合術を学んだ忍者(渡辺三之助)も居たが https://t.co/AS00giqnut 武士身分では無いとすると鼻繰形の無い貸刀利用なのかだが
https://t.co/j19cmeb8yk 半弓を使える忍者だと 紐付きの印字槍或いは打根利用の例も有るのかだが https://t.co/40jWRJCeEj 福井藩の半弓利用の忍者の装備品には 此れは含まれない訳だろうか
https://t.co/6Uid9jFUnp 忍者が利用する https://t.co/20XZSVR1BJ 制剛流だと十手術も有るが 忍者の戦場用十手利用は無いと言う事なのかだが
https://t.co/eMEZMn5FvZ >現在多数 の射手 に見 られ る見せ掛 けの 弓返 り は,手 の内の手指を緩 める ことによ り,発 射の 瞬間 か ら矢 の弦の分離す る瞬間迄 に弓幹 の振れ が減少す るが,日 本古来 の射 術 に依 る射手 は, この 弓幹の振 れが依然 と して増 加の傾 向を持 続 す ること,
https://t.co/zu0sYZuVnj >従 っ て,弓 返 り自体 は,矢 と弦 の 分 離 した後 約100分 の3秒 後 に な っ て生 じる も の で あ り,矢 の 的 中,及 び貫 徹 力 に対 しそれ 程 大 き く影 響 す る もの で は な い と推 測 さ れ る。
https://t.co/GUpkflpRlh 左だと引き技は 小手以外は命中してないが 2/23(8%)と 率は悪くは無いと言う事なのかだが
https://t.co/9S4ZEhlBCO 左だと体当たりからの一本は 1/14(7%)だろうか
https://t.co/9S4ZEhlBCO 左だと上段からの胴は1本しか打たれず 面より小手が多いと言う事だろうか
https://t.co/sOr0jvpmjd >二つ目は、小手面の二段打ちです。 最初の小手は、相手の出小手を打ち落とすためで、二本目の面で一本を取るのです。 参考になれば幸いです。  https://t.co/9S4ZEhlBCO 此れは命中率2/9(22%)と出鼻技同様に高い 払い面扱いとは成るのかだが
>小手返し面 相小手面 小手すり上げ面 小手が得意な相手には、こういった小手に対する技を狙うのが良いですね。 https://t.co/GUpkflpRlh 返し面・すりあげ面の命中率は 余り高くは無いが 抜き面も同様と言う事なのかだが
https://t.co/9S4ZEhlBCO 出鼻小手だと3/13(23%)と 出鼻面(6/25(24%) 返し小手(1/4(25%)同様に応じ技では命中率が最大の部類なのかだが https://t.co/fFXcw9Mq52
https://t.co/lI5KkUP14P 距離2mでも足を開き気味とした方が打突迄の時間は短縮されるが 小手迄しか有効打は打てないと言う事なのかだが 実戦では小手以外にも 可也ダメージを与えられるのかだが https://t.co/L3iDS5cuPH
https://t.co/9S4ZEhlBCO 左だとかつぎ胴は打たれてさえ無いが かつぎ小手の命中率は2/3と 異様に高いと言う事だろうか
https://t.co/lI5KkUP14P >一足一刀の間合で任意の足の構えからの打突時間は、一般的に約 0.30秒かかると報告されてい る。 本研究においても、 平均 0.33 秒という結果が出た。 https://t.co/nxuatgFdTE 一方で0.1秒の面打ちも 有ると言う事なのかだが https://t.co/yFMk26Og5f
https://t.co/9S4ZEhlBCO 剣道の場合は応じ技(カウンター)の比率は133/801(16%) 出鼻技を応じ技と見た場合は 172/801(21%)と意外と少ないが カウンター主体の新陰流系の流派だと 5割超等も有るのかだが
https://t.co/Zj6CYMWjUb 剣道も応じ技(カウンター)の率は 仕掛け技より多くは無いが 命中率は9%と 仕掛け技の5%よりは多いが 出鼻技はカウンターと見做せば 此れの命中率はやや高くは成るのかだが
https://t.co/6n4reCHRsJ 皮鉄の厚さは1mm程度ととすると 心金が露出していない刀だと 2mmは研ぎ減っていないと言う事なのかだが
https://t.co/GzOQnRPcVp 弾弓も基本的に狩猟用であり 戦闘利用された例は無いと言う事なのかだが https://t.co/3lI2R0u0MT 一方で元は 此れの所持迄禁止していると言う事なのかだが https://t.co/K6fW6Rnkpk
https://t.co/ZNKrbxjZ8z 左の刃長11cmの 室町末ー江戸期の槍だと 丸鍛えと言う事だろうか
https://t.co/xX239PlX0e >宜寧の沈乙という人物が嘗て日本に入り造劒 の法を伝習し、一劒を鋳造し進呈したところ、 「倭劒」と異ならない出来栄えであった、とあ る。これは、朝鮮李朝第4代王・世宗12年(1430) の記事である。
https://t.co/mO2q9VCQc0 出雲の真砂砂鉄より 鎌倉や千葉の赤目砂鉄の方が リンが少ないと言う事なのかだが https://t.co/WuRdtCNw85
https://t.co/rp9qvuEFNR >これまで,赤目砂鉄に多く含まれるTiO2は,スラグの流 動性を阻害する不純物だと考えられてきた。しかし本研究 により,TiO2は銑生成に欠かせない成分であり,歩留まり を向上させ,かつ長時間操業をも可能にしている事を明ら かにした。
鉄鉱石利用の刀でも https://t.co/Zap21BXrje https://t.co/qQpWme2cX3 沸点350度の十酸化四リン等が 気化して鍛え割れ・鍛え傷を作る可能性は有るのかだが
https://t.co/Zj6CYMWjUb 左だと返し胴での一本は無いが 他の応じ技は有ると言う事なのかだが https://t.co/Jvd4RKIF3t
https://t.co/9mBMpTGieP 忍術書・忍之巻にもガマの皮利用の早寝刃が書かれるが 呪術的な物で大きな効果は無いと言う事なのかだが https://t.co/jGJPKrPzvJ
https://t.co/YfFnm1TmWi 中国製の可能性の有る下の直剣だと リンは可也少ないが 銅は鉄鉱石利用故に多いと言う事なのかだが https://t.co/4WCtPz6RnJ
https://t.co/Lz807oxU4g 鎌倉砂鉄だと鍛造後はリンや硫黄は低減するが 銅は低減していないと言う事なのかだが https://t.co/tYr7F4GJHF
https://t.co/pQMqps7gfF 玉鋼に無いとされるニッケルも 赤目砂鉄には含まれる例も有ると言う事なのだが
https://t.co/FLUP3w7WJ2 17・14世紀の刀だとリンは現代の玉鋼製刀より残るのかだが https://t.co/PWOkFWsKxj
https://t.co/Lg2GCEULs0  >幕 末の刀工 水心子正 秀は瓢箪形 南蛮鉄 を用い たその所感 と して,「 彼 の 鉄は我 が国 の鉄 に は劣 るべ し。実 に我 が国 の鉄 にてつ くりた る刀は,万 国にす ぐれ て見ゆ るな り。然 れ ば,南 蛮 鉄 な どは好 む べ き もの に は あ らず」 と述べ8),
https://t.co/RPqHEq2yLM 丸橋忠弥と同時期に捕縛された林戸右衛門は刀で可也抵抗し 恐らく鎖帷子を装備した同心6名を負傷させ 内3名に深手を負わせたと言う事なのかだが
https://t.co/RPqHEq2yLM >出自する捕方は、  一人召捕るために、普通は南北両奉行所からそれぞれ与力一人同心一人が出動七ました。しかし、与力には中間一人、若党二人、草履取一パパ、計四人、同心には一人の従者がいて、共に出動致しましたから、動員数は、十四名であります。こσほかに、
https://t.co/40jWRJCeEj 福井藩の忍者だと下役は銃・半弓を利用出来るが 忍之者は銃は利用しない可能性も有るのかだが
https://t.co/bB5uNf3AwY 原城攻防戦だと熊本藩の忍者が 夜襲して来た敵を撃退しているが 銃撃したかは不明と言う事なのかだが
https://t.co/p5s24GXfdx  村山修験も北条の忍者には 対抗出来なかったと言う事なのかだが https://t.co/vKVMRe1u0W
https://t.co/9S4ZEhlBCO 剣道だと相手の鍔元を叩いた後は かつぎに次ぐ7.3%が一本に成っているとすると 実戦でのコンパクトな打ちでは更に命中した可能性も有ると言う事なのかだが

127 0 0 0 OA 益軒全集

https://t.co/yS9d3eh5lO 稷山の戦いだと明軍が鉄盾を利用しており 黒田軍はハイランドチャージ的に銃の煙を利用した接近戦に持ち込まざる負えぬ状況と成ったが これは大量配備は無かったと言う事なのかだが

21 0 0 0 OA 群書類従 : 新校

https://t.co/SvGGP6PD5e 明徳記だと大内義弘が薙刀で馬を突いているが 足軽の長巻でも有ったのかだが https://t.co/H79qugphFy

25 0 0 0 OA 常山紀談

https://t.co/nLHKAq2ThJ 明兵の鎧だと 刃長3尺余の大太刀の斬撃でもダメージを与えられていない例も常山紀談だと有るが 事実とすると膨らんだ小札で衝撃が吸収されたと言う事なのかだが https://t.co/OvguEx4Zib

127 0 0 0 OA 益軒全集

https://t.co/28DVkYB6EA 加藤吉成の様に 夜間城の一方を攻撃して敵を引き付けた後 逆側から奇襲と言うのは多用されたのかどうかだが 小西行長の軍だと 文禄慶長役でも忍者は利用されていたと言う事なのかだが

127 0 0 0 OA 益軒全集

https://t.co/N8RiNHYKq3 佐々成政の配下の兵も 成政改易後は士分迄 足軽と成る者も居たと言う事なのかだが こうした者は他所でも多かったと言う事なのかだが

127 0 0 0 OA 益軒全集

https://t.co/IMUXL82u6y 生田重勝も 歩行速度を生かした戦闘をしていたと言う事なのかだが

127 0 0 0 OA 益軒全集

https://t.co/420KaKITqV 助右衛門暗殺時は 薪を割る鉞を利用したと言う事なのかだが

127 0 0 0 OA 益軒全集

https://t.co/FYp3HAJteb 吉田長利は別所軍との戦闘で 刃長2尺9寸5分(89cm)の長い刀の片手打ちで 敵の刀をアウトレンジしたと言う事なのかだが

127 0 0 0 OA 益軒全集

https://t.co/d0BsaF46YS 村田吉次が唐人の両腕を切断等と有るが 明騎兵だと裏籠手側から切断したと言う事なのかだが 籠手の無い歩兵の可能性も有るのかだが

127 0 0 0 OA 益軒全集

https://t.co/W1VR9VFUaQ 菅正利は稷山の戦いで 頬に明軍の毒矢を受け炎症を起こしたと言うが https://t.co/mSTMaP56QJ 明軍の毒矢は神経毒のトリカブト利用だろうし 毒の症状では無く菌等が入った可能性も有るのかだが

127 0 0 0 OA 益軒全集

https://t.co/d0BsaF46YS 村田吉次の兄・井口甚十郎は 門のくぐり戸を手盾として利用し 此れの打撃で2人を倒していると言う事なのかだが サイズは垣盾程は恐らく無く https://t.co/x9QIP82fRi 左だと高さは1.28mだろうか

127 0 0 0 OA 益軒全集

https://t.co/JPRNrViZbU 後藤基次も小腹(下腹)を 明兵の矢で貫通され戦闘不能と成ったと言うが 伊予札的な草摺が重戦闘矢で貫通した可能性も有るのかだが 野村祐直も同じ明兵の矢で戦闘不能と成ったと言うが 命中した部分は書かれていないだろうか

127 0 0 0 OA 益軒全集

https://t.co/qoW1IBc5wB 栗山利安は永禄10年(1567年)に 鎖鎌を持つ房野弥三郎と戦闘しているし この時点では鎖鎌の戦場利用も有ったと言う事なのかだが

127 0 0 0 OA 益軒全集

https://t.co/EFdem6anWH 黒田家臣伝だと母里友信は 平三角断面の槍・日本号で斬撃もしていると言う事なのかだが https://t.co/J2g4luOGcw

127 0 0 0 OA 益軒全集

https://t.co/haAKCmHT75 黒田軍から逃げ損ねた島津船も 村上水軍の船の様に 服を盾としていたと言う事なのかだが 布団や濡らした畳も盾とされていたと言う事なのかだが

127 0 0 0 OA 益軒全集

https://t.co/EjIRoLiobZ 富来城攻防戦だと 一人の弓が放つ火矢で 黒田軍の陣屋が炎上しているが 大型の火薬が付いた火矢だったのかだが

127 0 0 0 OA 益軒全集

https://t.co/hwzVNo05NO 1600年の安岐城攻防戦だと 黒田軍が亀甲車を投入しているが 晋州城の様に城壁に穴を開けて内部に侵入と言うのは 日本的な壁の無い或いは厚い城では困難故に 櫓の下を崩して 此れを倒壊させたと言う事なのかだが

127 0 0 0 OA 益軒全集

野村市右衛門も一部の騎士の様に 鞍に自身を固定していた可能性も有るのかだが https://t.co/l1JpH6BSce 左足を負傷した吉田重成が腰を鞍に結び付けているが その後戦闘は無いと言う事だろうか

127 0 0 0 OA 益軒全集

https://t.co/4tIH2DHc10 野村市右衛門は稷山の戦いで 梢子棍で膝がやられた故に歩行出来なかったが 馬上で戦闘は出来ていたのかだが

127 0 0 0 OA 益軒全集

https://t.co/uppAlruMlE 吉弘統幸も井上之房に兜の緒を斬られ 視界を塞がれてやられたと言うが 十文字槍以外だとこうした事は起こり難いのかだが https://t.co/XIOx8v26PA

127 0 0 0 OA 益軒全集

https://t.co/4tIH2DHc10 石垣原の戦いだと井上之房は佩楯等を外していたと有るが 敵の歩兵が強力と見て 歩行戦をしていたのかどうかだが 籠手の指懸の鞐を外したのも 動作性を増す為なのかだが

127 0 0 0 OA 益軒全集

https://t.co/jKM4xeJo3F https://t.co/l1JpH6BSce https://t.co/2Zz3YlSQDA 黒田家譜だと島津軍の大太刀や明兵の棒で刀が落とされたり 防御が強引に突破されている例も有るだろうか

127 0 0 0 OA 益軒全集

https://t.co/jKM4xeJo3F https://t.co/l1JpH6BSce https://t.co/2Zz3YlSQDA 黒田家譜だと島津軍の大太刀や明兵の棒で刀が落とされたり 防御が強引に突破されている例も有るだろうか

127 0 0 0 OA 益軒全集

https://t.co/jKM4xeJo3F https://t.co/l1JpH6BSce https://t.co/2Zz3YlSQDA 黒田家譜だと島津軍の大太刀や明兵の棒で刀が落とされたり 防御が強引に突破されている例も有るだろうか

127 0 0 0 OA 益軒全集

https://t.co/KWo6fhNamN 豊前国人一揆での 鬼木惟宗との戦闘時に 黒田一成は鐙で蹴りを入れているが 太平記でも鐙での蹴りは有っただろうか

127 0 0 0 OA 益軒全集

https://t.co/k0XkhZV1Va 大音彦左衛門は城井籐弥兵衛に長い槍でアウトレンジされて脇を突かれた後 刀を小手で受け止めたと有るが 強度の高い筒籠手等だった可能性も有るのかだが

127 0 0 0 OA 益軒全集

https://t.co/ejcAlFZmnk 大野九郎左衛門は 岩丸山の戦いで投石で敵を倒しているが 奉公人なのかどうかだが

127 0 0 0 OA 益軒全集

https://t.co/l1JpH6kPae 吉田重成は島津兵の刃長三尺余りの大太刀を受け損ねて足を斬られたが 倒れながら敵の足を斬ったと言う事なのかだが https://t.co/Lc6ha4MSzj

127 0 0 0 OA 益軒全集

https://t.co/Ju3YCuVRqM 黒田一成(玉松)は 薙刀を持つ島津の大兵に 槍を掴まれたが 抜刀は間に合ったと言う事なのかだが 黒田一成も身長6尺と腕力が有るから 薙刀の茎の入る千段巻部を 刀で斬撃して折ったと言う事なのかだが https://t.co/YgPQ0qlDKC

127 0 0 0 OA 益軒全集

https://t.co/2Zz3YmaZRI 黒田長政と対した島津兵だと 刃長3尺程度の大太刀が目立っていると言う事なのかだが https://t.co/wvWvftob0m

127 0 0 0 OA 益軒全集

https://t.co/GG1Q3ADkaY 山崎の合戦だと 羽柴軍は宝積寺(寶寺)に少数の騎兵のみを先行させて 大兵力が移動した様に見せ掛けたと言う事なのかだが

127 0 0 0 OA 益軒全集

https://t.co/N9KMwdHg02  1578年の阿閉城の戦いだと 黒田軍は毛利の大勢の前に 城から脱出したと見せて敵が接近する迄反撃せず 奇襲で撃退と言う事なのかだが

127 0 0 0 OA 益軒全集

https://t.co/TF2uWPKzZi 第一次上月城の戦いだと 黒田軍の生田木屋之助は夜間城の塀の柱を鋸で切断し 昼紐で引いて倒したと言う事なのかだが https://t.co/L5SkjtpC20

127 0 0 0 OA 益軒全集

https://t.co/zexDG4k4uN 碧蹄館後ー第二次晋州城戦前の 日時不明の戦闘だと 明騎兵も木を盾として射撃し 長政の兵は稷山の戦いの際と同様に ハイランドチャージ的に銃の煙を利用した突撃をしていると言う事なのかだが https://t.co/z0Ub4ON48X

127 0 0 0 OA 益軒全集

https://t.co/NeODZPS2Xm  菅正利も虎が足軽の斬撃を回避してから 攻撃した事を見て 大振りせず斬撃のフェイントを入れた後 飛び込んで首を斬ったと言う事なのかだが https://t.co/6nlWZ8cCpG

127 0 0 0 OA 益軒全集

https://t.co/KWWp03YP5W 第二次晋州城攻防戦だと 日本軍の持盾が石で割られていたと言うが 太平記で出て来る恐らく投石対策の 練革を貼った盾や 竹板を貼った盾は利用されていたのかだが

127 0 0 0 OA 益軒全集

https://t.co/JCKZdi3CUw 立花宗茂も碧蹄館では鎧に多数の矢を受けたが 貫通はしなかったと有るが 防弾胴や兜鉢以外は 伊予札的な装甲かも知れぬし この部分には矢は命中しなかった可能性も有るのかだが

127 0 0 0 OA 益軒全集

https://t.co/0oHOJMjTnm 碧蹄館だと騎兵の馬が集中的に狙撃されていたと言う事なのかだが 明騎兵の鎧だと20kgと言う事だったかも知れぬし 鎧の重さはそう重くは無いが 下馬しての集団野戦訓練が余り無いと言う事なのかだが https://t.co/tVFKAtW5y9
https://t.co/hsQ6HKrKNk 大同江の戦いでの菅正利の指物は雁の丸と言うが https://t.co/vXpBo8cl8B 左の石持ち地抜き飛び雁と類似の紋か https://t.co/J3RZ0pRJBC 丸に雁金紋の可能性も有るのかだが

127 0 0 0 OA 益軒全集

https://t.co/PyYHUSFBUY  大同江の戦いだと後藤基次は 二本菖蒲の立物装備と有るが 菖蒲の葉の様に尖った板が 鍬形的に付いている物の可能性も有るのかだが https://t.co/pcJBJFEgkG

127 0 0 0 OA 益軒全集

https://t.co/p3iJNPAL0L 文禄役の金海城攻防戦だと 朝鮮兵は密集しており 銃や矢が命中し易かったと言う事なのかだが 明兵も同様の密集陣形だが 稷山の戦いだと鉄盾で 銃は止まっていたと言う事なのかだが https://t.co/xYa61sSJzI

127 0 0 0 OA 益軒全集

https://t.co/jKM4xf1xhN 西生浦攻防戦だと 光明朱塗の棒を持つ明兵が出て来るが 錘或いは鉄棒なのかだが https://t.co/TUnz1HTy7o

127 0 0 0 OA 益軒全集

https://t.co/6uCQhcyAL3 稷山だと黒田安太夫が 兜を切断しているのかだが 兜を撃ち落とした後 衝撃で動きが鈍った敵の 頭を斬ると言う事なら出来るのかどうかだが https://t.co/sh6pDsEk3g

127 0 0 0 OA 益軒全集

https://t.co/6uCQhcyAL3 稷山の戦いで野村祐直と戦った 梢子棍を持つ明兵の馬の体高は 7寸(4尺+7寸=142cm)と 純粋なアハルテケの様な物では無かったと言う事なのかだが https://t.co/GCHOlZ9BYY

127 0 0 0 OA 益軒全集

https://t.co/ftFN3NeWUx 大同江の戦いで菅正利は朝鮮兵の脇を脇差で突き倒しているが 大柄の兵とすると士官かも知れぬし https://t.co/kCdLm5EXdm 士官用の鎧だと脇に装甲が有る可能性も有るだろうが 身長190-200cmと言う菅正利の腕力では 此れも貫通した可能性も有るのかだが https://t.co/Fb9w0Fa9jN

127 0 0 0 OA 益軒全集

https://t.co/kx6L3sds0I 文禄役の大同江の戦いだと 黒田軍は泥障を緊急的に矢に対する盾としていたのかだが 一方で此れを用いても長政は矢を受けていたと言う事だろうか 以後の戦いだと泥障では無く 防矢盾が利用された可能性は有るのかだが https://t.co/zZlFybEZif

127 0 0 0 OA 益軒全集

https://t.co/CzJQUJIvV7 黒田家譜の明兵の梢子棍は 柄が90-120cm 鎖が90cmだろうし 持槍はアウトレンジは出来なかったと言う事なのかだが https://t.co/e35ix7ea47
https://t.co/TMv7dRjUsx 柔道も体重差10-20kgの間だと 体重の無い者の勝ち・引き分けを足した率は変化が無いと言う事なのかだが
https://t.co/C804GoFEWG 左の鎖だと直径は16ゲージ(1.29mm)程度だろうが https://t.co/Wi1REb9kiI 日本の鎖帷子だと南蛮鎖(八重鎖)だと直径1-1.1mm程度有るが 他は0.4mm等の物も有る訳だろうか
https://t.co/bdHRcEvz9W 日本の鎖帷子も 硬度は293hvの物も有るが 動画でテストされている軟鋼製の非リベット留め鎖よりは 強度は有る可能性も有るのかだが
https://t.co/bdHRcEvz9W 左の江戸期の小札だと硬度にばらつきが有るが 100HV台の硬度の部分も有ると言う事なのかだが https://t.co/j5LMbP8TnS
https://t.co/wfEpQ5dklp 17世紀中期以降もアユタヤの船は長崎に 中国船と見做されて入っている様だが 日本製の武器は輸出されていたのかだが 密貿易で薩摩等から輸出された例は多いのかだが

23 0 0 0 OA 史籍集覧

https://t.co/iHdHHQhmrt  https://t.co/IMvQdZZBt6 長澤聞書だと 大阪陣では 2間半ー3間(4.54ー5.45m)の鉤槍を8-9割の兵が利用等と有るが これは足軽の長柄(5.45-6.36m程度か)以外の持槍で 薙刀は含まれない可能性も有るのかだが
https://t.co/tQF5v9yUWb >薩摩はいつもいろんな国の船が停泊する所で、ルソンに向かう船が三隻、交趾(ベトナム)船が三隻、柬埔寨(カンボジア)船が一隻、暹羅(タイ)船が一隻、仏郎ヨーロッパ)船が二隻いた」    戦国期の薩摩だと東南アジアの船も 可也来航していたと言う事なのかだが
https://t.co/zamuoAWyAi 熊本藩の忍者も1628年に 包丁を3本発注した記録が有るが 割に長い刀型包丁なのかどうかだが これを持つ者は脇差は無い可能性も有るのかだが

1 0 0 0 OA 春日権現験記

https://t.co/4d9uIN51Y1 春日権現験記絵模本だと金の半首が描かれるのかだが 原本には有るのかどうかだが https://t.co/iXg9p0adX3
https://t.co/Xg2tNPguUP 1628年に苦無を発注したと言う熊本藩の忍者は 1637年の島原に参戦しているが 苦無の利用は有ったのかだが 戦闘もしているが 壁を登る際のみの利用の可能性も有るのかだが

お気に入り一覧(最新100件)

https://t.co/yQLoVGf6Tj 文禄・慶長の役で明軍を率いた宋応昌の日本軍評。「論者が謂った。倭の鳥銃は、我々は遮り蔽い難く、倭の利刀は、我々は防ぎ堪え難い、と。しかし、我々の快鎗や三眼鎗、および諸神器は、鳥銃と匹敵しうるものである。倭は熟達するがゆえに利と称し、我々は未熟ゆえに鈍と https://t.co/op3lQytTHR
昨年発行の「忍者研究」3号がJ-STAGEに登録されました。 平山優「戦国時代の忍びの実像」 https://t.co/9DyB94DisC 上田哲也「熊本藩細川家の忍び」 https://t.co/cuugy9uD47 田村梨紗「「忍者・服部半蔵」の誕生──昭和三九年までの作品を対象に」 https://t.co/40Q2TA5RIi
昨年発行の「忍者研究」3号がJ-STAGEに登録されました。 平山優「戦国時代の忍びの実像」 https://t.co/9DyB94DisC 上田哲也「熊本藩細川家の忍び」 https://t.co/cuugy9uD47 田村梨紗「「忍者・服部半蔵」の誕生──昭和三九年までの作品を対象に」 https://t.co/40Q2TA5RIi
昨年発行の「忍者研究」3号がJ-STAGEに登録されました。 平山優「戦国時代の忍びの実像」 https://t.co/9DyB94DisC 上田哲也「熊本藩細川家の忍び」 https://t.co/cuugy9uD47 田村梨紗「「忍者・服部半蔵」の誕生──昭和三九年までの作品を対象に」 https://t.co/40Q2TA5RIi

72 0 0 0 OA 史籍集覧

https://t.co/zp57ouYGC6 国立国会図書館デジタルコレクションで細川幽斎覚書が読める。幽斎が家中に向けて書いた覚え書きが家臣三宅某に伝わったものだという。以下、戦術に関する事柄で気になった箇所をいくつか紹介したい。
@NazologyInfo こちらに掲載の最後の方に「本研究により、損傷急性期に与える温熱刺激は二次損傷を助長するが、再生過程においては効果的であることが示唆された」とありますね。https://t.co/xujlsuJk6h

33 0 0 0 OA 築城記

国会図書館のデジタルアーカイブで「築城記」が見られるんだが、「サク木」の記述を踏まえて立体化すると右側のような感じになる。縦材の密度は「瀬波郡絵図」を参考に作ってるのと同じでいいみたいだが、横材は4本渡すとある。 https://t.co/lE6ZcpqNBZ https://t.co/iKvNNGlY1n
正徳2年(1712年)序文の出版本「文武さざれ石」、室内で大小両刀を帯刀して正座でいる人物の絵がたくさん載ってる。出版物に描かれても不自然じゃ無い所作だったのかね?? 関口新心流柔や田宮流などに大小両刀帯刀で座っている想定の形があるけど、有り得る想定だったのかも https://t.co/QeCgTxnNvr https://t.co/tfC8hJevTS

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