マフー (@MrDyspepsia)

投稿一覧(最新100件)

RT @nekonoizumi: PDFあり。 ⇒伊藤 瑞恵 「羽黒山における開山伝説の歴史的変遷」 『東北宗教学』第18号 (2022/12) https://t.co/hLU8Ad8jpm
RT @zasetsushirazu: 明治25年4月3日、松森胤保が死去。幕末の松山藩(庄内藩の支藩)家老で、江戸の薩摩藩邸焼討事件や戊辰戦争で藩兵を指揮。梶沼彩子「松森胤保『止戈小議』考」(『東北文化研究室紀要』50)曰く、「松森」は藩主から賜わった「松守」(松山を守ったと…
RT @zasetsushirazu: 昭和6年2月24日、久米邦武が死去。日本の歴史学の先駆者で、大隈重信の親友。杉谷昭「和魂漢才から和魂洋才へ」(『純心人文研究』12)は、久米が岩倉使節団の報告書『米欧回覧実記』執筆のため玉虫左太夫(万延元年遣米使節に参加)の『航米日録』を…

3 0 0 0 OA 出羽国風土記

すぐ近くの楯山公園に以前は鎮座していた。 なので、社号標や各碑はこちらにのこったまま。 北楯大学の像もこちらにある。 4枚目の『北舘君廟碑』https://t.co/KmdxQ2QQqA 撰文は菅基で、書は白思による。 「白思」は能書家・白井重思(白井矢太夫の弟)か。 https://t.co/oTp4VJkLam
RT @zasetsushirazu: 須賀忠芳「ストーリー化された歴史観光素材の功罪をめぐって-「幕末会津」をめぐる言説を中心に-」(『観光学研究』17、2018年)は、白虎隊像などの「定番化された「幕末会津」をめぐるストーリー」に関する問題点を、大河ドラマ『八重の桜』の話も…

お気に入り一覧(最新100件)

PDFあり。 ⇒伊藤 瑞恵 「羽黒山における開山伝説の歴史的変遷」 『東北宗教学』第18号 (2022/12) https://t.co/hLU8Ad8jpm
PDFあり。 ⇒菅野 洋介 「羽黒修験の由緒形成と神事の改編 : 真田玉蔵坊を例に」 『駒澤大学文学部研究紀要』78 (2021/3) https://t.co/F82Nj4VF2g
明治25年4月3日、松森胤保が死去。幕末の松山藩(庄内藩の支藩)家老で、江戸の薩摩藩邸焼討事件や戊辰戦争で藩兵を指揮。梶沼彩子「松森胤保『止戈小議』考」(『東北文化研究室紀要』50)曰く、「松森」は藩主から賜わった「松守」(松山を守ったという意味)が転じたもの。 https://t.co/IkOV4tpyty
明治33年2月26日、品川弥二郎が死去。長州藩出身で、慶応2〜3年、京都の薩摩藩邸内に長く滞在し、薩長提携の象徴のような役割を担った。齋藤伸郎「品川弥二郎 明治十四年懐中日記」(『獨協学園資料センター研究年報』8・9)曰く、明治14年の日記が残る、唯一の長州閥高官。 https://t.co/W9fFwRCjXv
昭和6年2月24日、久米邦武が死去。日本の歴史学の先駆者で、大隈重信の親友。杉谷昭「和魂漢才から和魂洋才へ」(『純心人文研究』12)は、久米が岩倉使節団の報告書『米欧回覧実記』執筆のため玉虫左太夫(万延元年遣米使節に参加)の『航米日録』を参考にしただろうと指摘。 https://t.co/fAJuZHAF2P
慶応3年12月26日(1868年1月20日)、上山藩士・金子与三郎が死去。薩摩藩邸焼討事件で負った傷が死因。清河八郎暗殺に関与した疑惑がある。長南伸治「近代における旧上山藩士金子清邦像形成に関する一考察」(『国士舘史学』21)は、清河八郎の「贈位」をめぐる問題を分析。 https://t.co/pUBMAVog8M
須賀忠芳「ストーリー化された歴史観光素材の功罪をめぐって-「幕末会津」をめぐる言説を中心に-」(『観光学研究』17、2018年)は、白虎隊像などの「定番化された「幕末会津」をめぐるストーリー」に関する問題点を、大河ドラマ『八重の桜』の話も交えながら分析する。 https://t.co/HaVdMdT50H
昭和9年5月30日、東郷平八郎が死去。幕末の薩摩藩出身で、薩英戦争や戊辰戦争に参加。妻は海江田信義の娘。宮永孝「イギリスにおける東郷平八郎」(『社会志林』46-3・4、2000年)は、明治初期の英国留学で海軍技術のみならず、英国流の敬虔主義をも併せて学んだと推測。 https://t.co/WwRFvx1MBw

フォロー(141ユーザ)の投稿一覧(直近7日間)

フォロワー(61ユーザ)の投稿一覧(直近7日間)