- 著者
-
杉谷 修一
- 出版者
- 西南女学院大学
- 雑誌
- 西南女学院大学紀要 (ISSN:13426354)
- 巻号頁・発行日
- vol.7, pp.82-89, 2003-03-29
ルーティンという概念は遊びの創造性を分析するにはふさわしくないように思える。実際遊びにおいて行われる活動はルーティンの規則によって統制されている。しかし,規則とは秩序を構成し,行為を説明可能で観察可能なものにするために用いられる。すなわち,我々はある範囲内で自由に振る舞えるだけでなく,ルーティンを構成することさえ可能なのだ。規則が行為内容をどの程度認めてくれるかによって,参加者はルーティンとそれぞれ違った関係を持つことになる。野球のような組織化された遊びはめったに自由にさせてはくれない。なぜなら,そこでの役割が相互に関係し会っているからだ。だが,規則が具体的な行為を完全に決定してしまう事はできないし,規則は創造的活動にとって本来不可欠な存在である。また緩やかに構成された規則を持つルーティンはそれほど長時間にわたって持続することはない。そしてそこでは事前にルーティンに関する知識を学習することはない。そのため参加者は即興的にルーティンを作り上げなければならなくなる。また,日常におけるルーティン活動の中には遊びに関する様々な要素がみられる。諸要素はしばしば互いにぶつかり合い,そのルーティンは効率を求めているようには見えない。「インスクリプション」は相互作用の秩序を構成するための道具である。我々はこの概念を遊びのルーティン分析に適用することができる。遊びのルーティンにおいて,インスクリプションは明示的な実態ではなく隠されたリソース-例えば身体技法のような-なのである。インスクリプションのこの際だった特質が遊びのルーティンに何らかの影響を与える可能性がある。