- 著者
-
赤江 達也
- 出版者
- 日本社会学会
- 雑誌
- 社会学評論 (ISSN:00215414)
- 巻号頁・発行日
- vol.53, no.3, pp.396-412, 2002-12-31
近代日本における宗教と政治の関係が問題とされるとき, 戦時期の「日本ファシズム」に対する抵抗の事例としてほとんどつねに言及されるのが, 無教会主義と呼ばれるキリスト教の一派である.キリスト教界のほとんどがファシズムへと積極的に参与していったとされるのとは全く対照的に, 無教会主義は, 抵抗の思想として評価されてきた.とりわけ, 戦前の代表的な植民政策学者としても知られる矢内原忠雄は, 「超国家主義に対する数少ない対決の記念碑」として高く評価されてきた.<BR>だが, なぜ, 戦後日本において, 無教会主義はファシズムに対する抵抗の思想としてだけ理解されてきたのだろうか.そうした観点から, この論文では, まず, 戦後の日本思想史におけるキリスト教の位置づけを検討していくことで, 思想の政治性をめぐる議論からキリスト教がほとんど体系的に除外されていく様を記述する.その上で, 矢内原の言説を具体的に検討することで, 彼の主張が, たしかに「信仰の純粋性」にもとづく「ファシズム」の批判なのだが, 同時により徹底化された「ファシズム」の構想でもあったことを明らかにする.さらに, その無教会主義 (の言説) の問題点を開示する作業を通して, それを「ファシズム・対・民主主義」という枠組みへと回収することで, うまく扱うことができなかった「日本ファシズム」論の限界点を指し示す.