著者
赤江 達也
出版者
関東社会学会
雑誌
年報社会学論集 (ISSN:09194363)
巻号頁・発行日
vol.2013, no.26, pp.28-38, 2013

The purpose of this paper is to analyze the terms and conditions for the formation of the order of national rituals in pre-war Japan, in particular, Shinto shrine rituals. First, the study outlines the Ministry of Home Affairs' process, as part of its administration of Shinto shrines, of designating shrines as places for national rituals. Next, the Ministry of Home Affairs' Bureau of Shrines' unification of the “Procedures for Shrine Ritual Observance” and the government and the public's formation of the genre of shrine ritual procedural manuals are described. Books detailing “Procedures for Shrine Ritual Observance” were used as manuals for training sessions and ritual instructional sessions for members of the clergy. These resulted in the standardization of the evaluation of the participants in these rituals. Finally, this paper shows how, after the 1930s, under these terms and conditions, “indiscretions” in shrine rituals became increasingly problematic.
著者
赤江 達也
出版者
関西社会学会
雑誌
フォーラム現代社会学 (ISSN:13474057)
巻号頁・発行日
vol.19, pp.60-69, 2020 (Released:2021-05-29)
参考文献数
26

宗教学や宗教社会学の領域では、二〇世紀末までに、「西洋-キリスト教的」な宗教概念への批判的な視点は自明なものとなっていた。だが、宗教社会学の古典的な概念や理論への批判は、宗教をめぐる議論をわかりにくいものにしている。宗教概念批判の後で宗教をどのように語るのかは、現在も進行中の課題である。こうした問題関心の下、本稿では、近現代日本の宗教史においてくりかえし現れる「××は宗教ではない」という語りを「「非宗教」語り」という対象として設定し、宗教社会学における課題として提示することを試みた。本稿の仮説的な主張は、次のようなものである。「非宗教」語りは、宗教言説のなかに生じる構造的空隙としての「(非)宗教的なもの」の領域をつくりだしてきた。このような観点から、本稿では、「非宗教」語りの系譜として、戦前期における「神社非宗教論」、戦後における政教分離訴訟の対象という系譜について概観している。こうした「非宗教」語りは、現在の宗教研究における宗教概念批判の潮流ともつながるところがあり、日本近代の問題であると同時に、「非西洋」近代の問題でもある。また、本稿の試みがもつ現在の社会学への示唆として、日本においてキリスト教と神道を同時に考えること、人文学と社会科学の間で考えることの意義について論じている。
著者
赤江 達也
出版者
関東社会学会
雑誌
年報社会学論集 (ISSN:09194363)
巻号頁・発行日
vol.2004, no.17, pp.1-12, 2004-08-10 (Released:2010-04-21)
参考文献数
28
被引用文献数
1

我々は衆人環視の中に一人毅然として屹立し礼拝を拒否せられた瞬間の先生の巨姿を思い浮べ、今尚戦慄を禁じ得ない。[関根1949: 6]
著者
赤江 達也
出版者
慶應義塾大学
雑誌
哲學 (ISSN:05632099)
巻号頁・発行日
vol.117, pp.69-88, 2007-03

特集記憶の社会学投稿論文1. はじめに : 政教分離訴訟の多様性2. 「憲法の戦後レジーム」の成立 : 政教分離訴訟の前提条件 2.1. 戦前と戦後のあいだ : プラカード事件 2.2. 憲法の諸理念 : 「反戦平和」・「信教の自由」・「政教分離」3. 違反と権利の同時発見 : 政教分離訴訟の出現 3.1. 最初の政教分離訴訟 : 津地鎮祭訴訟 3.2. 最高裁での敗訴と「天皇の影」4. 違反を問題化する論理 : 連鎖する政教分離訴訟 4.1. 「靖国問題」の磁場 : 浜松市政教分離原則侵害違憲訴訟 4.2. 政教分離訴訟のなかの断層 : 箕面忠魂碑訴訟5. おわりに : 政教分離訴訟の2つの論理This article describes and analyzes the emergence and transformation of `litigation for separation of religion and politics' in post-war Japan. Such constitutional cases started in the mid-1960's, spread out after the 1970's, and some of them are still going on. These cases are the same regarding the point of making an issue of the constitutional violation in question. But they are concerned with various points, such as religious acts undertaken by local governments (or public funding for religious events), enshrinement of the dead without the bereaved family's consent, and the prime minister's visits to Yasukuni Shrine. In this paper, I focus on the logic of the litigation, which is used to bring up the problem of violations of the constitution, as well as practices which support this logic. As a result of analysis, I point out that there is a subtle difference between the two types of logic employed; one applied when some initial litigation has begun, and another applied to give them political-and sometimes religious-meanings and to connect various cases. These two types of logic show the peculiar complicatedness of the relationship between religion and politics in postwar Japanese society.
著者
赤江 達也
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.53, no.3, pp.396-412, 2002-12-31

近代日本における宗教と政治の関係が問題とされるとき, 戦時期の「日本ファシズム」に対する抵抗の事例としてほとんどつねに言及されるのが, 無教会主義と呼ばれるキリスト教の一派である.キリスト教界のほとんどがファシズムへと積極的に参与していったとされるのとは全く対照的に, 無教会主義は, 抵抗の思想として評価されてきた.とりわけ, 戦前の代表的な植民政策学者としても知られる矢内原忠雄は, 「超国家主義に対する数少ない対決の記念碑」として高く評価されてきた.<BR>だが, なぜ, 戦後日本において, 無教会主義はファシズムに対する抵抗の思想としてだけ理解されてきたのだろうか.そうした観点から, この論文では, まず, 戦後の日本思想史におけるキリスト教の位置づけを検討していくことで, 思想の政治性をめぐる議論からキリスト教がほとんど体系的に除外されていく様を記述する.その上で, 矢内原の言説を具体的に検討することで, 彼の主張が, たしかに「信仰の純粋性」にもとづく「ファシズム」の批判なのだが, 同時により徹底化された「ファシズム」の構想でもあったことを明らかにする.さらに, その無教会主義 (の言説) の問題点を開示する作業を通して, それを「ファシズム・対・民主主義」という枠組みへと回収することで, うまく扱うことができなかった「日本ファシズム」論の限界点を指し示す.
著者
赤江 達也
出版者
関東社会学会
雑誌
年報社会学論集 (ISSN:09194363)
巻号頁・発行日
vol.2004, no.17, pp.1-12, 2004
被引用文献数
1

我々は衆人環視の中に一人毅然として屹立し礼拝を拒否せられた瞬間の先生の巨姿を思い浮べ、今尚戦慄を禁じ得ない。[関根1949: 6]
著者
赤江 達也
出版者
The Kantoh Sociological Society
雑誌
年報社会学論集 (ISSN:09194363)
巻号頁・発行日
vol.2013, no.26, pp.28-38, 2013-09-10 (Released:2015-06-12)
参考文献数
35

The purpose of this paper is to analyze the terms and conditions for the formation of the order of national rituals in pre-war Japan, in particular, Shinto shrine rituals. First, the study outlines the Ministry of Home Affairs' process, as part of its administration of Shinto shrines, of designating shrines as places for national rituals. Next, the Ministry of Home Affairs' Bureau of Shrines' unification of the “Procedures for Shrine Ritual Observance” and the government and the public's formation of the genre of shrine ritual procedural manuals are described. Books detailing “Procedures for Shrine Ritual Observance” were used as manuals for training sessions and ritual instructional sessions for members of the clergy. These resulted in the standardization of the evaluation of the participants in these rituals. Finally, this paper shows how, after the 1930s, under these terms and conditions, “indiscretions” in shrine rituals became increasingly problematic.
著者
赤江 達也 大澤 絢子
出版者
関西学院大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2020-04-01

本研究では、メディアに依存した宗教的言説実践、すなわち「メディア宗教」という新たな視座から、大正期に活発化する活字メディア上の宗教活動を検証し、宗教や教派の別を超えた「求道的な宗教性」と「流動的な組織形態」の実態を解明する。研究方法としては、明治末期から昭和戦前期にかけて既成の教団の外で活動した求道者・独立系宗教者たちに注目し、彼らが刊行した膨大な活字媒体(雑誌・書籍・小冊子)の収集整理と言説分析を行う。近代宗教と活字メディアの密接不可分な実態を解明し、広範な読者層の存在や修養・教養・道徳と浸透しあう宗教的ランドスケープを描き出すことで、教団中心に語られやすい日本近代宗教史を拡張・更新する。
著者
赤江 達也
出版者
三田文学会 ; 1985-
雑誌
三田文学. [第3期]
巻号頁・発行日
vol.93, no.117, pp.218-226, 2014