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投稿一覧(最新100件)

中越戦争の「懲罰」という口実から垣間見える徳治主義/チベット・新疆の「中国化」は、近代国家への再編という清末以来のプロジェクト/中国の伝統的思想としての『均質化された全体性としての「総体」』
『クラシックな地政学というのはSF』『マルチスケールの問題ですが……『翔んで埼玉』という映画を思いだします(笑)。県境がいきなり、国境のようになる。先見の明がありました』『誰もが地政学の議論を知らない』
対抗言論IIで子安宣邦が柄谷の帝国論を批判してたが、子安も柄谷は確信犯だろうと言ってたな/空前の戦争加害という"重荷"についてはここでも語られないのね/本邦左派で柄谷や丸川に同意する人ってそんないるのかな
国王や天皇といった強大な権威という『中心なしに国家の共同性を想像できず、国民相互の信頼…を形成できない国民の弱さ』結局このテーマになっていく
サブプライムローン破綻から見えてきたアメリカの消費の実態を分析することで、かつてダニエル・ベルや山崎正和が提示した「脱工業化=サービス化が脱資本主義」というテーゼの誤りを示そうとした書籍
冒頭に挙げられている、吉岡斉による「日本のSTS」への批判はこれかな https://ci.nii.ac.jp/naid/130007756254
日本的政治不信の一類型を体現する「主婦」の「自転車市民の倫理」/長きに渡って「タクシー政治家・市民」ことエリート(男性)にしか視野に入れてこなかった日本の政治学に対して辛辣
ホワイトリボンキャンペーンの歴史
予備的調査って強制力がないんだよな。著者は党派性による行使を懸念しているが、本邦の海苔弁だらけの悲惨な現状を考えれば、仏のように一会期一回に限る形で今より権限を行使できる選択肢も検討する余地は有りか
『日本の官庁の当事者にとって統計とは、市民社会に共有の財産としてではなく、自己の管轄範囲に関して、その政策立案のために随意に行うものであって…各官庁は…「縄張り」に…外部の主体が介入することを嫌う』
スペンサーの「社会成長」論の継承の系譜/『「経済成長」というコンセプトは,ギリシア,ローマ,中世,近代のいずれにおいてもまだ存在しなかった』『社会契約論的な理論が繰り返し社会有機体論の最新版によって駆逐』
『カントにとって所有権は自然の命ずるものであり、人権の基礎中の基礎であるから、男女平等を所有権よりも優先させることは不可能…だから、カントは…倫理学に犠牲を払わせ、女性の従属を受け入れることにした』
(制度設計の不備や三権分立を逸脱するということで形骸化させられたが)「破天荒」な支部図書館制度と中井正一の思想を再評価する論考/『公文書管理の国会中心主義の視点が、今日の議論に欠けている』
平山亮の呵責のなさには少々耐え難いものを感じてはいるが、「フェミニズムは男性の役にも立つ」論への批判は全く同意。特権を剥ぎ取られ実は自分は思っていたよりも"劣等"だったと自覚するのは苦痛に決まっている
フロイトのメランコリー、デリダの喪による追悼のゴシップ/家父長制規範を語っていた『「語り手」が、そうした彼女たちを模倣し、その生を体内化……疎外された彼女たちの死が亡霊となり、語りの内側に憑りついた』
鶴女房のような「自虐的世話役」やイザナミの例が示唆する、『男は女性の痛みに向き合って罪悪感を味わうべきであったのに未だにそれを成し遂げていない』という「原罪」
興味深いのは、これはあくまで「意識」についての分析であり、必ずしも実態を反映したものではないという点。日本は「自由・平等主義」に位置づけられているが、性的分業に関しては概して意識と実態は逆になるという
『日中は互いに過剰な期待を掛け、またこの主観的な期待を客観的な信頼意図の尺度として用いた結果、誤認知と不信の再生産が生じた』
人種主義的記述や環境決定論(による植民地支配や欧州中心主義の影響の無視)等への批判は日本でも学者からあったがメディアには流通せずと/あの「ニューギニア人・ヤリ」の存在自体が「嘘松」の可能性が有るのか…
『女性たちの自律的な主体は所与のものではなく、男性中心的な組織を介さずに、女性たちが祖国からの呼びかけに直接こたえようとした中で形成』「祖国」というさらに上位の権威を介さなければならなかった制約
『欧米諸国が危機に苦悶しながら改革の道筋をつけようとしていた1980年代に,日本は束の間の繁栄を謳歌して「20世紀システム」の家族主義的制度を再強化したことが,その後の改革を難しくし,「失われた20年」を帰結』
『(※松下の市民理論は)結果的には新自由主義的な市場主義を強化することに終わった』マルクス主義から離脱した過去故に、左翼扱いされないために市場批判をしたくなかったのではないかとの杉田敦の憶測
そして今のフランスは第五共和政の危機の只中にある……のかも
「天皇制俗物」の起源としての幕末国学/大国主を最重視した篤胤神学では政治的危機を打開できないということで神学の根幹を骨抜きに/幕末国学者の中には天皇中心の秩序形成という目的と「マキャベリズム」が共存
「悔恨」に突き動かされた丸山学派によって無教会主義が抵抗者として祭り上げられてしまったために、矢内原の最も際どい言説が真剣に検討されなかったと
『高校生の政治的有効性感覚は低く、6年間での変化の方向ははっきりしないこと、権威主義的な態度が伸長していること』『「消費文化への同調性」(ブランド品やおしゃれに関心が高いこと)が性役割支持を高める』
『ジェンダープロファイリングという皮を被せた,あからさまなジェンダーステレオタイプ』『慈愛的性差別主義には,男女の関係性を相補的文脈で捉えることで現状のジェンダー不平等を合理化する働きがある』
自由放任主義と異なり「強い国家を必要とする新自由主義」の起源にあるハイエクの主張は、彼がナチスの理論家として非難していたカール・シュミットの議論と似通っていた
結局、日文研は中曽根の思惑や梅原猛の理論に拘束されることなく自由だったというけど、その自由は外部からの猛烈な批判と警戒感がなければ決して成り立たなかったのではないかと思った
この事件の経験は、日本政府が沖縄に基地を集中させる動機の一つなのかな。沖縄に押し付けることで、反日米安保・反基地運動を全国化させない分断を常態化できる。
この事件の経験は、日本政府が沖縄に基地を集中させる動機の一つなのかな。沖縄に押し付けることで、反日米安保・反基地運動を全国化させない分断を常態化できる。
ローマの執政官ファビウスの名をとった、具島兼三郎の「ファビオ・ファシズム」論/完成されたファシズム独裁の前段階としての、立憲的・合法的手段による漸進的ファシズム
スピリチュアル・マーケットに適応した「軽い宗教」の出現/『社会の再聖化とみえる状況は宗教的領域の拡張や拡散ではなく、消費文化を動力とした宗教的領域とその他の領域との相互浸透の深化を意味』
日本人の棄権は満足ではなく不満で棄権する「退出的棄権」が多い/不満で棄権→不満が選挙を通して反映されない→政権の固定化へ/「自分が貢献できる可能性」という感覚が退出的棄権を思いとどまらせる場合がある
80年代前半に、メタ的な『「番組の演出を上から目線で笑う」という観方を,視聴者ではなく,ほかならぬ「テレビ」そのものが広めはじめた』ことが、川口浩的コンテンツの失墜に繋がったと
80年代前半に、メタ的な『「番組の演出を上から目線で笑う」という観方を,視聴者ではなく,ほかならぬ「テレビ」そのものが広めはじめた』ことが、川口浩的コンテンツの失墜に繋がったと
堺利彦や荒畑寒村らが振るった『「性的存在にして(sexualization),貶めている(devaluation)」 という言説の暴力』/「革命家」表象にしても「男並み」を意味するものでしかないと
堺利彦や荒畑寒村らが振るった『「性的存在にして(sexualization),貶めている(devaluation)」 という言説の暴力』/「革命家」表象にしても「男並み」を意味するものでしかないと
『安全保障化とは,政治化の極端な形態であり……通常の政治的手続きの範囲外での行動を正当化することを意味する』/対中関係の行方次第では、本土・八重山vs沖縄全県の対立構図が強まると
『生活保護における扶養義務の厳格化は、保守的な家族主義だけでは説明できず、むしろ低所得者層を社会保障から排除するために要請された〈家族主義を纏った排除〉とでもいうべき現象』
『生活保護における扶養義務の厳格化は、保守的な家族主義だけでは説明できず、むしろ低所得者層を社会保障から排除するために要請された〈家族主義を纏った排除〉とでもいうべき現象』
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.iser.osaka-u.ac.jp/~saijo/pdffiles/spite-hist.pdf がリンク切れなので/「スパイト行動」について
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.iser.osaka-u.ac.jp/~saijo/pdffiles/spite-hist.pdf がリンク切れなので/「スパイト行動」について
『弁証法的プラグマティズムとはヘゲモニックな男性性が従属的な男性性や周縁的な男性性の要素を自らに流用することによって…女性の支配を維持する』ここで紹介されているイクメンの例はなるほどなと
『弁証法的プラグマティズムとはヘゲモニックな男性性が従属的な男性性や周縁的な男性性の要素を自らに流用することによって…女性の支配を維持する』ここで紹介されているイクメンの例はなるほどなと
日本の「男性学」における当事者とは、つまるところ研究者になれるような「中産階級の日本人の男性」でしかない、という指摘
日本の「男性学」における当事者とは、つまるところ研究者になれるような「中産階級の日本人の男性」でしかない、という指摘
『「セカイ系アニメの最終回」をリアルにするためには、われわれ自身があえて陳腐な言葉を語ることで、社会を変えることに対するシニシズムから抜け出すことも必要だと思う』
『「セカイ系アニメの最終回」をリアルにするためには、われわれ自身があえて陳腐な言葉を語ることで、社会を変えることに対するシニシズムから抜け出すことも必要だと思う』
http://3500131221.blog120.fc2.com/blog-entry-152.html より/『それらは地域に密着した<文化>なのであって、これをただちに<日本の伝統的食文化>とするためには、かなりおおがかりな忘却のための装置が必要となる』
http://3500131221.blog120.fc2.com/blog-entry-152.html より/『それらは地域に密着した<文化>なのであって、これをただちに<日本の伝統的食文化>とするためには、かなりおおがかりな忘却のための装置が必要となる』