- 著者
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大賀 郁夫
- 出版者
- 宮崎公立大学
- 雑誌
- 宮崎公立大学人文学部紀要 (ISSN:13403613)
- 巻号頁・発行日
- vol.9, no.1, pp.1-29, 2002-03-20
享保十一年,人吉藩預所である日向国椎葉山で横目役を勤める黒木六郎左衛門とその弟右田大六が,山中困窮を理由に杣山願を人吉藩に提出する。藩は「訳立難」として取上げないが,同十六年に至るまで六郎左衛門らは執拗に訴願を繰り返す。しかし藩が庄屋および願人らを吟味をした結果,六郎左衛門らの「私欲」によるものであると認定され,六郎左衛門は苗字取上げの上打首,大六は切腹を命じられて事件は落着した。しかし,この事件には不可解な問題が多く見られる。例えば六郎左衛門らの訴願手続きは合法的であり,公儀へ越訴や強訴,ましてや逃散したわけではない。訴願を繰り返しただけで死罪に処せられたのは何故か。六郎左衛門らも,再々度と訴願を執拗に繰り返したのは何故か。願書に連署した庄屋らが一切処分されないのは何故かなど,多くの疑問が残るのである。本稿では,「椎葉山杣山願一巻萬覚」などの基本史料を詳細に検討することにより事件の真相について考察し,この事件が宝永期の杣山請負における不正事件の告発で藩を揺さぶり,杣山願の許可を得ようとする六郎左衛門に対して,藩が彼らを処刑することで事件を隠蔽したものであることを明らかにした。