著者
磯田 道史
出版者
学術雑誌目次速報データベース由来
雑誌
日本研究 : 国際日本文化研究センター紀要 (ISSN:09150900)
巻号頁・発行日
vol.24, pp.87-109,vii, 2002

徳川日本の武士身分は兵農分離されていたとされる。しかし、実際には百姓がしばしば足軽・中間として大名の下層家臣に加わっていた。そこで、本稿では津山藩における奉公人雇用の実態調査を試みた。津山藩と山北村の古文書を調べた結果、人口一〇万人の津山藩では常に領民二四〇〇人を雇っており、それに例年八四〇〇石もの奉公給を支払っていた事実が明らかとなった。足軽や中間には城下近村に住む農民が雇われることが多く、彼らは農業に従いながら侍の公務補助や守衛を務めていた。

言及状況

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"常に領民二四〇〇人を雇っており それに例年八四〇〇石もの奉公給を支払っていた""足軽や中間には城下近村に住む農民が雇われることが多く、彼らは農業に従いながら侍の公務補助や守衛を務め" →2002年の論文。

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文書番号を書かない論文はたくさんある。例えば磯田道史「津山藩領山北村の足軽・中間奉公」https://t.co/iwIBy2reez の註(18)は「津山郷土博物館所蔵、山北村文書」となっていて文書番号が書かれていない。

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