著者
磯田 道史
出版者
慶應義塾大学
雑誌
史学 (ISSN:03869334)
巻号頁・発行日
vol.71, no.2, pp.137-176, 2002

論文はじめに一 ペリー来航と門閥制度 1 ペリー来航以降 2 門閥世襲批判 3 人才挙用論二 諸士皆学制の施行 1 鳥取藩の藩校教育 2 藩校への出席強制 3 登校拒否の理由三 藩校による人材選抜 1 藩校の改革 2 役人選挙制の導入 3 門地格禄の廃絶へおわりに
著者
磯田 道史
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 (ISSN:09150900)
巻号頁・発行日
vol.40, pp.13-42, 2009-11

近世日本の諸藩では、さまざまな、藩政改革がなされた。なかでも、十八世紀後半から十九世紀前半にかけて、全国諸藩に最も影響した藩政改革をあげるとするならば、熊本藩の宝暦改革と水戸藩の天保改革の二つが特筆される。 十九世紀以降、幕府諸藩は近代化にむけた動きをみせはじめるが、この時期には、いくつかの改革モデルを提示する「先駆的な藩」があらわれた。近世中期から後期の藩政改革の展開は、第一段階として一七五〇年ごろから、熊本藩など少数の「先駆的な藩」が藩政改革をすすめ「プロト近代化行政」とでもいうべき行政モデルが形成され、第二段階として、一八〇〇年ごろ、このような先駆的な藩の動きが、松平定信政権のもとで幕府の寛政改革にとりこまれてゆき、全国の諸藩でも相次いで類似の「官制改革」がおこなわれた。そして、第三段階として、一八三〇年ごろ、幕府と水戸藩が天保改革を行い、いわゆる雄藩が登場し、とくに水戸藩の天保改革が「海防」の政策モデルとして諸藩に政策的影響をおよぼすようになった。つまり、熊本藩と水戸藩の改革は一九世紀における日本の近代化の流れに強い影響を与えたといえる。 そこで本稿では熊本藩と水戸藩をとりあげ、両藩の政策を比較検討し、政策的影響の有無をみた。熊本藩の宝暦改革が、後に全国諸藩に大きな影響を与えることになる水戸藩にどのような政策的影響をあたえていたのか。一九世紀前半における日本の近代化を考えるうえで、熊本藩から水戸藩へという流れをみる。一八世紀後半、熊本藩には先駆的な行政モデルが胚胎していた。これが天保改革に帰結していく水戸藩の藩政の動きに、具体的に、どのようにつながるのか。または、つながらないのか。この点を考察した。
著者
磯田 道史
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 (ISSN:09150900)
巻号頁・発行日
no.19, pp.221-239, 1999-06

日本の武士社会では、養子が家を継ぐことが、しばしばある。しかも、日本の養子制度は中国や朝鮮の制度と異なり、必ずしも、同じ家の成員でなくてもよい。しかも、養子が、当主(家父長)になって、その家を継承・相続する点が特徴的である。この東アジア社会では特異な制度は、日本近世の身分制社会にとって、どのような意味を持ったのであろうか?一八世紀末から一九世紀末の武士の養子制度について、長門国清末藩(山口県下関市)の侍の由緒書(家の歴史記録)と分限帳(名簿)をもとに、分析した。その結果、次のことが、明らかになった。(1) 養子相続の割合は三九・〇%にのぼる。そのうち、家名が異なる者が養子になった割合は、三四・二%であった。(2) 同じ身分や階層のなかで、閉鎖的に、養子が交換されている。養子の出身をしらべると、八五%は同じ清末藩士の子であった。武士の子が約九九%で、残りの約一%は僧侶や医者の子であった。同じ武士でも、藩で決めた家のランクが同じ、もしくは、一ランクだけ違う武士の間で、主に養子が交換されている。禄高が二倍以上離れた家が養子をやりとりする例は少ない。(3) そのため、養子制度をつかって、個人が大きな社会移動をするのは難しかった。日本の武士社会では、父の禄高が子の禄高に与える影響は絶大であった。父の地位の影響力をパス係数でみると、実子の場合、〇・九におよぶ。他の家に養子に出た場合でさえ〇・五であった。 もし、養子の制度がなければ、日本の武士の家は、一〇〇年で七〇%以上が途絶えたはずである。しかし、養子制度があるため、武士の家は途絶えず、新たな家が支配層に参入する機会を少なくしていた。日本の養子制度は、同じ階層内で武士を再生産する制度であったため、重要な例外を除いて、直ちに身分制度をゆるめるものではなかった。むしろ、既に支配層にある特定の家々の人々が、永続的にその地位を占めつづけるのに、役立っていたと指摘できる。
著者
磯田 道史
出版者
学術雑誌目次速報データベース由来
雑誌
日本研究 : 国際日本文化研究センター紀要 (ISSN:09150900)
巻号頁・発行日
vol.24, pp.87-109,vii, 2002

徳川日本の武士身分は兵農分離されていたとされる。しかし、実際には百姓がしばしば足軽・中間として大名の下層家臣に加わっていた。そこで、本稿では津山藩における奉公人雇用の実態調査を試みた。津山藩と山北村の古文書を調べた結果、人口一〇万人の津山藩では常に領民二四〇〇人を雇っており、それに例年八四〇〇石もの奉公給を支払っていた事実が明らかとなった。足軽や中間には城下近村に住む農民が雇われることが多く、彼らは農業に従いながら侍の公務補助や守衛を務めていた。
著者
財城 真寿美 磯田 道史 八田 浩輔 秋田 浩平 三上 岳彦 塚原 東吾
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2009年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.192, 2009 (Released:2009-06-22)

1.はじめに 東アジア地域では測器による気象観測が最近100年間程度に限られるため,100年以上の気象観測データにもとづく気候変動の解析が困難であった.近年,地球規模の気温上昇が懸念される中,人間活動の影響が小さい時期の気象観測記録を整備し,長期的な気候変動を検証することは,正確な将来予測につながると考えられる.またこれまで数多く行われてきた古日記の天候記録による気温の推定値を検証する際にも,古い気象観測データが有効であると考えられる. Zaiki et al.(2006,2008)は1880年代以前の日本(東京・横浜・大阪・神戸・長崎),また中国(北京)における気象観測記録を均質化し,データを公開している.本研究はこれまで整備してきた19世紀の気象観測記録とほぼ同時期の1852~1868年に,水戸で観測された気温の観測記録を均質化し,現代のデータと比較可能なデータベースを作成することを目的とした.さらにそのデータを使用して,小氷期末期にどのような気温の変化があったかを検討する. 2.資料・データ 19世紀の水戸における気温観測記録は,水戸藩の商人であった大高氏の日記(大高氏記録)に含まれている.原本は東京大学史料編纂所に,写本が茨城大に所蔵されている.寒暖計による気温観測は1852~1868年にわたり,1日1回朝五つ時に実施されている. 水戸気象台の月平均値は要素別月別累年値データ(SMP:1897年~),日・時別値は地上気象観測日別編集データ(SDP:1991年~)を使用した. 3.均質化 大高氏記録の気温は,華氏(°F)で観測されているため,摂氏(°C)へ換算した.さらに,当時の観測時刻である不定時法の「朝五つ時」は季節によって変動するため(午前6時半~8時頃),各月の平均時刻を算出した.そして,水戸気象台の気温時別データを利用して,各月の朝五つ時のみの観測値から求めた月平均気温と24時間観測による月平均値を比較し,均質化のための値を算出した.均質化後には,最近50年間の観測データとの比較によって異常値を判別し,データのクオリティチェックを行った. 4.19世紀の水戸における気温の変動 今回,大高氏記録から所在が判明した1852~1868年の水戸の気温データは未だに断片的ではあるが,1850・1860年代は寒暖差が大きく,夏(8月)は水戸の平年値よりも0.9°C高く,冬(1月)は0.5°C寒冷であったことが明らかとなった.これは,すでにデータベース化している19世紀の東京・横浜での気温の変動とほぼ一致する傾向にある.今後は,大高氏による観測環境がどの程度直射日光の影響を受けやすかったのか等,検討する必要がある.
著者
磯田道史著
出版者
文藝春秋
巻号頁・発行日
2013
著者
松岡 心平 天野 文雄 磯田 道史 小川 剛生 落合 博志 高桑 いづみ 高橋 悠介 竹本 幹生 橋本 朝生 姫野 敦子 宮本 圭造 山中 玲子 横山 太郎
出版者
東京大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2006

本研究は、観世文庫が所蔵する貴重な能楽関係文献資料の調査・整理・保存・公開によって、今後の能楽研究の発展の基礎を築いた。資料はマイクロフィルムに撮影・保存したうえで、これをデジタル画像化し、文献調査に基づく書誌情報と統合してデータベース化した。これはデジタルアーカイブとしてWeb上に公開され、資料が世界中から検索・閲覧可能になった。さらに「観世家のアーカイブ展」の開催を通じて、研究によって得られた知見の普及をはかった。
著者
松岡 心平 天野 文雄 磯田 道史 小川 剛生 落合 博志 小林 健二 高桑 いづみ 高橋 悠介 橋本 朝生 宮本 圭造 山中 玲子 横山 太郎
出版者
東京大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2010-04-01

観世文庫の能楽関係資料は、質・量ともに能楽に関する最重要の資料群である。本研究では、これらの資料の調査・研究に基づき、インターネット上で画像と解題を公開するデジタル・アーカイブ「観世アーカイブ」を拡充させると共に、これを活用して、近世能楽史の研究を大きく進めた。特に、15世観世大夫元章(1722~74)の能楽改革に関する研究に重点を置き、観世元章に関する用語集と関係書目、年譜をまとめ、刊行した他、元章による注釈の書入れが顕著な謡本『爐雪集』の翻刻と検討を行った。さらに、観世文庫に世阿弥自筆能本が残る「阿古屋松」の復曲を行い、観世文庫資料の展覧会でも研究成果を公開した。