- 著者
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小松 香織
- 出版者
- 日本中東学会
- 雑誌
- 日本中東学会年報 (ISSN:09137858)
- 巻号頁・発行日
- no.5, pp.113-172, 1990-03-31
オスマン帝国軍艦エルトゥールル号は、スルタン。アブデュル・ハミト2世の命により1890年日本に来航したが、帰路熊野灘で暴風雨のため遭難し多数の犠牲者を出した。この悲劇的な事件は、これまで日土交渉史の文脈の中で繰り返し語られてきた。本稿は、この事件の百周年を契機に、従来とは別の視点から捉え直そうと試みたものである。第1章では、トルコ海軍文書館の史料に基づき、エルトゥールル号派遣計画の立案から遭難に至るまでの経緯を整理し、事実関係をできるだけ明らかにするとともに、いくつかの問題点を指摘した。第2章では、背景となった19世紀末のオスマン帝国をめぐる国際関係、特にアブデュル・ハミト2世の外交政策を分析し、その結果をふまえてエルトゥールル号派遣の持つ歴史的意味を考察した。なお、詳しくは拙稿「アブデュル・ハミト2世と19世紀末のオスマン帝国-エルトゥールル号事件を中心に-」(『史学雑誌』第98編第9号40-82頁)をご参照いただきたい。