- 著者
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Khor Diana
- 出版者
- 国際基督教大学
- 雑誌
- ジェンダー&セクシュアリティ (ISSN:18804764)
- 巻号頁・発行日
- no.5, pp.45-59, 2010
筆者は日本におけるレズビアンの経験・生活を分析するにあたって、その背景となる理論を確立する過程で、英文で書かれた日本の同性間セクシュアリティに関する研究が、数人の研究者によるものによって占められている状況に直面した。それらの英語文献における主張は、日本における同性愛に対する寛容さ、セクシュアリティの多様さ、さらにアイデンティティの一貫性のなさを想起させるものである。本稿ではそれらの主張および、日本の同性間セクシュアリティの一般化に対して意義を唱える。第一に、日本の同性愛に対する寛容さが誇張されることで、ジェンダーによる不平等やレズビアンに与えられるスティグマの問題をいかに無視しているかを示す。第二に、日本におけるアイデンティティの一貫性のなさという主張は、「西洋における一貫したアイデンティティ」を誇張することで可能となっており、アイデンティティに関する論考の対象が個人なのか集団なのかを混合したまま比較している、という分析レベルに問題があることを指摘する。これらの問題含みの主張や、日本のゲイ・レズビアン運動や活動家らは柔軟性がなく、西洋の真似に過ぎないという彼らの批判は、ある種のオリエンタリズムを反映しているとも考えられる。英語話者による日本のジェンダー・セクシュアリティ研究のコミュニティにおいては、見解の多様化を奨励し、日本におけるクィアな人々の経験や生活についての実証研究を推進して行くことが急務である。