- 著者
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森田 耕喜
- 出版者
- 国際医療福祉大学
- 雑誌
- 国際医療福祉大学紀要 (ISSN:13424661)
- 巻号頁・発行日
- vol.3, pp.79-88, 1998-12-25
ハイデッガーの『存在と時間』における「死」の概念の分析が本稿の目的である。「存在の意味への問い」は「現存在」という自らの存在に自らの関わり得る特殊な存在者=人間存在によって遂行される。「世界-内-存在」とあり方で「世界」が「開示」されている「現存在」は、自ら発光する光源、事象が明るみに出される場、人間と「世界」との関係が照射される地平と言える。「世界」の開示性において、常に既にそこへと投げ込まれている「情態性」と、そこで開かれている「可能性」としての「了解」に基づいて、現在と未来という「時間」が浮上する。しかし、「現存在」は自らの様態を「気遣い」ながら、その本来的な可能性を回避し、「死」の「確実性」と不確定性を覆い隠して日常性に埋没し、「頽落」している。これに動揺を与えるのが「不安」であり、その対象は「世界-内-存在」そのものである。「現存在」の「存在」は「全体」として捉えられねばならないが、それは自らの終わりとして「全体」を完結させる極限としての「死」に関係する。「死」は「現存在」にとって「最も固有の、没交渉的で、追い越しえない可能性」としてある。