著者
逢見 憲一
出版者
国立保健医療科学院
雑誌
保健医療科学 (ISSN:13476459)
巻号頁・発行日
vol.58, no.3, pp.236-247, 2009-09

目的:"スペインかぜ"を含む19世紀後半から現代に至るインフルエンザ流行の歴史を追い,その健康被害について可能な限り定量的に把握したうえで,公衆衛生の観点からみたインフルエンザ対策と社会防衛について検討する.方法:内務省衛生局編「流行性感冒」の他,各種資料,研究をもとに各時期におけるインフルエンザのパンデミック(世界的流行)あるいは非パンデミックの流行について記述した.インフルエンザの健康被害については,「超過死亡」の推計と検討を中心に把握した.その上で,各時期のインフルエンザ流行に対してどのような医療的あるいは公衆衛生的対策が行われたかを記述し,その役割と今日的意義について検討した.結果:"お染風"と恐れられた1889─91年パンデミックによる東京,神奈川の超過死亡は,1918─20年の"スペインかぜ"パンデミックに匹敵するものであった."スペインかぜ"以前の時期に比べて,"スペインかぜ"以後は年平均で約10倍の超過死亡がみられた."スペインかぜ"以後の1921年から1938年の超過死亡数の合計は,"スペインかぜ"流行期の超過死亡数の合計に匹敵するものであった.1952年から1974年までの間,アジアかぜと香港かぜのパンデミックを除いた非パンデミック期の超過死亡の総数は,両パンデミック期を合わせた超過死亡数の35. 倍以上であった.超過死亡年あたりの平均超過死亡数は,パンデミック期と非パンデミック期とでほとんど同規模であった.超過死亡に対するインフルエンザを直接の死因とする死亡の比は,パンデミック期には高く,非パンデミック期に入ると低下しており,非パンデミック期にはインフルエンザが"忘れられ"る傾向がみられた.わが国において学童への予防接種が実施されていた1970年代から80年代にはインフルエンザによる超過死亡は低く,1990年代の集団接種中止以降超過死亡が増加していたことに加えて,2000年代の高齢者への接種開始後はふたたび超過死亡が減少していた.インフルエンザへの対策は,1889─91年パンデミックの際には,迷信を非難し,滋養や医師の受診を勧める程度であったが,1918─20年の"スペインかぜ"パンデミックの際には,検疫,隔離,学校閉鎖,集会の禁止などの"公衆衛生的介入(Non-pharmaceutical Interventions)"が確立した.マスクや予防接種などは,その後個人防衛への遷移が進んだ.結論:インフルエンザ対策に関しては,非パンデミック期の対策を"忘れる"べきではない."公衆衛生的介入"については,"スペインかぜ"の経験に学ぶべきである.予防接種を含む"社会防衛"も再検討すべき時期である.

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インフルエンザの流行による学級閉鎖(休業)が導入された経緯とその効果を知りたい。

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公衆衛生の観点から、病原体に対する脅威をシュミレートする予測は常に行われてきた。それを掻い摘んで、パンデミックを起こし準備をしていたなど言う陰謀論を展開する一部の感覚的、直感的、世紀末思想に彩られたカルト原理主義な人に見受けられる。 #カルト #世紀末思想 https://t.co/ULD7Yo9DQf
逢見憲一「公衆衛生からみたインフルエンザ対策と社会防衛 -19世紀末から21世紀初頭にかけてのわが国の経験より」保健医療科学 58(3), 236-247, 2009-09 https://t.co/zdpG1BzLWk はもうちょっと長いスパンで見た議論。

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