著者
逢見 憲一 丸井 英二
出版者
日本公衆衛生学会
雑誌
日本公衆衛生雑誌 (ISSN:05461766)
巻号頁・発行日
vol.58, no.10, pp.867-878, 2011 (Released:2014-06-06)
参考文献数
68

目的 わが国におけるインフルエンザによる健康被害を定量的に把握し,超過死亡と予防接種制度との関連を考察する。方法 人口動態統計を用い,1952~74年および1975~2009年の総死亡率の季節変動から,インフルエンザによる超過死亡率と死亡数を推計した。結果 1952–53年から2008–09年の超過死亡数の合計は687,279人,年平均12,058人であった。 アジアかぜ,香港かぜ,ソ連かぜを合わせたパンデミック期 6 期分の超過死亡数は95,904人,それ以外の非パンデミック期51期分は591,376人とパンデミック期の約 6 倍であった。超過死亡年あたりの平均超過死亡数は,パンデミック期が23,976人,非パンデミック期が23,655人とほぼ同規模であった。 アジアかぜ,香港かぜパンデミック開始時には,超過死亡に占める65歳未満の割合が増大していた。 わが国の予防接種制度に関する時期別のインフルエンザ年平均年齢調整死亡率(10万人あたり)は,1952–53~61–62年(勧奨接種前)42.47,1962–63~75–76年(勧奨接種期)19.97であったが,1976–77~86–87年(強制接種期)には6.17に低下し,1987–88~93–94年(意向配慮期)は3.10であったが,1994–95~2000–01年(任意接種期)には9.42に急上昇し,2001–02年以降(高齢者接種期)には2.04に急低下していた。5~14歳の学童では,任意接種期の超過死亡率は強制接種期の15倍以上となっていた。また,65歳未満の年齢階層では,強制接種期の方が高齢者接種期よりも超過死亡率が低かった。結論 インフルエンザによる超過死亡は,パンデミックの有無によらず継続的にみられていた。また,インフルエンザとは診断されない超過死亡がインフルエンザ超過死亡全体の 8~9 割を占めていた。 わが国において,1970~80年代の学童への予防接種,および2000年代の高齢者への予防接種がインフルエンザ超過死亡を抑制していたこと,また,学童強制接種による超過死亡抑制の効果が大きかったことが示唆された。 公衆衛生政策上,非パンデミックの時期にも一般的なインフルエンザ対策を継続することが重要である。学童への集団予防接種も含め,“社会防衛”の理念を再評価すべきである。
著者
逢見 憲一
出版者
日本健康学会
雑誌
日本健康学会誌 (ISSN:24326712)
巻号頁・発行日
vol.86, no.5, pp.209-223, 2020-09-30 (Released:2020-11-02)
参考文献数
45

We overviewed a series of studies on life tables and infant mortality in pre-WWII Korea under imperial Japan conducted by Haruo Mizushima, who have studied life tables as a professor of hygiene at Keijo Imperial University.Mizushima et al. recognized that there was a problem with the accuracy of infant mortality in Koreans from the perspective of multifaceted demographic issues, also recognized of the “new vital statistics” in Korea after 1938 (Showa 13). However, he had still doubted the accuracy of infant mortality in Koreans as a demographic expert.In addition, the results of their research were shared by demographic experts even after World War II, and new estimates and research were made based on them.
著者
逢見 憲一
出版者
日本健康学会
雑誌
日本健康学会誌 (ISSN:24326712)
巻号頁・発行日
vol.86, no.2, pp.47-64, 2020-03-31 (Released:2020-04-15)
参考文献数
78

We calculated age structure of long term elongation in life expectancy using Japanese life tables, mainly complete life tables and complementarily abridged life tables, examined quantitatively the role of medicine and public health.The life expectancy of modern Japan has been achieved by nearly 50% before the 1950s in which anti-tuberculous drugs etc. are wide-spread, and achieved by 60% or more before the universal health insurance coverage and national health promotion projects, just as Thomas McKeown has pointed out, known as “McKeown Thesis”.The rate of decrease in mortality rate and extension of life expectancy from before World War II until the middle of the 20th century has hardly changed after the spread of effective medical technology such as anti-tuberculosis drugs etc. This suggests that the mortality rate declined consistently from before and throughout World War II, and as well as the decrease in mortality rate and average life expectancy after the spread of effective medical technology such as anti-tuberculosis drugs etc. Thus, the decrease in the mortality rate and the extension of the life expectancy after the spread of effective medical technology, it was not much greater than the reduction of the mortality before the spread of medical technology.Looking at these findings, the role of the modern medicine and public health after the mid-20th century should be, based on the mortality rate achieved before the mid-20th century, to maintain and to improve the level of mortality.
著者
逢見 憲一
出版者
国立保健医療科学院
雑誌
保健医療科学 (ISSN:13476459)
巻号頁・発行日
vol.58, no.3, pp.236-247, 2009-09

目的:"スペインかぜ"を含む19世紀後半から現代に至るインフルエンザ流行の歴史を追い,その健康被害について可能な限り定量的に把握したうえで,公衆衛生の観点からみたインフルエンザ対策と社会防衛について検討する.方法:内務省衛生局編「流行性感冒」の他,各種資料,研究をもとに各時期におけるインフルエンザのパンデミック(世界的流行)あるいは非パンデミックの流行について記述した.インフルエンザの健康被害については,「超過死亡」の推計と検討を中心に把握した.その上で,各時期のインフルエンザ流行に対してどのような医療的あるいは公衆衛生的対策が行われたかを記述し,その役割と今日的意義について検討した.結果:"お染風"と恐れられた1889─91年パンデミックによる東京,神奈川の超過死亡は,1918─20年の"スペインかぜ"パンデミックに匹敵するものであった."スペインかぜ"以前の時期に比べて,"スペインかぜ"以後は年平均で約10倍の超過死亡がみられた."スペインかぜ"以後の1921年から1938年の超過死亡数の合計は,"スペインかぜ"流行期の超過死亡数の合計に匹敵するものであった.1952年から1974年までの間,アジアかぜと香港かぜのパンデミックを除いた非パンデミック期の超過死亡の総数は,両パンデミック期を合わせた超過死亡数の35. 倍以上であった.超過死亡年あたりの平均超過死亡数は,パンデミック期と非パンデミック期とでほとんど同規模であった.超過死亡に対するインフルエンザを直接の死因とする死亡の比は,パンデミック期には高く,非パンデミック期に入ると低下しており,非パンデミック期にはインフルエンザが"忘れられ"る傾向がみられた.わが国において学童への予防接種が実施されていた1970年代から80年代にはインフルエンザによる超過死亡は低く,1990年代の集団接種中止以降超過死亡が増加していたことに加えて,2000年代の高齢者への接種開始後はふたたび超過死亡が減少していた.インフルエンザへの対策は,1889─91年パンデミックの際には,迷信を非難し,滋養や医師の受診を勧める程度であったが,1918─20年の"スペインかぜ"パンデミックの際には,検疫,隔離,学校閉鎖,集会の禁止などの"公衆衛生的介入(Non-pharmaceutical Interventions)"が確立した.マスクや予防接種などは,その後個人防衛への遷移が進んだ.結論:インフルエンザ対策に関しては,非パンデミック期の対策を"忘れる"べきではない."公衆衛生的介入"については,"スペインかぜ"の経験に学ぶべきである.予防接種を含む"社会防衛"も再検討すべき時期である.
著者
逢見 憲一
出版者
日本公衆衛生学会
雑誌
日本公衆衛生雑誌 (ISSN:05461766)
巻号頁・発行日
vol.51, no.6, pp.452-460, 2004 (Released:2014-08-29)
参考文献数
23

目的 1899年以降の人口動態統計について,今後の分析の基礎とするため,各年代の報告書における背景や意図を把握することを目的とした。方法 厚生労働省図書館の所蔵する報告書を主に通覧し,作表の様式について変遷を観察・記述して分析を加えた。成績 1899年以降第二次世界大戦前の人口動態統計の作表の様式は,時期を経るにつれて変遷がみられた。その様式は,(1)明治期から大正初期,(2)大正中期,(3)大正後期から昭和初期,(4)昭和10年代,のものに大別された。 また,明治から大正中期までの時期には,道府県に明確な序列がみられた。この序列は1923年に改められ,これ以降,道府県を地理的に鳥瞰する配列で統計が作表されるようになっていた。さらに,1919年には,総覧において「總數」と「内地總數」が表の冒頭に掲載されるようになっていた。結論 1899年以降の人口動態統計について,とくに第二次世界大戦前の報告書における様式には,時期とともに変遷がみられた。明治後期から大正期にかけて,道府県から「国家」へ,道府県民から「国民」への人口動態における視座が変化したことが示唆された。
著者
逢見 憲一
出版者
国立保健医療科学院
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2015-04-01

令和元年度は,人口動態統計毎月概数,大日本私立衛生會雜誌,日本公衆保健協会雑誌,公衆衛生,等の資料の発掘と収集,分析を行った。また,上記発掘資料を用いて,わが国の平均寿命延長に医療・公衆衛生の果たした役割を定量的に検討した学術論文「わが国の平均寿命延長の年齢構造と医療・公衆衛生の役割―第4回から第22回生命表より―」を執筆投稿し,受理掲載された。また,上記発掘資料を用いて,内務省保健衛生調査会設置から日中戦争・第二次大戦下での公衆衛生活動等について検討した。さらに,パンデミック対策の一助とすべく,わが国の“スペインかぜ”を含むインフルエンザパンデミックによる健康被害を定量的に把握し,あわせてわが国における公衆衛生行政の置かれていた状況を検討した。令和2年度は,新型コロナウイルスパンデミック対策の一助とすべく,上記大日本私立衛生會雜誌の1918(大正7)年から1920(大正9)年の “スペインかぜ”に関する記事・論文を検討し,(1) スペインかぜ流行期の対策の大枠は現代に劣らないものであったこと,(2) ただし,「明治19年の蹉跌」により,地方の衛生行政は警察の所管となって取締行政の性格が強くなり,住民との乖離が大きくなっていたこと,(3) また,スペインかぜの当時,公衆衛生を取り巻く状況は必ずしも恵まれたものではなかったこと,などの仮説を検討する。また,第二次大戦前に京城帝国大学教授として生命表研究に携わった水島治夫を中心とした旧植民地の生命表や乳児死亡に関する一連の研究を概観し,第二次大戦前の植民地医学・衛生学の到達点を確認する。さらに,近年の年齢調整死亡率低下の年齢・死因構造から,指標としての有用性や活用方法を検討することを目的とし,2000年から2015年の全国について,死因別年齢調整死亡率を算出し分析する。なお適宜,研究順序やテーマの入れ替え・変更を行う予定である。
著者
鈴木 晃仁 脇村 孝平 杉田 聡 橋本 明 飯島 渉 杉田 米行 加藤 茂生 廣川 和花 渡部 幹夫 山下 麻衣 永島 剛 慎 蒼健 ヨング ジュリア 香西 豊子 逢見 憲一 田中 誠二
出版者
慶應義塾大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2010

疾病・病者・医者の三つのエージェントが会して構成される「医療」という動的な場は、どのような歴史的な構造を持つのか。疾病環境の変化、人々の病気行動の変化、そして医療者の科学と技術の変化の三つの相からなる医療の構造変化は、近現代の日本の変化とどのような関係があり、世界の中の変化とどう連関したのか。これらの問いが、急性感染症、スティグマ化された疾患、帝国医療の主題の中でとらえられた。