著者
土井 由利子 石原 金由 内山 真
出版者
国立保健医療科学院
雑誌
保健医療科学 (ISSN:13476459)
巻号頁・発行日
vol.64, pp.104-111, 2015-04

サマータイム制度のサマータイムは,daylight saving time(DST)を日本語に訳したもので,DSTは,今から100年前の1916年に英国を中心に導入された. 1 年を夏時間(DST)と冬時間に 2 分割し,DST開始初日に時計を 1 時間進め,日没から就寝までの時間を 1 時間減少させて照明用の電力消費を1 時間分減少させ,電力消費に係る費用を削減しようという狙いがあった.現在,比較的高緯度地域の国々を中心に,この制度が実施されている.例えば,DSTは, 3 月最後の日曜日の午前 2 時が午前3 時へ切り替わって始まり,10月最後の日曜日の午前 3 時が午前 2 時に切り替わって終わる.近年,ヒトの睡眠研究の進歩と相俟って,DSTによる睡眠や健康への影響に関する研究成果が発表されるようになった.本稿では,睡眠と覚醒のしくみ(生物時計(概日リズム)と社会的時計)について説明し,DSTによる睡眠や健康への影響について,文献レビューをもとに解説を行った.要約すると,次のとおりである.1. 睡眠への影響:( 1 )概日リズムの再同調に要する時間(数日から数週間);( 2 )睡眠の断片化と睡眠効率の低下;( 3 )睡眠時間の減少(30 〜 60分程度(DST開始後(春));( 4 )睡眠時間の増加(40分程度(DST終了後(秋)). 2 .健康への影響:( 1 )急性心筋梗塞発症の増加(DST開始後(春));( 2 )急性心筋梗塞の発症は増加または不変(DST開終了後(秋)). 3 .DSTの影響を受けやすいリスクグループ:( 1 )睡眠時間が短い,または不足している人;( 2 )夜型化傾向の人;( 3 )高齢者;( 4 )循環器疾患(心疾患,糖尿病,高血圧)の既往歴のある人;( 5 )循環器疾患の薬を服用している人.サマータイム制度によるDSTは,その制度が導入されている地域全体に及ぶので,その地域の中で,DSTをリスク要因とした非曝露集団を設定することができない.正確なリスク分析を行うには,DST が導入されていない地域で,DSTの導入の有無で適切にランダム化した比較試験が必要であるが,先行研究(ヒトを対象とした睡眠研究および疫学研究)でリスクの可能性が指摘されている以上,倫理的に,この研究デザインを用いた研究を実施する可能性は極めて低い.しかしながら,DSTのリスクグループとされる人々が,特殊な限られた集団ではない点は注目に値する.DST(曝露)が地域全体に及んでいることとも考え合わせると,DSTによる睡眠や健康への全体としての影響は大きいと考えられ,この分野での研究の動向に注目して行く必要があると思われる.
著者
片野田 耕太
出版者
国立保健医療科学院
雑誌
保健医療科学 (ISSN:13476459)
巻号頁・発行日
vol.69, no.2, pp.103-113, 2020-05-29 (Released:2020-06-27)
参考文献数
51

喫煙の健康影響は,日本では,2016年に厚生労働省「喫煙と健康 喫煙の健康影響に関する検討会報告書」(いわゆる「たばこ白書」)で包括的な評価が行われている.「たばこ白書」で受動喫煙との因果関係を推定するのに十分である(レベル 1 )と判定された疾患は,成人では肺がん,虚血性心疾患,および脳卒中である.これらの疾患の死亡に占める受動喫煙の寄与は,男性で 1 ~ 4 %,女性で 9 ~10%を占め,年間死亡数では約 1 万 5 千人に相当する.小児では乳幼児突然死症候群および喘息既往について受動喫煙との因果関係が十分であると判定された.受動喫煙を防止するには,屋内の公共の場所や職場を罰則付きで禁煙にする法制化が有効であり,アジアを含めて世界標準になっている.法制化後に成人,周産期,小児の健康影響が減ることについても科学的に十分な証拠がある.受動喫煙の健康影響に関する科学的証拠は,日本人が世界で初めて報告し,数十年を経て屋内禁煙という国際的な社会規範に結び付いた.科学的発見から社会制度の整備まで長い年月がかかった背景には,たばこ産業の干渉があり,そこには産業界のみならず科学界の人間が多く関与してきた.
著者
佐々木 典子 國澤 進 今中 雄一
出版者
国立保健医療科学院
雑誌
保健医療科学 (ISSN:13476459)
巻号頁・発行日
vol.70, no.2, pp.166-173, 2021-05-31 (Released:2021-06-25)
参考文献数
19

目的:一般に高齢になると医療利用度は高くなるが,高齢者の医療資源利用の実態(疾患領域・治療・投薬内容等)や医療費の集中度は,超高齢社会である日本や海外の先行研究でごく一部しか明らかとなっていない.地域の個票データを用いて,高齢者の年間医療費総額の特徴や分布等の記述を行うとともに,年間医療費高額患者の診療実態を示し,医療費高額患者の医療費全体への寄与割合や今後の課題を検討する.方法:都道府県レベルの 2 地域の国民健康保険レセプトデータ・後期高齢者レセプトデータ(2014年 4 月~2015年 3 月診療分)から得られた,65歳以上の受療者を対象とした.患者属性,疾患数(ICD-10コード章別分類ごと)および地域の医療費累積総額に対する医療費総額上位者の寄与割合等について記述し,年間医療費総額の集中度についてジニ係数を用いて検討した.さらに,医療費総額上位1%患者につき医療資源利用を診療行為に応じて「入院(薬剤・リハビリ除く)」「外来(薬剤・リハビリ除く)」「薬剤(入院・外来)」「リハビリ(入院・外来)」の 4 種類に分類し,利用割合や診療内容の詳細につき検討した.また,医療費総額上位100例につき疾患や診療内容の傾向につき明らかにした.結果:65歳以上の高齢受療者(n= 879,245)の年間医療費総額は6,349億円を示した.患者属性は女性が58.1%を占め,年齢階層別では65-74歳47.5%,75-84歳36.9%,85歳以上15.6%だった.年間総医療費の分布は上位 1 %で12.4%(784億円),上位 5 %で37.9%(2,406億円),上位10%で54.2%(3,439億円)を占めた.解析対象者の78.5%は入院しておらず,患者 1 人あたり年間疾患数は全体平均で7.5,上位 5 パーセンタイルで10.6,上位 1 パーセンタイルで11.1と,上位者ほど併存疾患が多くなっていた.また,対象者全体に対し年間医療費上位 5 %,同 1 %の方が入院医療費の占める割合が高かった.さらに,年間医療費総額の格差は,全被保険者でジニ係数0.663と高値を示し,年齢階層別では階層が高いほどジニ係数は低い傾向を認めた(65-69歳:0.710,70-74歳:0.679,75歳以上:0.639).上位100例の診療内容からは,循環器疾患,血液疾患に伴う診療が高額化に寄与し,複数の手術実施や維持透析も少なからず寄与していることが判明した.結論:高齢者の年間医療費総額の多くの部分が比較的少数の患者に集中していた.医療費の高額化に寄与する診療行為,疾患領域や治療内容が判明したことで,医師レベルで治療に関する意思決定の際に参考にすべき事項や,政策レベルでより効率的な医療資源配分を検討する際の一助となる可能性が示唆された.
著者
志村 勉 山口 一郎 寺田 宙 温泉川 肇彦 牛山 明
出版者
国立保健医療科学院
雑誌
保健医療科学 (ISSN:13476459)
巻号頁・発行日
vol.70, no.2, pp.160-165, 2021-05-31 (Released:2021-06-25)
参考文献数
34

東京電力福島第一原子力発電所事故の影響は大きく,事故後10年が経過した現在においても多くの課題が残されている.事故からの復興には,専門家,一般市民,政府の間で相互理解や信頼関係を構築して政策を進めることが必要とされている.福島事故により生じた放射性物質を含んだ汚染水の浄化処理が進められているが,処理後も除去できない放射性トリチウムなどの扱いが国内だけでなく世界から注目されている.本稿では,放射線影響研究から明らかにされたトリチウムの生物影響と飲食品中のトリチウムの安全管理に関する知見を整理し紹介する.さらに,福島事故後の低線量放射線被ばくによる健康リスクに関する放射線の専門家の取り組みを紹介する.科学的知見は低線量放射線リスクを考える上での根拠となり,放射線のリスクコミュニケーションに活用することが期待される.放射線の健康不安対策として,適切な情報発信をつづけることが重要である.
著者
高橋 秀人
出版者
National Institute of Public Health
雑誌
保健医療科学 (ISSN:13476459)
巻号頁・発行日
vol.67, no.1, pp.42-49, 2018-02-01 (Released:2018-04-14)
参考文献数
23

福島東京電力原子力発電所事故後,福島県民健康調査(FHMS)がスタートした.この調査は基本調査,甲状腺検査,健康診査,こころの健康度・生活習慣に関する調査,妊産婦に関する調査から構成されている.この論文では,放射線被ばくと甲状腺がんとの関連が存在するかどうかについての検討を先行検査( 1 巡目検査)の結果から簡潔にまとめる.津田らの研究は県内の地域間比較(オッズ比OR=2.6,95% 信頼区間(CI): 0.99-7.0)と日本全体の発生状況との外的比較(罹患率比(IRR) = 50,95% CI : 25-90)を示し,関連性の存在をアピールした.しかし地域間比較については大平らが 2 通りの客観的な分類として, (1) 5 mSvより高い外部線量の割合が 1 %以上である市町村からなるグループ, 1 mSvより低い外部線量の割合が99.9%以上である市町村からなるグループ,その他)と,(2) WHOにもって用いられた地域,をそれぞれ用いた.分類(1)では,外部線量の最も高い群の最も低い群に対するオッズ比OR=1.49(95% CI : 0.36-6.23)を得,これは分類(2)でも同様であった.外的比較については,高橋らが,事故がない仮定のもとで,がんの進展モデルと甲状腺検査の感度を用いて,事故がない状況であっても福島県において116人の患者を検出しうることを示した.片野田らの研究では福島県における事故後の累積罹患率の期待度数(5.2人)と観測度数(160.1人)の比30.8(95%CI: 26.2-35.9)と累積死亡数(40歳以下で0.6人) の大きな乖離から,甲状腺検診の過剰診断の可能性を示唆している.このように,今回の放射線事故に関する放射線被ばくと甲状腺がんとの関連については,はじめに関連が示唆された結果が発表されたものの,それは過剰診断の可能性により生じている可能性が指摘され,その後客観的な分類,比較可能性等を考慮した研究により,これらの関連は否定されている.しかし,県民健康調査の甲状腺検診では事故後 4 か月間の外部被ばく線量の値のみが得られており,そのため事故後 4 か月以降の外部被ばく線量や内部線量はこれらの研究では用いられていない.個人個人の総被ばく線量の推定値を用いて関連の有無を明らかにする研究がさらに必要とされている.
著者
福田 治久 佐藤 大介 白岩 健 福田 敬
出版者
国立保健医療科学院
雑誌
保健医療科学 (ISSN:13476459)
巻号頁・発行日
vol.68, no.2, pp.158-167, 2019-05-01 (Released:2019-06-13)
参考文献数
25
被引用文献数
2

目的:2011年度より第三者提供が開始されたレセプト情報・特定健診等情報データベース(NDB)の研究利用が不十分な状況にある.学術研究を加速化させ,エビデンスに基づいた医療政策を推進するためには,NDBの活用可能性を高めていく必要がある.本研究の目的は,臨床疫学研究および医療経済研究を行うのに有用性が高く,かつ,データ容量の効率性が高いNDB解析用データセットを構築することである.方法:2009年 4 月から2016年12月の間の医科入院レセプトおよびDPCレセプトにおいて 1 度でも出現したことのある解析用患者IDを全データから無作為に25%分を抽出し,当該解析用患者IDの全期間における全診療行為情報を含む全レセプトデータを格納したNDBを用いた.臨床疫学研究および医療経済研究を行うのに有用性の高い解析用データセットテーブルに必要な変数について検討した.また,医科レセプトにおいては退院年月日情報が含まれていないことから,レセプトデータを用いた補完的な退院年月日を付加する方法について検討した.本検討では,退院年月日情報が含まれるDPCレセプトを用いて,入院年月日と診療実日数を用いる場合と,診療行為発生日を用いる場合のそれぞれの方法で退院年月日を算出し,実際のDPCレセプトに記載されている退院年月日との一致状況について検証した.結果:NDBに含まれるレコード識別情報を有機的に連結させた解析用データセットテーブルとして,以下の11テーブルを開発した:患者(KAN),レセプト(REC),傷病名(SYO),診療行為(SIN),薬剤(IYA),特定器材(TOK),調剤(TYO),調剤加算料等(TKA),DPC診断群分類(BUD),医療機関(IRK),入院(ADM).医療機関(IRK)を除く各テーブルは解析用患者IDによって相互に突合することができる.また,医科レセプトにおける補完退院年月日は,診療行為(SI),医薬品(IY),特定器材(TO),コーディングデータ(CD)の各レコードにおける診療行為年月日の最終日情報を用いることで,99.83%の入院症例において正しい退院年月日を付加することができた.結論:本研究において開発した解析用データセットテーブルを用いることで,NDBを用いた臨床疫学研究および医療経済研究を即座に実施可能な環境をもたらすことができる.
著者
宮城 浩明
出版者
国立保健医療科学院
雑誌
保健医療科学 (ISSN:13476459)
巻号頁・発行日
vol.64, pp.563-573, 2015-12

各種の機器から発せられる電磁界に一般公衆がばく露される機会が増加している.これに伴い,電磁界による潜在的な健康影響についての懸念,とりわけ,頭痛,けん怠感,目眩,睡眠障害といった各種の非特異的な身体症状が生じるという主張がある.これらの症状は「電磁過敏症」と呼ばれており,苦しんでいる人々のwell-beingを損なう場合がある.そうした人々の懸念は正当なものであるが,これまで実施されてきた研究では,これらの症状と電磁界ばく露との因果関係を示す証拠は認められていない.本稿では,この「電磁過敏症」に関する現時点での知見について概観する.
著者
名城 健二
出版者
国立保健医療科学院
雑誌
保健医療科学 (ISSN:13476459)
巻号頁・発行日
vol.63, pp.401-406, 2014-08

オーストラリア連邦(以下AU)政府は,国内において増え続けるファミリーバイオレンス(以下FV)が母子の身体面や精神面,子どもの脳に与える悪影響を防止するために国の政策としてその解決に力を注いでいる.中でもビクトリア州(以下VIC)は,2006年から特徴的なFVの対応と予防システムを構築している.このシステムは,FVサービスの統合を目指し,警察官と裁判官,地域のFVのスペシャリストにてFVの対応について共通理解し,共に行動し,FVの被害者に対し共通のアセスメントを行い,専門的なサービスを提供するという流れになっている.VICは,FVの対応と予防をPrevention(予防),Early intervention(早期介入),Crisis(危機介入)の三つのレベルに分けシステムを構築している.Preventionレベルは,教育により人々の態度と行動を変え暴力のない関係を作り,女性と子ども達への暴力による犠牲の予防を目的にしている.Earlyinterventionレベルは,暴力的な支配や暴力的な行動を見せている個人とグループの早期発見を目的にしている.このレベルで最も特徴的な取り組みは,2009年のシステム改良後から開始された,各関係機関において共通に使用するCommon Risk Assessment and Risk Management Framework(以下フレームワーク)である.これは警察署や学校,病院,裁判所等の各関係機関にて使用する用語に対する共通理解,認識を持ち共通アセスメントシートを用いてFVに取り組むシステムである.Crisisレベルは,暴力を受けた女性と子ども達を保護し,生活の再建を図り問題が再現しないよう予防するためにタイムリーに一貫した対応を目的にしている.VICのFVのシステムで特徴的なことは,何よりもFV の対応と予防を三つのレベルに分け,関連する全ての関係機関が同じシステムの中で機能していることである.その背景には,AU政府とVIC政府のFVの対応と予防のビジョンと予算立ての共通認識がある.特にフレームワークは,FVの対応において迅速に効果的な成果を残していると思われる.インタビューから,現時点において予算の減額はないが,サービス内容が毎年州の予算編成に左右される.サービス提供施設は増えないが,対応件数が年々増え多忙になり継続支援や予防的な取り組みが十分できないとことが課題として挙げられた.また,関係機関の立場上の違いから上手く共通認識が図れないことがあることや職員研修の機会が少ないことも挙げられた.これらの意見からすると,今後継続的な予算確保や現場における関係機関との連携をスムーズにしていく上での課題が残っていると言えよう.いずれにせよ,今後日本におけるFVの対応と予防システムを考える際,VICのシステムから参考にできることがあると考える.
著者
森川 美絵
出版者
国立保健医療科学院
雑誌
保健医療科学 (ISSN:13476459)
巻号頁・発行日
vol.58, no.2, pp.129-135, 2009-06

フィンランド,ドイツ,アメリカ合衆国における介護人材の確保育成策について,インフォーマルな介護者への対応も含めた取り組みの概要,介護従事者の確保・労働条件改善にむけた施策,および,専門的な介護人材の養成に関する施策を検討した.介護供給の公私バランスやシステムは国ごとに異なるが,いずれの国においても家族介護者を支援するための公的施策が講じられ,その射程は,現金の手当・給付のみならず,休日の取得と代替介護の保障,社会保険料の負担(社会保険制度上の配慮),介護者向けのサービス・プログラムの利用支援,相談・指導など,広く設定されていた.介護従事者の確保・労働条件改善については,中高年失業者の再教育・資格取得支援のほか,賃金水準に対する公的部門の直接的な規制もみられた(ドイツ).また,賃金水準の設定については,個々の事業者内部での雇用契約を越えた,より大きな組織単位での協約や交渉が機能していた(ドイツ,フィンランド).人材の定着にむけて,低報酬と専門職としての向上機会の制限に対応する具体策として,キャリアラダーの仕組みづくりが事業者レベルで広がっている(アメリカ).また,専門的な介護人材の養成については,看護と介護の共通基礎教育や福祉と看護・保健医療の共通基礎資格の導入がはかられてきた(ドイツ,フィンランド).こうした共通基礎教育・資格の導入は,ケア人材の専門性・資質という観点のみならず,ケアサービスの構造変化に対応した柔軟な介護労働市場,介護労働力の創出という観点からも推進されていた.こうした諸外国での展開は,今後の日本における介護人材の確保育成に関する政策の枠組みや具体策の検討においても,参考となる.
著者
林 修一郎
出版者
国立保健医療科学院
雑誌
保健医療科学 (ISSN:13476459)
巻号頁・発行日
vol.71, no.4, pp.335-345, 2022-10-31 (Released:2022-11-18)
参考文献数
7

新型コロナウイルス感染症の流行を受けて,これまでにないスピードで新型コロナワクチンの開発が行われ,前例のない規模で接種が進められた.新型コロナワクチンの接種事業は,大別すると科学,実務,政策の 3 分野にわたる様々な取り組みの集大成である.まず,科学の分野として,ワクチン開発と審査・承認や,副反応の評価などがあり,ワクチン接種が可能となるためには,有効性とともに安全性を検証・評価することが大前提であった.次に,ワクチン接種には,ワクチン確保・供給・流通から,接種体制の構築に至る,実務的な取り組みのウエイトが非常に大きい.体制の整備には長いリードタイムを要するため,先の見通しを持って準備を進めることが必要であった.これらを基礎とした上で,接種に関する政策が進められた.接種の法的枠組みの整備や接種に関する判断が行われた.更に,接種には,最終的に,国民に理解を得て接種行動をとっていただくことが不可欠であり,広報やリスクコミュニケーションを適切に行うことは極めて重要であった.本稿では,新型コロナワクチンの接種事業の実施に至るまでに,こうした多分野で行われた取り組みの全体像について,具体的な動きを含めて解説する.
著者
奥村 貴史
出版者
国立保健医療科学院
雑誌
保健医療科学 (ISSN:13476459)
巻号頁・発行日
vol.67, no.2, pp.150-157, 2018-05-31 (Released:2018-06-30)
参考文献数
13

我が国の医療が抱える多くの問題に対して,情報技術が有力な解決策となりうるのではないかと期待されてきた.そこで政府はさまざまな取り組みを続けてきたが,医療機関を越えた患者情報の共有は一般化しておらず,情報技術が医療の質向上に寄与している事例も限定されている.こうした事態が生じた原因の一つとして,医療の情報化を支える人材面での課題が考えられる.そこで,2007年,政府IT戦略本部が定めた「重点計画―2007」において,地域医療の情報化を支える人材育成体制の整備が提言された.国立保健医療科学院では,この提言に基づき,2010年度より地方自治体職員を対象とした「地域医療の情報化コーディネータ育成研修」を開講している.本研修は集合研修 3 日間,遠隔研修 2 ヶ月間の短期研修であるため,医療,情報,行政の全てに通暁した人材の育成は現実的な目標とはいえない.そこで,地方自治体において医療の情報化に関わる人材間のコミュニティ育成を目標とし,まずは各自治体に生じている課題とその解決策の共有が図られるような体制の確立を目指した.開催後 8 年間を経て,総計280名を超える修了生を輩出し,地域医療の情報化に関わる地方自治体職員間の緩やかなコミュニティを形成するに至っている.また,研修を通じて,地域医療の情報化に関する事例集と我が国における関連事業の網羅的な台帳を構築した.今後,コミュニティの発展を通じた政策分野への貢献が望まれる.
著者
熊川 寿郎 森川 美絵 大夛賀 政昭 大口 達也 玉置 洋 松繁 卓哉
出版者
国立保健医療科学院
雑誌
保健医療科学 (ISSN:13476459)
巻号頁・発行日
vol.65, no.2, pp.136-144, 2016 (Released:2017-05-18)
参考文献数
25

日本においては第二次世界大戦以前より年金保険及び医療保険制度が運営されてきたが,農業従事者や自営業者などのインフォーマルセクターの一部は未加入にあった.戦後の高度経済成長の中でインフォーマルセクターの問題を解消すべく,₁₉₆₁年に年金及び医療の国民皆保険を達成した.皆保険制度導入後の日本の歴史は,まさに高齢化対策の歴史と重なるものである. 日本は介護保険制度導入後も,超高齢社会のニーズにより適うためにケアの統合とプライマリケア・地域医療の強化を図っており,2₀₁₄年には「地域における医療及び介護の総合的な確保を推進するための関係法律の整備等に関する法律」が成立した.この法律は可能な限り住み慣れた地域で,自分らしい暮らしを人生の最期まで続けることができるよう,地域の包括的な支援・サービス提供体制(地域包括ケアシステム)の構築を推進している.また,老年学及び老年医学の分野においてFrailty(フレイル)の概念が重要になってきている.Frailty(フレイル)とは高齢期によく見られる症候群であり,転倒,生活機能障害,入院,死亡などの転帰に陥りやすい状態である.Fraily(フレイル)を経て要介護状態になる高齢者が多く,その対策は地域包括ケアシステムの新たな重要課題である.厚生労働省は2₀₁₆年度より高齢者のフレイル対策を新たに実施する. 地域包括ケアシステムを構築し,各地域においてその質を向上させるためには,現在の地域資源のみならず,環境の変化により今後生まれてくる未来の地域資源をも戦略的に活用することが非常に重要になる.また同時に,地域資源の情報と実際のケアを結びつけるためのコーディネート機能の強化も必要となる.地域社会処方箋は,地域包括ケアシステムにおける非専門的サービスと専門的サービスを繋げる戦略的マネジメントツールである.同時にそのツールを活用することにより,地域資源のコーディネート機能を強化することができる.
著者
森川 美絵
出版者
国立保健医療科学院
雑誌
保健医療科学 (ISSN:13476459)
巻号頁・発行日
vol.58, pp.355-361, 2009-12

貧困低所得者への社会福祉の支援の中心的制度は,生活保護である.生活保護における相談援助活動の評価には,「自立支援プログラム」の事業評価という次元と,生活保護担当職員による被保護者への個別的な相談援助活動の評価という,2つの次元が存在する.自立支援プログラムは,その数も種類も増加している一方で,多元的な自立支援の効果を測定するための指標が,整備されていない.貧困緩和へのアプローチの鍵となる概念である,参加,帰属,つながり,エンパワメント等の観点から,対象者の状態を把握しうる指標・尺度を適用し,事業の効果を測定することが,求められる.個別的な相談援助活動については,要・被保護者の権利保障という観点から,援助のプロセスそのものの質が問われる.現状では,要・被保護者の主体性の尊重につながる行為が,標準的な活動として定着していない.プロセスごとの「標準的な質を保証するための活動指標」を整備した上で,そうした指標にもとづき援助者自身が定期的に活動を自己点検する機会を確保していくことが,求められる.さらに,地域における包括的な支援・ケアの実現を目指すのであれば,個別の事業や援助者の活動の評価にとどまらず,複数の事業の連携により実現される地域単位の福祉状態を評価する手法や,そこで鍵となる連携やコーディネート機能を評価する手法の開発が,必要とされる.
著者
岸田 直裕 松本 悠 山田 俊郎 浅見 真理 秋葉 道宏
出版者
国立保健医療科学院
雑誌
保健医療科学 (ISSN:13476459)
巻号頁・発行日
vol.64, pp.70-80, 2015-04

目的:我が国における飲料水を介した健康危機の発生実態を明らかとすることを目的とした.方法: 1983年 1 月から2012年12月までの30年間を対象期間とし,期間中に発生した飲料水を介した健康危機事例を収集し,健康危機の発生傾向について分析を行った.結果:過去30年間に飲料水を介した健康危機事例は約590件発生しており,化学物質が原因の事例が最も多かったが,明らかな健康被害が発生した事例では,原因物質の大半は微生物であった.地下水を水源とする専用水道や飲用井戸等の小規模の施設において健康被害を伴う水質事故が高頻度で発生しており,主要な発生要因は消毒の不備であった.また,飲料水を介した病原微生物が原因の健康リスクは米国やEUと比べ低く維持できていると示唆された.結論:我が国の飲料水を介した健康リスクを減少させるためには,飲用井戸,専用水道等の小規模施設の適切な衛生管理を実施していくことが重要である.
著者
清水 基之 田中 英夫 高橋 佑紀 古賀 義孝 瀧口 俊一 大木元 繁 稲葉 静代 松岡 裕之 宮島 有果 高木 剛 入江 ふじこ 伴場 啓人 吉見 富洋 鈴木 智之 荒木 勇雄 白井 千香 松本 小百合 柴田 敏之 永井 仁美 藤田 利枝 緒方 剛
出版者
国立保健医療科学院
雑誌
保健医療科学 (ISSN:13476459)
巻号頁・発行日
vol.72, no.3, pp.271-277, 2023-08-31 (Released:2023-09-21)
参考文献数
22

目的:日本の新型コロナウイルス第6波オミクロン株陽性者の致命率を算出し,これを第5波デルタ株陽性者と比較する.方法:2022年1月に7県3中核市3保健所で新型コロナウイルス感染症と診断され届出られた40歳以上の21,821人を,当時の国内での変異型流行状況からオミクロン株陽性者とみなし,対象者とした.死亡事実の把握は,感染症法に基づく死亡届によるpassive follow up法を用いた.2021年8月~9月にCOVID-19と診断された16,320人を当時の国内での変異株流行状況からデルタ株陽性者とみなし,同じ方法で算出した致命率と比較した.結果:オミクロン株陽性者の30日致命率は,40歳代0.026%(95%信頼区間:0.00%~0.061%),50歳代0.021%(0.00%~0.061%),60歳代0.14%(0.00%~0.27%),70歳代0.74%(0.37%~1.12%),80歳代2.77%(1.84%~3.70%),90歳代以上5.18%(3.38%~6.99%)であった.デルタ株陽性者の致命率との年齢階級別比は,0.21,0.079,0.18,0.36,0.49,0.59となり,40歳代から80歳代のオミクロン株陽性者の30日致命率は,デルタ株陽性者のそれに比べて有意に低かった.また,2020年の40歳以上の総人口を基準人口とした両株の陽性者における年齢調整致命率比は0.42(95%信頼区間:0.40-0.45)と,オミクロン株陽性者の致命率が有意に低値を示した.結論:日本の50歳以上90歳未満のCOVID-19第6波オミクロン株陽性者の致命率は,第5波デルタ株陽性者に比べて有意に低値であった.
著者
逢見 憲一
出版者
国立保健医療科学院
雑誌
保健医療科学 (ISSN:13476459)
巻号頁・発行日
vol.58, no.3, pp.236-247, 2009-09

目的:"スペインかぜ"を含む19世紀後半から現代に至るインフルエンザ流行の歴史を追い,その健康被害について可能な限り定量的に把握したうえで,公衆衛生の観点からみたインフルエンザ対策と社会防衛について検討する.方法:内務省衛生局編「流行性感冒」の他,各種資料,研究をもとに各時期におけるインフルエンザのパンデミック(世界的流行)あるいは非パンデミックの流行について記述した.インフルエンザの健康被害については,「超過死亡」の推計と検討を中心に把握した.その上で,各時期のインフルエンザ流行に対してどのような医療的あるいは公衆衛生的対策が行われたかを記述し,その役割と今日的意義について検討した.結果:"お染風"と恐れられた1889─91年パンデミックによる東京,神奈川の超過死亡は,1918─20年の"スペインかぜ"パンデミックに匹敵するものであった."スペインかぜ"以前の時期に比べて,"スペインかぜ"以後は年平均で約10倍の超過死亡がみられた."スペインかぜ"以後の1921年から1938年の超過死亡数の合計は,"スペインかぜ"流行期の超過死亡数の合計に匹敵するものであった.1952年から1974年までの間,アジアかぜと香港かぜのパンデミックを除いた非パンデミック期の超過死亡の総数は,両パンデミック期を合わせた超過死亡数の35. 倍以上であった.超過死亡年あたりの平均超過死亡数は,パンデミック期と非パンデミック期とでほとんど同規模であった.超過死亡に対するインフルエンザを直接の死因とする死亡の比は,パンデミック期には高く,非パンデミック期に入ると低下しており,非パンデミック期にはインフルエンザが"忘れられ"る傾向がみられた.わが国において学童への予防接種が実施されていた1970年代から80年代にはインフルエンザによる超過死亡は低く,1990年代の集団接種中止以降超過死亡が増加していたことに加えて,2000年代の高齢者への接種開始後はふたたび超過死亡が減少していた.インフルエンザへの対策は,1889─91年パンデミックの際には,迷信を非難し,滋養や医師の受診を勧める程度であったが,1918─20年の"スペインかぜ"パンデミックの際には,検疫,隔離,学校閉鎖,集会の禁止などの"公衆衛生的介入(Non-pharmaceutical Interventions)"が確立した.マスクや予防接種などは,その後個人防衛への遷移が進んだ.結論:インフルエンザ対策に関しては,非パンデミック期の対策を"忘れる"べきではない."公衆衛生的介入"については,"スペインかぜ"の経験に学ぶべきである.予防接種を含む"社会防衛"も再検討すべき時期である.
著者
白岩 健 船越 大 村澤 秀樹 下妻 晃二郎 斎藤 信也 福田 敬
出版者
国立保健医療科学院
雑誌
保健医療科学 (ISSN:13476459)
巻号頁・発行日
vol.67, no.4, pp.422-426, 2018-10-31 (Released:2018-11-29)
参考文献数
14

医療経済評価において,QALY(quality adjusted life years: 質調整生存年)を算出するためには,選好に基づく尺度により測定されたQOL値が必要である.プロファイル型等の非選好型QOL尺度により測定されたスコアを医療経済評価に活用するために,近年「マッピング」と呼ばれる手法が用いられることが多くなってきている.マッピングは,非選好型尺度の測定値から選好型尺度により測定されるQOL値を予測するための手法であり,このマッピングの関数(あるいは変換方式等)を推定することが目的で実施される.このマッピングに関する研究報告については,23項目からなるMAPS声明が作成されており,筆者らによりその詳細を含め全訳されている.この全訳については,本解説のAppendixを参照されたい.マッピング研究は,現状のところその質につき玉石混淆の状況であるが,MAPS声明に従った質の高い報告が行われることにより,マッピング研究の活用可能性も広がっていくのではないかと考えられる.
著者
五十嵐 中 福田 敬 後藤 励
出版者
国立保健医療科学院
雑誌
保健医療科学 (ISSN:13476459)
巻号頁・発行日
vol.64, pp.426-432, 2015-10

FCTC第 6 条は,税収の確保ではなく公衆衛生の観点からの喫煙率低下を目指し,たばこ税の値上げを提言している.もっとも,2010年のような大幅値上げの可能性を評価するには,税収と喫煙率双方への影響評価が必要である.コンジョイント分析や価格弾力性を用いた研究では,大幅値上げを実施しても一箱あたりの税収増効果が総需要の減少効果を上回り,総税収は増加することが示唆されている.実際過去の値上げ前後の税収変動を見ると,値上げ後の方が税収は増加している.喫煙率低下を達成するには,たばこ税値上げ以外の禁煙政策を同時に実施することも効果的で,とくに公共空間での喫煙への罰金が有効であることが,コンジョイント分析によって示されている.禁煙治療や禁煙支援のように,総費用が減少してかつ健康アウトカムが改善する "dominant(優位)" 介入は,予防介入に限定しても極めてまれである.今回示したような定量的データは,合理的な政策決定にとっても有用である.