著者
沈 箕載
出版者
史学研究会 (京都大学文学部内)
雑誌
史林 (ISSN:03869369)
巻号頁・発行日
vol.79, no.6, pp.881-912, 1996-11

個人情報保護のため削除部分あり本稿は、幕府から明治政府への政権交替による朝鮮との国交再調整問題に注目し、版籍奉還を前後にした時期においての明治政府(外務省) ・対馬藩(倭館) ・朝鮮政府(東莱府) 三者間の認識と対応、対朝鮮外交・貿易一元化への動きの一環として計画され、実際に派遣された佐田調査団の全貌(計画から帰国報告まで) 、そしてそれが以後の対朝鮮外交政策の樹立に与えた影響について検討したものである。これらの点を明らかにすることは、明治初期における日本の朝鮮政策の原型を理解する上で役に立つだろう。

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明治40年10月4日、佐田白茅が死去。幕末の久留米藩出身で、真木和泉の影響を受けた。明治3年に朝鮮へ派遣された。沈箕載「版籍奉還前後の朝鮮政策と外務省(佐田)調査団の朝鮮派遣」(『史林』79-6)曰く、佐田の調査報告は後の明治政府における対朝鮮政策の根幹をなした。 https://t.co/HGSxm382SS

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