著者
尾下 成敏
出版者
史学研究会 (京都大学大学院文学研究科内)
雑誌
史林 (ISSN:03869369)
巻号頁・発行日
vol.93, no.1, pp.36-70, 2010-01

天正十三年(一五八五) 冬、羽柴(豊臣) 秀吉は島津義久に対し、九州における戦闘停止を命じたが、この出来事は秀吉の全国統一過程、すなわち戦国争乱の最終過程を論じる際に注目され、「平和」の実現を狙った政策か否かは今日重要な論点となっている。本稿は、天正十四年七月の対島津戦開戦以前の政治過程を復元し直すことで、上記の九州停戦命令を再考しようとしたものであり、(1)停戦命令は九州派兵が困難な情勢下で採られた方策で、「和戦」双方を視野に入れていた。そして畿内近国・東国・西国の情勢に規定されながら、ある時期は「和」の比重が、また、ある時期は「戦」の比重が高まり、遂には対島津戦突入へと至った。(2)「平和」の実現という切り口から、停戦命令を惣無事令として捉える学説には賛成できない。(3)島津攻めが既定方針であったことを強調する学説は、九州政策の変遷を踏まえた主張とは言い難い点などを主張している。

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