著者
尾下 成敏
出版者
京都大学
巻号頁・発行日
2004-11-24

新制・課程博士
著者
尾下 成敏
出版者
史学研究会 (京都大学大学院文学研究科内)
雑誌
史林 (ISSN:03869369)
巻号頁・発行日
vol.93, no.1, pp.36-70, 2010-01

天正十三年(一五八五) 冬、羽柴(豊臣) 秀吉は島津義久に対し、九州における戦闘停止を命じたが、この出来事は秀吉の全国統一過程、すなわち戦国争乱の最終過程を論じる際に注目され、「平和」の実現を狙った政策か否かは今日重要な論点となっている。本稿は、天正十四年七月の対島津戦開戦以前の政治過程を復元し直すことで、上記の九州停戦命令を再考しようとしたものであり、(1)停戦命令は九州派兵が困難な情勢下で採られた方策で、「和戦」双方を視野に入れていた。そして畿内近国・東国・西国の情勢に規定されながら、ある時期は「和」の比重が、また、ある時期は「戦」の比重が高まり、遂には対島津戦突入へと至った。(2)「平和」の実現という切り口から、停戦命令を惣無事令として捉える学説には賛成できない。(3)島津攻めが既定方針であったことを強調する学説は、九州政策の変遷を踏まえた主張とは言い難い点などを主張している。
著者
尾下 成敏
出版者
史学研究会 (京都大学大学院文学研究科内)
雑誌
史林 (ISSN:03869369)
巻号頁・発行日
vol.92, no.5, pp.862-891, 2009-09

本稿の目的は、天正十年(一五八二) 六月から同十二年七月までの間の羽柴秀吉と徳川家康の関係に留意する形で、秀吉の東国政策の内容や、それを規定した背景を明らかにしようとすることにある。 検討の結果、(1)天正十年六月の本能寺の変後、北条氏の動向に対処すべく、秀吉と家康が提携し、対家康戦開始前の秀吉が徳川攻めを目論んではいなかったこと。(2)天正十年冬以降の秀吉が、家康の取り組む『惣無事』、すなわち織田信長在世時の停戦状態への回帰を掲げて北条方と反北条方の停戦を実現せんとする無事に関与し、北条氏の版図拡大の動きを封じようとしたこと。(3)秀吉の『惣無事』関与後も北条方と反北条方の抗争が続き、結果、関東で新たなる戦争が起こる可能性が浮上したこと。(4)こうした事情や織田信雄の勧誘を背景として、家康が対秀吉戦に踏み切ることなどを明らかにした。