- 著者
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成田 千尋
- 出版者
- 史学研究会 (京都大学大学院文学研究科内)
- 雑誌
- 史林 (ISSN:03869369)
- 巻号頁・発行日
- vol.99, no.2, pp.257-289, 2016-03
本稿では、日韓会談の妥結が米国のベトナム戦争への本格介入と同時期に行われた要因について、在韓米軍及び韓国軍削減、日韓会談をめぐる日韓の世論、韓国軍ベトナム派兵の相関関係に着目し、分析を行った。米国は一九六三年末、経済的な観点から在韓米軍及び韓国軍削減を優先し、日韓国交正常化によりそれを補完しようとした。しかし、韓国政府の強固な反対と、韓国の反対世論による日韓会談の中断から、米国は日韓国交正常化を優先する必要に迫られた。一九六五年に入り日韓会談が進展すると、韓国政府が在韓米軍の維持と韓国軍のベトナム派兵を継続的に訴えたことなどから、在韓米軍の削減は不可能になり、米国は韓国軍の派兵を受け入れる他はなくなった。その後、米国は日韓の世論の間で介入へのバランスを取りつつ、日韓会談の早期妥結のために尽力した。結果的に、韓米のベトナム派兵により日本世論が日韓会談に反発を強める寸前に、会談は妥結に至った。