著者
成田 千尋
出版者
大阪市立大学人権問題研究会
雑誌
人権問題研究 (ISSN:1346454X)
巻号頁・発行日
no.14, pp.149-171, 2014

はじめに : 2・4ゼネストは、1968年11月19日の戦略爆撃機B52(以下B52)墜落爆発事故を契機に、B52常駐化から1年となる1969年2月4日を期日として、復帰前の沖縄で島ぐるみともいえる規模で計画されたストライキである。墜落爆発事故は沖縄住民を恐怖に陥れ、約140団体を結集した「いのちを守る県民共闘会議(以下共闘会議)」が組織され、「B52撤去、原子力潜水艦(以下原潜)寄港阻止、一切の核兵器の撤去」をスローガンに、全島的なゼネスト体制が構築された。ただし、ゼネストそのものは本土折衝を行った屋良朝苗主席の回避要請などを受けて土壇場で回避され、県民総決起大会に代替され、幻に終わった。このため、「復帰優先主義や合法主義の呪縛を完全に脱却し切っていなかったがゆえ」の挫折であり、「復帰運動、復帰思想の敗北であった」とまで非難され、革新勢力内部の亀裂を生むなど、機々な問題を残すことになった。本研究の目的は、日米両政府の圧力によって挫折したとされるこのストライキ闘争の内実を、新たな史料に基づいて再検討することである。……
著者
成田 千尋
出版者
史学研究会 (京都大学大学院文学研究科内)
雑誌
史林 (ISSN:03869369)
巻号頁・発行日
vol.99, no.2, pp.257-289, 2016-03

本稿では、日韓会談の妥結が米国のベトナム戦争への本格介入と同時期に行われた要因について、在韓米軍及び韓国軍削減、日韓会談をめぐる日韓の世論、韓国軍ベトナム派兵の相関関係に着目し、分析を行った。米国は一九六三年末、経済的な観点から在韓米軍及び韓国軍削減を優先し、日韓国交正常化によりそれを補完しようとした。しかし、韓国政府の強固な反対と、韓国の反対世論による日韓会談の中断から、米国は日韓国交正常化を優先する必要に迫られた。一九六五年に入り日韓会談が進展すると、韓国政府が在韓米軍の維持と韓国軍のベトナム派兵を継続的に訴えたことなどから、在韓米軍の削減は不可能になり、米国は韓国軍の派兵を受け入れる他はなくなった。その後、米国は日韓の世論の間で介入へのバランスを取りつつ、日韓会談の早期妥結のために尽力した。結果的に、韓米のベトナム派兵により日本世論が日韓会談に反発を強める寸前に、会談は妥結に至った。
著者
吉澤 文寿 太田 修 浅野 豊美 長澤 裕子 李 東俊 金 鉉洙 薦田 真由美 金 慶南 金 恩貞 李 洋秀 山本 興生 ミン ジフン 成田 千尋 李 承宰 李 洸昊 金 崇培
出版者
新潟国際情報大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2015-04-01

この研究では、日韓国交正常化問題資料の整理及び刊行作業を行った。そして、日本、韓国、米国などの公文書館、資料館で収集した資料を用いて、韓国からの研究者の協力を得て、研究会、パネルディスカッション、シンポジウムを開催した。その結果、日韓国交正常化交渉で議論された請求権および歴史認識問題に関する論点について、国交正常化以後の時期を含めた展開を視野に入れつつ、日米韓三国それぞれの立場から、相応の責任が生じているという一定の見通しを提示することができた。
著者
成田 千尋
出版者
史学研究会
雑誌
史林 (ISSN:03869369)
巻号頁・発行日
vol.97, no.3, pp.446-486, 2014-05