- 著者
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右田 裕規
- 出版者
- 公益財団法人 史学会
- 雑誌
- 史学雑誌 (ISSN:00182478)
- 巻号頁・発行日
- vol.126, no.9, pp.41-63, 2017
一九世紀後半から二〇世紀初期の君主制国家では、王室の祝祭を記念するための商品が大量に売買されていた。多種多様な商品が祝祭の記念品として流通し、厖大な人口がそれらに群がる光景が日本を含めて一様に拡がっていた。内外の君主制ナショナリズム研究の一部、とりわけ「伝統の発明」論を理論的枠組みとした研究群の解釈では、一連の祝祭記念商品は歴代君主の事蹟を中心とした国民的記憶を持続的に保持・想起させる重要な媒体として社会的に作用したとされる。しかしながら近代都市消費文化についての諸知見に従うと、世紀転換期の大量生産流通機構の成立が都市世界で生成した知覚と欲望の様式は、伝統性や持続性とは対称的な質を含みこんでいた。つまり近代的な経済技術機構が都市居住者たちに惹起したのは、過去ではなく新奇さや現在性を価値づける反-伝統的な態度、新しい商品を次々に欲望・忘却する反-持続的な態度であった。本稿では、この知見を参照項としつつ、大正・昭和初期の日本社会とりわけ都市世界での祝祭記念商品の売買様式の相貌について検討する。呈示するのは次の二点である。第一に、同時代の都市住民たちは祝祭時の記念商品群を(当該の祝祭の時事的新奇性と結びついた)ある種の「流行品」としてしばしば解読・欲望していたこと。第二に、都市購買層の間では一連の記念商品を短期的に消費・処分する傾向が見られたことである。この二点から、祝祭記念商品という媒体が(君主一族の事蹟で枠づけられた)国民的記憶の編成運動に対して含んだ反作用的な契機が本稿では指摘される。いいかえると、祝祭記念商品の大量生産・流通という史的場面から、産業資本主義と君主制ナショナリズムの協同的契機を一義的に読みとる一部研究の解釈図式の問題性が、都市世界での記念品売買の相貌に即して析出される。