著者
塚原 東吾
出版者
科学技術社会論学会
雑誌
科学技術社会論研究 (ISSN:13475843)
巻号頁・発行日
vol.15, pp.27-39, 2018

<p> 日本のSTSは,公害問題についての宇井純や原田正純,もしくは反原発運動の高木仁三郎らの系譜を受け継ぐという想定があるが,これはある種の思い込みに終わっているのかもしれない.実際,日本のSTS は今や体制や制度への批判ではなく,科学技術と社会の界面をスムースに接合させる機能を自ら担っている.そのため本稿では,日本のSTSで"科学批判"と呼ばれる潮流の衰退が進んでいる現状について,まずはおおまかな図式を示してみる.</p><p> またこの変容を考えるため金森修の所論を,戦後日本の科学批判の歴史にそって検討する.さらに日本でSTSの出現に至った2 つの重要な潮流,すなわち一つ目は廣重徹に濫觴を持ち中山茂が本格展開した思潮(この流れは80 年代に吉岡斉を生み出す)と同時に,村上陽一郎のパラダイムがある種の転換(「村上ターン」)を迎えたことが,戦後科学論の分岐点として,STSを制度化の背景になっていたことを論じる.</p>

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[科学社会学][STS]
冒頭に挙げられている、吉岡斉による「日本のSTS」への批判はこれかな https://ci.nii.ac.jp/naid/130007756254
"当事者となることを避ける傾向にある,政治とは対峙しない,という吉岡の指摘は村上の政治性や立場性に向けられたものであるというように考えてもいい""村上そのものがエスタブリッシュメント志向……" →村上。
[社会学][科学社会学] 塚原東吾(2018)「日本のSTSと科学批判:戦後科学論からポスト3・11 へ」科学技術社会論研究 15(0), 27-39, 2018, 科学技術社会論学会

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