著者
白坂 蕃 漆原 和子 渡辺 悌二 グレゴリスク イネス
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2010, pp.180, 2010

<B>I 目的</B><BR> 世界のかなりの地域では、厳しい気候条件の結果として、家畜飼養はたったひとつの合理的土地利用としてあらわれる。それにはさまざまな形態があり、定住して営む牧畜のひとつの形態が移牧transhumanceであると筆者は定義する。<BR> 本稿では、ルーマニアのカルパチア山脈におけるヒツジの二重移牧の変容を通して、山地と人間との共生関係の崩壊を考えたい。_II_ジーナの人びととヒツジの二重移牧 ジーナJina(標高950m)はカルパチア山脈中にあり、年間降水量は約500-680mmである。ジーナ(330平方_km_)の土地利用は、その25%が放牧地、15%が牧草地(採草地)で、耕地は1%にも満たない。牧草は一般には年二回刈り取れる。第二次世界大戦後の社会主義国であった時代にもルーマニアでは、山地の牧畜地帯は、これ以上の生産性向上を期待できない地域であるとして土地の個人所有が認められていた。ジーナの牧羊者(ガズダgazdā)は定住しており、多くの場合、羊飼い(チョバンciobăn)を雇用して移牧をする。<BR> ジーナはヒツジの母村であるが、ヒツジがジーナの周辺にいる期間は短い。毎年4月初旬から中旬にかけて、低地の冬営地からヒツジはジーナにもどってくるが、約2週間滞在して、さらに標高の高いupper pasture(ホタル・デ・ススHotarul de Sus)に移動し、5月中旬から6月中旬の間そこにいる。ホタル・デ・ススは約10,000haあり、ここに150-200ほどの小屋(sălaş)がある。<BR> 6月中旬にヒツジは高位の準平原までのぼり9月10日くらいまではここにいる。ここは森林限界を超えた放牧地 Alpine pasture(面積5,298ha)である。移牧はセルボタ山Vf. Şerbota (2,130m)の山頂直下の2,100mに達し、ここが夏営地の上限である。<BR> 遅くとも9月中旬には、ヒツジは高地の放牧地からホタル・デ・ススに下り1-2週間滞在し、10月初旬にはジーナに降りるが1-2週間しか滞在せず、10月中旬には冬営地であるバナート平原、ドブロジャ平原やドナウ・デルタにまで移動する。バナート平原までは約15日、ドブロジャやドナウ・デルタまでは20-25日かかる。<BR><BR><B>III 1989年以前の移牧とその後の変容</B><BR> 社会主義時代には約150万頭(1990年)のヒツジが飼育され、state farmsとcooperative farmsがその1/2以上を飼育していたが、ヒツジの場合、個人経営individualも多かった。1989年の革命後、state farmsとcooperative farmsで飼育されていたヒツジは個人に分けられたが、多くの個人はその飼育を放棄した。したがって、1998年の革命以降ヒツジの飼養数は半減した。また平野部の農用地は個人所有にもどったため、作物の収穫後であっても農耕地のなかをヒツジが自由に通過することは困難になり、さらに道路を通行する自動車などをヒツジが妨げてはならないというRomanian regulationもできた。そのために1,000頭程度の大規模牧羊者gazdāは、バナート平原などの平地でヒツジを年間飼養せざるをえなくなった。しかし彼らはラムのみに限っては夏季に平野部からジーナまでトラックで運搬する。そしてHotarul de SusやP&acirc;şunatul Alpinまでは徒歩で移動し、帰りもまたジーナからはトラックで輸送する。したがって、P&acirc;şunatul Alpinにおける夏季のヒツジの放牧数は1988年の革命以前に比べて極端に減少した。<BR><BR><B>IV EU加盟とヒツジの移牧</B><BR> 今日ではルーマニアの農牧業もEU regulations(指令)のもとにあり、ヒツジの徒歩移動は最大でも50_km_である。さらに条件不利地域への補助金もある。このように、1989年の革命後、それぞれの家族は彼らの持つ諸条件を考慮して牧畜を営むようになった。その結果、こんにち、ジーナにおける牧畜は次のような三つのタイプに分けられる。<BR>1)ジーナに居住し、通年ジーナでヒツジを飼育する世帯(Type 1)<BR>2)ヒツジの飼育もするが、ジーナとHotarul de Susの間で乳牛の 正移牧を主たる生業とする世帯(Type 2)<BR>3)平野部に本拠を移し、ヒツジの飼育を生業として維持する世帯(Type 3)<BR><BR><B>V まとめ</B><BR> 1989年の革命以前には、カルパチア山脈における二重移牧は見事なばかりにエコロジカルな均衡を具現していたが、社会主義体制の崩壊によって、変貌を余儀なくされた。しかしながら、現在のところその形態を変化させつつも、生業としての移牧は継続している。しかしながら、ルーマニアのヒツジの移牧は、「平野」の農村における農業生産力の発展、都市経済の変貌にともなって衰退すべきものであるとみるのが妥当なのかもしれない。