- 著者
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漆原 和子
白坂 蕃
渡辺 悌二
ダン バルテアヌ
ミハイ ミック
石黒 敬介
高瀬 伸悟
- 出版者
- 公益社団法人 日本地理学会
- 雑誌
- 地理要旨集
- 巻号頁・発行日
- vol.2010, pp.179, 2010
<B>I 研究目的</B><BR> ルーマニアは1989年12月社会主義体制から自由経済への移行を果たした。そして2007年1月にはEUに加盟した。こうした社会体制の変革に伴って、とりわけEU加盟後に伝統的なヒツジの移牧がどのように変容しているのかを明らかにし、ヒツジの移牧の変貌に応じて地生態系がどのように変容しているのかを把握することを目的にした。<BR><BR><B>II 調査地域と方法</B><BR> 調査地域は、南カルパチア山脈中部の、チンドレル山地山頂部から北斜面を利用して移牧を行なっている地域である。調査地では、社会主義体制下でも個人所有が許され、伝統的な二重移牧が維持されてきた。この地域は、プレカンブリア時代の結晶片岩からなり、土壌の発達が極めて悪く、農耕地には不適な地域である(図1)。3段の準平原を利用した二重移牧が行なわれてきたところである。土地荒廃地は、毎年地形の計測を繰り返した。山頂部では、草地への灌木林の進入をコドラート法により調査した。礫の移動は方形区をかけ、計測した。<BR><BR><B>III 調査結果</B><BR>1)3番目の準平原上の移牧の基地に相当するJina村(約950m)では、EU加盟後も春と秋にヒツジの市を開く。EU加盟後、大規模なヒツジ農家の多くは、冬の営地であったバナート平原に定住するようになった。冬の営地であるバナート平原へのヒツジの移動は貨車とトラックを用いる。<BR>2)Jina村付近の土地荒廃は、2003年、2004年ごろがピークであった。2007年から2009年の間は侵食地の物質の移動はほとんどなく、裸地に草本が回復し始めている。これはEU加盟後のヒツジによるストレスが軽減していることを示している。<BR>3)社会主義体制下では、最上部の準平原面上をヒツジ・牛・馬も夏の営地として利用していた。しかし、EU加盟後、最上部までの移動はラムに限られ、数は激減し8000頭に満たない。20年前からPinus mugoとPicea abiesが成育を始めた地域が拡大している。これはヒツジのストレスの減少が起こった為と考える。さらに、これらの樹木はいずれも17~18年前に著しく枝分かれしていることから、ヒツジの頭数の減少は17~18年前に急激であったか、気象の異変があったと考えられる。