著者
モルナール レヴェンテ
出版者
北海道大学文学研究科
雑誌
研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
vol.18, pp.109-123, 2018-12-26

約120年前に誕生したシネマと同時に,映画の理解を促すための,後ほど映画理論と呼ばれた研究分野が生まれた。その研究分野を総合的に考察した巨大な著作『Film Theory』では,トマス・エルセサーとマルテ・ハーゲネルは映画理論の最優先すべき問題を1つの問い掛けで次のようにまとめた。「映画とその観客の間には,どういった関係があるのか」。 映画と観客の関係性を把握し説明するために,作家や作品,ジャンル,あるいは映像などを中心とする分析は,むろんのこと非常に重要である。しかし,その関係をより科学的に記述することのできる理論は,90年代までに現れていない。と2人の著者が主張する。要するに映画理論で初期時代から絶えず言語学,美術史学,哲学および精神科学などが参考として確実に利用されているとはいえ,その点に関する理解はまだ不十分であるというのが現実であるという。 本稿では,1つの路線,すなわち現象学に基づく映画理論(Phenomenological film theory)からの提案に絞って観客と映画の関係性が孕む諸問題に触れたい。該当路線の先駆者であるヴィヴィアン・ソブチャックは,『The Address of the Eye』という先行研究で認知心理学の見方から出発して観客の立場を徹底的に再定義し,映画を観る行為を多感覚的体験として論じあげた。本稿でこの理論を包括的にまとめることは難しいとしても,ソブチャックの他に現象学的路線の2人の代表者,ローラ・U・マークスとジェニファー・バーカーによるテキストを精読した上で,今後の研究課題の出発点を俎に載せたい。
著者
モルナール レヴェンテ
出版者
北海道大学大学院文学院
雑誌
研究論集 (ISSN:24352799)
巻号頁・発行日
vol.20, pp.33-50, 2021-03-31

ハンガリー出身のタル・ベーラは世界的に知られている映画作家ではあるが,1989年前の作品群,とりわけ1977年の長編デビュー作『ファミリー・ネスト』とそれに続く『ザ・アウトサイダー』(1980年)と『プリファブ・ピープル』(1982年)は十分に研究されているとは言い難い。その原因の一つは,当時の映像を入手し確認することは非常に困難という現実的なことだが,理論上の問題もある。それらの作品は形式上で当時のドキュメンタリー映画運動に属しているため,分析するにあたって,その映画運動も精査する必要がある。1970年代において,バラージュ・ベーラ撮影所(本稿はBBSと略記する)所属の若手映画監督らは,社会主義国家ハンガリーの「人生の現実」を洗い出そうとしていた。そのために,社会科学の調査方法を最大限に活かした独特な映画形式を創り上げた。監督上昇を目ざしたタル・ベーラ自身もその表現形式を採用した。以上により,本稿の目的は二つある。まずは,BBSのドキュメンタリー映画形式〈社会(科学)主義映画〉の特質に触れる上で,初期タルのナラティヴ,演出,カメラワーク,編集等々を分析する。さらには,デビュー作『ファミリー・ネスト』にみられる映画空間の問題をめぐって,タルの独特な映画的世界を構築する方法がすでに本作品においてすら ─その胚型であるが─ 姿をみせていることを明らかにする。
著者
モルナール レヴェンテ
出版者
北海道大学文学研究科
雑誌
北海道大学大学院文学研究科研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
no.17, pp.209-228, 2017

今村昌平は「テーマ監督」である。すなわち今村の作品群はその時期々々において特定のトピックや主題を軸に構成されていることを示す。主題におけるそういった反復は,監督自身によって「ねばり」と呼ばれた。その表現を借りれば,最初の「重喜劇」とみなされる『果しなき欲望』(1958年)以降,今村は売春・強姦・近親相姦という3つのテーマにねばっていた。作品ごとに重点の置き方は異なるが,1968年までの全ての娯楽映画(『にあんちゃん』を除き)において,いずれもその主題は3つのテーマのなかから少なくとも2つ以上は選び取られているといえる。1964年制作の『赤い殺意』は藤原審爾の東京を舞台に可愛い印象の女性が強姦されるという小説を原作にテーマのみを借りた,今村昌平ならではの映画作品である。強姦を主題に近親相姦的な要素も加えて物語の舞台を監督の憧れた地方,東北へもっていった。主人公の貞子は,仙台の郊外において農地を所有する高橋家の若妻である。強盗に犯されてしまったあと強くなってゆき,彼女をまるで女中のように扱いしていた姑との上下関係を逆転させ家の権力者に上昇する。本論文では社会学と作家の志向から離れて,いくつかの新しい観点を導入する上で作品そのものに絞って分析を行なう。変化する立場において彼女自身が如何に変貌し,どのような行動をとるかという二点をめぐって『赤い殺意』を考察する上で今村昌平が「重喜劇」と呼んだ60年代の作品群と関連付けて結論を述べる。
著者
モルナール レヴェンテ
出版者
北海道大学文学研究科
雑誌
研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
vol.17, pp.209-228, 2017-11-29

今村昌平は「テーマ監督」である。すなわち今村の作品群はその時期々々において特定のトピックや主題を軸に構成されていることを示す。主題におけるそういった反復は,監督自身によって「ねばり」と呼ばれた。その表現を借りれば,最初の「重喜劇」とみなされる『果しなき欲望』(1958年)以降, 今村は売春・強姦・近親相姦という3つのテーマにねばっていた。作品ごとに重点の置き方は異なるが,1968年までの全ての娯楽映画(『にあんちゃん』を除き)において,いずれもその主題は3つのテーマのなかから少なくとも2つ以上は選び取られているといえる。 1964年制作の『赤い殺意』は藤原審爾の東京を舞台に可愛い印象の女性が強姦されるという小説を原作にテーマのみを借りた,今村昌平ならではの映画作品である。強姦を主題に近親相姦的な要素も加えて物語の舞台を監督の憧れた地方,東北へもっていった。主人公の貞子は,仙台の郊外において農地を所有する高橋家の若妻である。強盗に犯されてしまったあと強くなってゆき,彼女をまるで女中のように扱いしていた姑との上下関係を逆転させ家の権力者に上昇する。 本論文では社会学と作家の志向から離れて,いくつかの新しい観点を導入する上で作品そのものに絞って分析を行なう。変化する立場において彼女自身が如何に変貌し,どのような行動をとるかという二点をめぐって『赤い殺意』を考察する上で今村昌平が「重喜劇」と呼んだ60年代の作品群と関連付けて結論を述べる。