著者
三杉 圭子 Keiko MISUGI
出版者
神戸女学院大学研究所
雑誌
神戸女学院大学論集 (ISSN:03891658)
巻号頁・発行日
vol.62, no.2, pp.137-152, 2015-12

第一次世界大戦は近代的兵器を導入した列強国による史上初の総力戦であった。ジョン・ドス・パソス(John Dos Passos 1896-1970)はこの大戦下に成人したいわゆる「失われた世代」の一員である。ひとつ前の世代が戦争に名誉や男らしさの具現を見出したのとは対照的に、彼らはこの不毛な大量殺戮の前に、いかなる幻想を抱くこともできなかった。ドス・パソスは『U.S.A.』三部作の第二部『1919』(1932)において、自らの世代にとっての戦争の再定義を行っている。ドス・パソスは『1919』において、第26代大統領セオドア・ローズヴェルト(Theodore Roosevelt 1858-1919)の伝記的スケッチを「幸せな戦士」("The Happy Warrior")と銘打ち、その戦争観を鋭く風刺している。彼はまず、戦争をめぐるローズヴェルトのロマンティシズムを誇張することでその独善性を揶揄する。そして、米西戦争における好戦的愛国主義者ローズヴェルトと、第一次世界大戦における語り手の体験を並置することで、ローズヴェルトの戦争観が近代戦争においていかに無効であるかを強調している。さらに彼は、ローズヴェルトとの対比において、無名戦士の伝記を「アメリカ人の遺体」と題し、20世紀の戦争の本質を描いている。つまり、モダニティの負の先鋒としての戦争は、個人の固有性を無化し、人間の生を否定するものに他ならない。ドス・パソスは『1919』においてローズヴェルトの戦争観を厳しく批判することで、戦争をめぐるロマンティズムを徹底的に糾弾し、「幸せなアマチュア戦士」の時代は終わり、誰もが「無名の戦士」とならざるを得ない新しい時代の戦争観を提示したのである。World War Ⅰwas the first modern war of advanced technology fought among the world powers. John Dos Passos (1896-1970) is one of the Lost Generation writers who is defined by coming of age during WWI. His experiences of the war allowed for no illusion about warfare being an arena for valor, glory, and manly achievement, as the previous generation conceived. Dos Passos in 1919(1932) reconfigures the meaning of war for his generation. Dos Passos's sarcastic representation of Theodore Roosevelt(1858-1919) in "The Happy Warrior" section of 1919 serves as the focus of this paper and illustrates how Dos Passos reassesses his conceptualization of war. "The Happy Warrior" is a strong statement against America's older generation who could afford to romanticize war and make their entire life a battlefield to prove their honor and manliness. Furthermore, Dos Passos's contrast between the jingoistic Rough Rider and the "gentlemen volunteers" of the ambulance corps in WWI represented in The Camera Eye (32) discloses the failure of the morale of the ex-volunteer cavalry leader in the modern world. The greatest irony is revealed in the author's contrast between the happy amateur warrior and the unknown soldier in "The Body of an American," as the nameless Everyman illustrates deprivation of individuality in the name of war. By investigating how Dos Passos deromanticizes war through his critique of Theodore Roosevelt in the context of WWI, we are able to clarify the nature of modern war as the writer saw it-that Roosevelt, the faded war hero, failed to discern.
著者
三杉 圭子
出版者
神戸女学院大学
雑誌
論集 (ISSN:03891658)
巻号頁・発行日
vol.60, no.1, pp.125-140, 2013-06

John Dos Passos(1896-1970)の初期戦争小説、One Man's Initiationー1917(1920) と、Three Soldiers(1921)は作家の第一次世界大戦の実体験をもとにしている。前者は戦争の暴虐を主人公の視点に寄り添って主観的に描き後者は軍隊における個人の抑圧を複数の視点から表現し、主人公達の敗北的生き様には「男らしさ」が欠如しているという批判を浴びた。しかし、Dos Passosは「男らしさ」の問題について決して無関心ではなかった。彼は複雑な家庭環境から、精力的な父親にある種の畏怖の念をいだきつつ、自らの男性性に不安をおぼえていたと考えられる。折しも第一世界大戦は旧来の価値観に暴力的な終焉をもをたらし、「男らしさ」の理想は再編成を迫られていた。そしてDos Passosは作家を志すとともに、亡き父の期待に応えんとして誇り高き男になることを目指した。この二重の野心において、彼は20世紀のモダンな男性小説家というものを再定義せざるを得なかったのである。Dos Passosは、小説家という生業は一人前の男が誇るに足る立派な仕事であると主張した。彼が目指したのは、科学者のそれに匹敵する客観的観察力と表現力を備えた「歴史の建築家」としての小説家であった。そしてその精力的な仕事において、理想的な芸術作品は、対象への関与と超然の弁証法的統合から産まれると彼は述べている。InitiationとSlodiersにおける芸術家主人公達には、Dos Passos が目指す理想の創作の可能性が読みとれる。好奇心に突き動かされるInitiation の Martin Howe は、Soldiers において、自由を希求する活動の重要さに覚醒しつつも身を投じ得ぬ John Andrews へとつながる。彼らの野心は未然に終わるが、そうした関与と超然の狭間にこそ、成年男子の証となるべき優れた作品は産まれ得るのである。客観的視点と表現の達成を見るには、より成熟した後の作品群を待たねばならないが、Dos Passos の初期戦争小説には、新しい時代の小説家としての独自の「男らしさ」への模索がつづられている。