著者
戸江 哲理 Tetsuri TOE
出版者
神戸女学院大学研究所
雑誌
神戸女学院大学論集 = Kobe College studies (ISSN:03891658)
巻号頁・発行日
vol.68, no.1, pp.103-117, 2021-06

エスノメソドロジー・会話分析と家族社会学が交わるところで、これまでに日本でなされてきた研究を概観した。具体的には、1990年代から2010年代までの成果物をテーマ、手法、著者などから十年刻みで整理した。1990年代には、家庭での親による子どもの社会化の研究にエスノメソドロジーの知見を活かしながら取り組んだ教育社会学者たちがいた一方、家族の定義をめぐる論議においてエスノメソドロジーの発想を援用した家族社会学者たちもいた。2000年代に入って、若手の家族社会学者たちが主に成員カテゴリー化装置の発想を用いて家族をめぐる具体的なデータの検討に着手した。2000年代の後半になると、子育て支援をフィールドとして、エスノメソドロジー・会話分析の方法論や知見を活かす研究がなされるようになった。インタビュー調査によるものや、やりとりを検討するものである。2010年代に研究は拡大し、エスノメソドロジー・会話分析から示唆を受けた研究者たちの単著が刊行され、エスノメソドロジー・会話分析を活かして取り組まれるテーマや用いられるデータの種類などにも厚みが出てきた。だが、研究の余地は依然として大きい。
著者
横田 恵子 Keiko YOKOTA
出版者
神戸女学院大学研究所
雑誌
神戸女学院大学論集 = Kobe College studies (ISSN:03891658)
巻号頁・発行日
vol.68, no.2, pp.107-117, 2021-12

社会学的調査の一手法であるライフストーリー・インタビュー法は、インタビュアーとインタビュイーの相互作用を重視する。本稿は、対話的構築主義の立場から編まれたテキスト集(「医師の語り(2009)」)を二次分析する別稿に先立って用意された論考であり、インタビューテキストの二次分析の前に考慮すべき点を論じたものである。第一に、社会学的研究テーマとして「医師の語り」が重要であることを示しつつ、分析対象の聴き取り調査で対話的構築主義が採用されたことを反省的に検討する。次に、社会学的インタビューを記録する際に、現在多く採用されている準科学的な手続きが抱える限界について考える。「記述スタイル」に他の方法・可能性があると考えるなら、その解決策の一つとして「エクリチュール・フェミニン」が採用可能なのではないか、という検討を行う。最後に、"誰が経験を語る資格があるのか" と言う当事者性の問題と、災禍記憶の継承の関係について考える。「個人的な記憶と過去の集合的な記憶の関係」は、集合的記憶論が再び参照される現在、ライフストーリー読解の分析軸としても重要な二つ目の補助線となるだろう。The life story interview method, a research tool in Sociology studies, emphasizes the interaction between the interviewer and interviewee. This paper discusses points that need to be considered beforehand when conducting a secondary analysis of "the narratives of doctors involved in the treatment of HIV infection," through dialogical constructivism. The first point intends to prove that, as a sociological research theme,medical doctors' narratives are variable. The second point raises the issue that the current method of ecriture, which describes the interview results, is problematic. Here, the author examines the possibility of using "écriture feminine" as one of the solutions. Finally, the paper discusses, "who is qualified to talk about experiences? " and"the relationship between personal memories and collective memories of the past." These issues, which are based on the theory of collective memory, must be understood as the axis of analysis when analyzing the interviews. (This work was supported by JSPS KAKENHI Grant Number 18K02055.)
著者
木村 昌紀 塩谷 尚正 北小屋 裕 Masanori KIMURA Takamasa SHIOTANI Yutaka KITAGOYA
出版者
神戸女学院大学研究所
雑誌
神戸女学院大学論集 = Kobe College studies (ISSN:03891658)
巻号頁・発行日
vol.68, no.2, pp.29-44, 2021-12

119番通報の件数が膨大な数に上る中、市民が適切に通報できないことが救急現場の負担や救急隊や消防隊の到着遅延の原因となっている。本研究は、円滑な通報の実現を目指して、119番通報における市民の心理的要因を探索的に検討する。20代から60代までの各世代の男女約100名ずつからなる、全国1063名を対象にインターネット調査を実施した。119番通報の際、市民の感情的動揺が激しいほど通信指令員とのコミュニケーションは阻害される一方で、通報に対する正確な知識が多いほど円滑なコミュニケーションは促進されていた。特に、初めての通報で知識の効果は顕著だった。市民が119番通報の正確な知識を身につけることは、たとえ感情的に動揺していても、通信指令員との円滑なコミュニケーションにつながる。様々な機会や方法を通じて、市民に119番通報に関する情報を周知していくことが求められる。
著者
三杉 圭子 Keiko MISUGI
出版者
神戸女学院大学研究所
雑誌
神戸女学院大学論集 (ISSN:03891658)
巻号頁・発行日
vol.62, no.2, pp.137-152, 2015-12

第一次世界大戦は近代的兵器を導入した列強国による史上初の総力戦であった。ジョン・ドス・パソス(John Dos Passos 1896-1970)はこの大戦下に成人したいわゆる「失われた世代」の一員である。ひとつ前の世代が戦争に名誉や男らしさの具現を見出したのとは対照的に、彼らはこの不毛な大量殺戮の前に、いかなる幻想を抱くこともできなかった。ドス・パソスは『U.S.A.』三部作の第二部『1919』(1932)において、自らの世代にとっての戦争の再定義を行っている。ドス・パソスは『1919』において、第26代大統領セオドア・ローズヴェルト(Theodore Roosevelt 1858-1919)の伝記的スケッチを「幸せな戦士」("The Happy Warrior")と銘打ち、その戦争観を鋭く風刺している。彼はまず、戦争をめぐるローズヴェルトのロマンティシズムを誇張することでその独善性を揶揄する。そして、米西戦争における好戦的愛国主義者ローズヴェルトと、第一次世界大戦における語り手の体験を並置することで、ローズヴェルトの戦争観が近代戦争においていかに無効であるかを強調している。さらに彼は、ローズヴェルトとの対比において、無名戦士の伝記を「アメリカ人の遺体」と題し、20世紀の戦争の本質を描いている。つまり、モダニティの負の先鋒としての戦争は、個人の固有性を無化し、人間の生を否定するものに他ならない。ドス・パソスは『1919』においてローズヴェルトの戦争観を厳しく批判することで、戦争をめぐるロマンティズムを徹底的に糾弾し、「幸せなアマチュア戦士」の時代は終わり、誰もが「無名の戦士」とならざるを得ない新しい時代の戦争観を提示したのである。World War Ⅰwas the first modern war of advanced technology fought among the world powers. John Dos Passos (1896-1970) is one of the Lost Generation writers who is defined by coming of age during WWI. His experiences of the war allowed for no illusion about warfare being an arena for valor, glory, and manly achievement, as the previous generation conceived. Dos Passos in 1919(1932) reconfigures the meaning of war for his generation. Dos Passos's sarcastic representation of Theodore Roosevelt(1858-1919) in "The Happy Warrior" section of 1919 serves as the focus of this paper and illustrates how Dos Passos reassesses his conceptualization of war. "The Happy Warrior" is a strong statement against America's older generation who could afford to romanticize war and make their entire life a battlefield to prove their honor and manliness. Furthermore, Dos Passos's contrast between the jingoistic Rough Rider and the "gentlemen volunteers" of the ambulance corps in WWI represented in The Camera Eye (32) discloses the failure of the morale of the ex-volunteer cavalry leader in the modern world. The greatest irony is revealed in the author's contrast between the happy amateur warrior and the unknown soldier in "The Body of an American," as the nameless Everyman illustrates deprivation of individuality in the name of war. By investigating how Dos Passos deromanticizes war through his critique of Theodore Roosevelt in the context of WWI, we are able to clarify the nature of modern war as the writer saw it-that Roosevelt, the faded war hero, failed to discern.
著者
楊 曄 Ye YANG
出版者
神戸女学院大学研究所
雑誌
神戸女学院大学論集 = Kobe College studies (ISSN:03891658)
巻号頁・発行日
vol.64, no.1, pp.153-166, 2017-06

国際商事仲裁判断の承認・執行に関する拒否事由を規定した最初の条約は、ジュネーブ条約である。しかし、ジュネーブ条約の規定では、申立人に対し厳しい挙証責任を課しているため、裁判の過程において申立人に不利が及ぶ恐れを排除できなかった。この問題点はその後ニューヨーク条約の規定により、大幅に修正され、現在では、世界のほとんどの国が当該条約に署名している。その結果国際商事仲裁裁判の承認及び執行において、申立人の挙証責任問題は解消されたと考えられる。さらに、UNCITRALモデル法の誕生をきっかけにして、これを国内法化する国が増加しつつあるため、国際商事仲裁判断の承認及び執行は一層容易になっている。
著者
中川 徹夫 Testuo NAKAGAWA
出版者
神戸女学院大学研究所
雑誌
神戸女学院大学論集 = Kobe College studies (ISSN:03891658)
巻号頁・発行日
vol.65, no.2, pp.41-50, 2018-12

植物色素の一種であるアントシアニンは、中性では紫色を示すが、酸性では赤色~赤紫色、塩基性では青緑色~緑色~黄色とその色調を変化させるため、化学実験の酸塩基指示薬として利用できる。以前に著者は、巨峰の果皮やマロウブルーから抽出したアントシアニンを高等学校化学の教材として使用する方法について提案した。本研究では、12ウェルプレートと巨峰の果皮およびマロウブルーを用いた各種水溶液の酸性、中性、塩基性の識別に関するマイクロスケール実験教材について検討した。試薬として、0.1、0.01、0.001mol/L 塩酸 (HCl) 、0.1mol/L 酢酸 (CH₃COOH) 、0.1mol/L 塩化ナトリウム (NaCl) 、0.1mol/L ショ糖 (C₁₂H₂₂O₁₁) 、0.1、0.01、0.001 mol/L 水酸化ナトリウム (NaOH) 、0.1mol/L アンモニア (NH₃) 、飽和水酸化カルシウム (Ca(OH)₂) (石灰水) を用いた。希薄な0.001mol/L HCl と NaOH 以外は、アントシアニンの色調変化よりそれぞれの水溶液の酸性、中性、塩基性を識別できた。本教材を用いた授業実践を兵庫県下の高等学校2校で実施し、高等学校化学基礎の教材としての有用性を確認した。Anthocyanin, a plant pigment, shows purple in neutral, however, it turns red or red-purple when acidic and blue-green, green, or yellow when basic. Therefore, it can be used as an acid-base indicator in chemistry experiments. Previously, we proposed how to use them as teaching materials for high school chemistry. In this study, we have investigated teaching materials for a microscale experiment on classifying various aqueous solutions into acidic, neutral. and basic ones using a 12-well plate, kyoho peels, and mallow blue's petals. We have used various aqueous solution such as 0.1, 0.01, 0.001 mol/L hydrochloric acids (HCl), 0.1 mol/L acetic acid (CH₃COOH), 0.1mol/L sodium chloride (NaCl), 0.1mol/L sucrose (C₁₂H₂₂O₁₁), 0.1, 0.01, and 0.001 mol/L sodium hydroxides (NaOH), 0.1 mol/L ammonia (NH₃) (ammonia water), and saturated calcium hydroxide (Ca(OH)₂) (limewater). Except for 0.001 mol/L HCl and NaOH, these aqueous solutions can be correctly classified into acidic, neutral, and basic ones from the color change of anthocyanin. Using these microscale teaching materials, practical lessons have been carried out at two senior high schools in Hyogo Prefecture, and it has been found that such teaching materials are useful for high school basic chemistry.
著者
津上 智実 Motomi TSUGAMI
出版者
神戸女学院大学研究所
雑誌
神戸女学院大学論集 = Kobe College studies (ISSN:03891658)
巻号頁・発行日
vol.66, no.2, pp.95-111, 2019-12

本論は、『漢珍日日新報データベース』によって『台湾日日新報』を調査し、永井郁子(1893~1983)の台湾楽旅の実態を解明することを目的とする。調査の結果、記事81点が見出されること、そこから永井の台湾楽旅は第一回(1928)、第二回(1930)、第三回(1933)、第四回(1936)および第五回(1937)の5度に及ぶこと、永井の台湾行きは詐欺事件に端を発していること、これらの記事から第一回6件、第二回4件、第三回22件、第四回1件、第五回2件、合計35件の独唱会の存在が知られること、とはいえ、それらは実際に永井が行なった演奏会のせいぜい半数程度しか報道していないこと、内6つの演奏会については演奏曲目の詳細が明らかになり、他の3つについてはプログラム構成の大枠が知られること、第三回については当時の拓務相永井柳太郎の勧めで渡台し、多数の小学校・公学校・高等女学校・師範学校で独唱会を行なって、永井柳太郎作詞、宮良長包作曲の〈新日本建設の歌〉を歌い、かつ児童生徒に歌わせたこと、永井の渡台を組織したのは台湾総督府の官僚を中心とする永井郁子女史後援会であったことが明らかになった。
著者
下村 冬彦 Fuyu SHIMOMURA
出版者
神戸女学院大学研究所
雑誌
神戸女学院大学論集 (ISSN:03891658)
巻号頁・発行日
vol.62, no.2, pp.179-188, 2015-12

文科省の行動指針に基づく「英語が使える日本人」育成の必要から、学生の英語運用力を上げ、TOEICスコアアップを目指す大学が増えている。本学では、共通英語教育研究センター設置に伴う英語教育充実の一環として、2015年度より、TOEIC対策の各種講座を実施している。本研究では同レベルの教材と授業内容で授業を行った場合、週1回90分の授業を10週に渡って行う場合と、TOEIC形式での模試を2時間行い、その後昼食休憩と4時間の解答解説を挟む集中講座形式のTOEIC対策の授業を1回行う場合と、同形式の授業を1週間続けて行う場合との3つの異なる講座を通じて、どのくらいのスコアを保持している層がどのようにスコアを伸ばす傾向があるのかを分析し、どのレベルの学習者にどのようなTOEIC対策を行うことが効率よく順調なスコアアップにつなげてゆけるかを比較、検証、分析した。
著者
景山 佳代子 Kayoko KAGEYAMA
出版者
神戸女学院大学研究所
雑誌
神戸女学院大学論集 = Kobe College studies (ISSN:03891658)
巻号頁・発行日
vol.64, no.1, pp.11-18, 2017-06

この研究ノートは、大阪府西南部地域にある忠岡町の外国人居住者に対する日本語教育の取り組みについての調査の経過報告である。在留外国人に対する日本語支援の取り組みは決して十分と言えるものではなく、多くはボランティアを中心に実施されている。このような現状にあって、日本在住の非日本語母語話者にとって日本語教室がどのような場所として機能しているのか、また彼らが暮らす地域住民、地方自治体との関係性とはどのようなものなのかを明らかにするために本調査は実施された。調査地とした忠岡町の人口は1万8千人ほどだが、在留外国人の割合は大阪府下でも3番目に高く、とくにインドネシア、ブラジルなどの出身者が多い地域となっている。調査は2013年8月から、主に月2回の日曜日に開催される忠岡町の日本語教室を対象に行っている。参加者の出身地はインドネシアやベトナム、タイ、中国、ブラジルなどで、その多くは技能実習生として来日した者である。ボランティアの日本語指導員は、たった一人でこの教室の運営をしているが、日本語学習だけでなく学習者同士の交流や地域行事への参加の機会を用意してもいる。日本語教室の参与観察として日本語指導員へのインタビューなどから、忠岡町の日本語教室が学習者にとってどのような場所として機能しているのか、その調査の経過を報告する。The purpose of these research notes is to report on ongoing research of Japanese -language education for foreign residents in Tadaoka town, located in the Senboku Region of Osaka Prefecture. The ratio of foreigners in Tadaoka is the third highest in Osaka. Many of them come from East Asian countries(such as Indonesia and Vietnam), and live in Tadaoka as foreign trainees and technical interns. Our data is based on fieldwork conducted in Tadaoka NIHONGO KYOUSHITSU(日本語教室)and an interview with a Japanese language volunteer instructor. We found that they can learn Japanese and participate in community events through this class. Further reserch is needed to consider relations between foreigners and local residents.
著者
津上 智実 Motomi TSUGAMI
出版者
神戸女学院大学研究所
雑誌
神戸女学院大学論集 (ISSN:03891658)
巻号頁・発行日
vol.62, no.1, pp.115-129, 2015-06

本論は、神戸女学院大学図書館所蔵のトニック・ソルファ掛図(全19本)について、その音楽的内容を検討することによって、明治期音楽教育の実態の一端を明らかにする。各掛図の掲載内容を検討し、同じく本学図書館所蔵のトニック・ソルファ教本『トニック・ソルファ・ミュージック・リーダー(The Tonic Sol-Fa Music Reader, revised and improved, by Theodore F. Seward &B.C.Unseld, Approved by John Curwen. The biglow & Main Co.)』(1890)の教育内容と付き合わせたところ、次の結果が得られた。1)これら19本は、モデュレイター(音階図)3本、リズム譜3本、トニック・ソルファ譜13本の3種から成る。2)トニック・ソルファ法の教程は6段階で構成されるが、第1段階に属する掛図が11本、第2段階が5本、第3段階が3本である。3)モデュレイターとリズム譜は第1~3段階に対応するものが各1本であるが、リズム譜については第1、2段階と掛図に打たれた番号との組み合わせに齟齬が見られる。4)トニック・ソルファ譜は第1段階9本、第2段階3本、第3段階1本で、第1段階のものが圧倒的に多い。これは音楽教師 E.タレー(1848~1921)が「最初より七音を用いられず、ドミソの三音を以って其の音程を明らかにする為掛図を用いられたり、手を上下にされたり、又は文字に高低を附けて生徒を階名で答えしめられました。右の三音を明確に覚えしめた後、関係ある音を順次に教えられ、決して先生は一時に多くの事を教えられず、One thing at a time を繰り返し繰り返し申されました」という本学卒業生の回想にも合致する。5)1925年の本学財産目録には73本のトニック・ソルファ掛図が記載されており、これら19本はその一部を成していたと考えられる。This paper examines the mineteen wall charts of the Tonic Sol-fa System possessed by the Kobe College Library. By comparison with the textbook The Tonic Sol-Fa Music Reader, revised and improved by Theodore F. Seward & B.C. Unseld, The Biglow & Main Co., 1890, also possessed by the Library, and signed by one of the music teachers of the college, namely Mrs. Stanford (1856-1941), the following facts have been made clear : 1) These nineteen charts can be divided into three groups, namely, three modulators, three rhythm charts and thirteen tonic sol-fa charts. 2) Eleven of them are for the first, five are for the second, and three are for the third step of the six steps of the Tonic Sol-fa teaching system. 3) Of the modulators and the rhythm charts, each of the first three steps has one corresponding chart, while the rhythm charts of the first two steps have some confusion. 4) Of the thirteen Tonic Sol-fa charts, nine are for the first, three are for the second and one is for the third step of the above mentioned six steps. The fact that the first step charts make up the biggest group tallies with the recollection of an alumna of Kobe College, Chie Yanagida. According to her, the music teacher Miss Elizabeth Torrey (1848-1921) did not start with all of the seven notes of the diatonic scale but only three, do mi and so, using charts, or moving her hands up and down and so on, saying repeatedly "one thing at a time". 5) Of the seventy three charts of the Tonic Sol-fa System recorded in Kobe College's inventory of the year 1925, nineteen, that is a little more than a quarter, have survived.
著者
津上 智実 Motomi TSUGAMI
出版者
神戸女学院大学研究所
雑誌
神戸女学院大学論集 = Kobe College studies (ISSN:03891658)
巻号頁・発行日
vol.64, no.1, pp.127-140, 2017-06

本論の目的は、近代日本における「芸術歌曲」としての「日本歌曲」という概念の成立と用語法の変遷を歴史的に明らかにすることである。今日、「ドイツ歌曲」等と並んで「日本歌曲」というジャンルがあるのは自明のこととなっている。しかるに戦前の音楽活動を調査すると、「歌曲」という用語の不在に驚かされる。音楽雑誌『月刊楽譜』(東京:松本楽器、1912~1945)の附録楽譜について言えば、「歌曲」という用語が安定して出現するのは1936年と遅く、それまでは「歌曲」よりも「独唱曲」の方が広く用いられていた。芸術歌曲としての「歌曲」が用語として現れ、概念として定着するまでには、どのような道のりがあったのだろうか?この問いに答えるために、本論では、1)音楽辞典類、2)語学辞典、3)放送用語、の3つを取り上げて考察した。その結果、芸術歌曲としての「Lied」ないしは「song」の訳語として「歌曲」という用語が出現する例は1920年代までに散発的に見られるものの、音楽辞典における訳語として定着するのは1949年以降であることが明らかになった。これは音楽雑誌や演奏会プログラム等における表記が1930年代半ばから一般的になったのに比べて、さらに遅い。1949年の日本放送協會『放送音樂用語』で「歌曲」という訳語が定められて以降、ほぼすべての音楽辞典で「歌曲」という用語が統一的に用いられるようになったが、「Liedform」については「歌曲形式または歌謡形式」とされており、戦前の用語法の名残を引き摺っている例が見受けられる。このように近代日本における芸術歌曲としての「歌曲」概念は、さまざまな紆余曲折を経て、想像以上に長い時間をかけて成立・定着したものである。今日ごく当たり前の概念として用いている「日本歌曲」ないし「歌曲」という用語は、明治の開国以来150余年の歩みの中で、その半分以上を費やして形成されてきたものなのである。The paper aims to make clear the birth and formation of the concept of the Japanese art song in modern Japan. Today the concept of art song and its translation as 'Kakyoku' (歌曲) are firmly established and believed to have been so for a long time. However once one makes surveys of musical activities in the Meiji and Taisho eras in Japan, one must be surprised by the absence of the technical term 'Kakyoku' in music journals or concert programs. In the case of the music magazine Gekkan-Gakuhu (月刊楽譜) or Musical Quarterly, published in Tokyo from 1912 until 1945, it is only from the year 1936 that the demonination 'Kakyoku' consistently occurs, the term 'Dokushoka(独唱歌)', which is 'Solo Song', being used much more often before that year. In order to elucidate the establishment of the concept 'Kakyoku' in modern Japan, this paper examines: 1) music dictionaries, 2) language dictionaries, and 3) terminologies of radio broadcasting. As the result of this survey, it has become clear that it is as late as after the year 1949 that the German term 'Lied' or English 'Song' were traslated as 'Kakyoku' in music dictionaries, with some sporadic usages until the 1920s. This happened later than the middle of the 1930s in the cases of music journals and concert programs. It seems important that the term 'Kakyoku' was selected and established in the music dictionary for radio broadcasting published by Japan Broadcasting Association in 1949. Almost all the music dictionaries followed it, but with some remmant of the former tradition to translate the German 'Liedform' or 'song form' not as 'Kakyoku-keishiki' but as 'Kakyoku- keishiki'. Thus the consept and the terminology of 'Kakyoku' was formed after many twists and turns in the first half of the twentieth century.
著者
久保田 翠 Midori KUBOTA
出版者
神戸女学院大学研究所
雑誌
神戸女学院大学論集 (ISSN:03891658)
巻号頁・発行日
vol.62, no.2, pp.89-110, 2015-12

作曲家クリスチャン・ウォルフ(1934-)は、1957-68年にかけて独自の図形楽譜を編み出し、その中で三つの特徴的な手法を用いた。すなわち、「比率ネウマ」「キューイング」「コーディネート線」である。「比率ネウマ」は、ある限られた数秒内に演奏する内容を示す手法である。予め規程された秒数(コロン左側の数字)の間に、予め指示された演奏内容(コロン右側の数字もしくは/及びアルファベット)を演奏しなければならない。「キューイング」は、「他者のこのような音が聞こえたら、どのように反応するか」ということを規定するものである。ウォルフの図形楽譜においては、白丸の中に音量や音域といった音の条件を書き込んだものが「キュー」として示される。該当する条件の音が他者の演奏から聞こえたと判断した際、奏者はすぐさまそのキューの傍らにある記号を演奏しなくてはならない。「コーディネート線」は、自分の音と他者の音をどのようにアンサンブルさせるかを厳密に規定するものである。音と音との間には垂線や水平線・斜線が引かれ、音の前後・同時関係や音長の決定方法を示す。ウォルフは五線譜の仕組みを下敷きとした図形楽譜作品から出発しながらも、「持続する直線(五線)=要素の連続性」を早々と放棄した。その後まずキューイングを導入したことにより、演奏経過時間を示す必要がなくなり、それにより音が拍子や作品全体を貫く時間軸から解放された。さらにコーディネート線を導入したことにより、音の同時的関係をより厳密に設定することが可能になった。音は「計測出来る時間」から解放され、一回毎の演奏の身振りや個々の音の様態がそのまま作品全体へと影響するようになったのである。Composer Christian Wolff (1934-) developed his unique graphic scores during the years 1957-68, in which he used three characteristic methods: ratio neume, cueing, and the coordinate line.Ratio neume indicates the contents to be played during a certain limited time. Pre-indicated contents (numerals and/or alphabets shown on the right side of the colon) are to be performed during predetermined seconds (as shown on the left side of the colon).Cueing is a way to configure how to react to the sounds presented by other pyayers. In Wolff's graphic scores, dynamics or sound-range directions are written in white circles to make so-called "cues." Just when they hear the sounds appropriate to the cue, performers have to play the signs written right next to the cue.A cooedinate line prescribes how to coordinate the sounds of your own with the others. Vertical, horizontal and diagonal lines are drawn between netes to indicate the sequential order or simultaneity, and to help determine the length of the notes to be played.Wolff started writing staff-based graphic scores, but at an early stage abandoned sequentiality inherent in stave notation. After that , by introducing the method of cueing it became unnecessary to indicate the passage of the performing time, so that sounds got liberated from the timeline that controls beats and the work itself. Moreover, the introduction of the coordinate line made it easier to indicate strict simultaneity. Sounds were liberated from the measurable time. Performers' evanescent gestures and the specificities of each tone became determining elements of the quality of work itself.
著者
津上 智実 Motomi TSUGAMI
出版者
神戸女学院大学研究所
雑誌
神戸女学院大学論集 (ISSN:03891658)
巻号頁・発行日
vol.62, no.2, pp.201-210, 2015-12

米国ハーヴァード大学ホートン・ライブラリー所蔵のアメリカン・ボード宣教師文書(American Board of Commissioners for Foreign Missions Archives, 1810-1961, Call No.ABC 1-91)の調査を2015年9月16日から4日間行い、イライザ・タルカット、エリザベス・タレー、シャーロット・バージス・デフォレストの3人を中心に書簡の収集を行った。この宣教師文書は、1810年から1961年までの150年間に世界各地の宣教師から寄せられた書簡類を中心にまとめたもので、全長385メートルに及ぶ膨大な史料群である。これまでに858巻のマイクロフィルムが作成されているが、全体から見れば極一部でしかない。本学図書館が所蔵するマイクロフィルムには、タルカット書簡62通、タレー書簡21通、デフォレスト書簡60通が収められており、それらの予備調査を行った上で渡米した。現地調査の成果として、1)マイクロフィルムでは解読困難な手書き書簡を中心にデジタル・カメラでの撮影を行って鮮明な画像を得ることができた。 2)マイクロフィルム化されていない史料の中に、婦人伝道団宛のタルカット書簡46通を始めとして、メアリー・ラドフォード書簡2通、デフォレスト書簡(1920年代)221通、同(1930年代)約180通、同(1940年代)63通、"Kobe College"と題されたファイル3冊とボックス2箱があり、大量の史料が手つかずのままになっていることが判明した。 3)史料の一部は傷みが激しく、早急に対策を講じる必要があることが痛感された。この調査は、本学研究所の「総合研究助成」による研究(研究課題:宣教師文書の解読と解明~デフォレスト文書を中心に~)の一環として行ったもので、収集した画像を活用して、今後書簡の解読を進めていく計画である。
著者
難波江 和英
出版者
神戸女学院大学研究所
雑誌
神戸女学院大学論集 = Kobe College studies (ISSN:03891658)
巻号頁・発行日
vol.63, no.2, pp.69-88, 2016-12

本稿は、アガサ・クリスティ(1890-1976)の『バートラム・ホテルにて』(1965)に関して、これまでジャンル批評ではあまり評価されてこなかったミステリーとしての側面を踏まえ、改めて、その文学作品としての真価を記号論の観点から明らかにする試みである。『バートラム・ホテルにて』は、主人公のミス・マーブルよりデイビー警部の活躍が目立つため、「警察小説」のように見え、ミステリーとしても「凡作」と思われてきた。しかし、ミステリーというジャンルを創作の枠組みとしながらも、「ミステリー」というカテゴリーを批評の軸とする視点からは見えてこない何かを浮かび上がらせるように描くことーそこにこそ、クリスティが夢見た文学の理想はあったと考えられる。その「何か」とは、この作品の単なる背景と思われてきたバートラム・ホテルが、20世紀後半に「仮想現実」と呼ばれ始める人工のリアリティや、テーマパークとして花開く記号系の商品を先取りしていた点に求められる。バートラム・ホテルは、原理としてはエドワード王朝の「見せかけ」であるにもかかわらず、経験としては「オリジナル VS. コピー」という二項対立を無効にする「ほんもの」としてのリアリティを帯びながら、時間の壁を越えている。それと同様に、ホテルをめぐる日常風景と犯罪行為も、それぞれ「見せかけ」と「ほんもの」を反転させるという構造を取りながら、ホテル全体を一つの記号 "pockets" として、つまり「客の隠れ場ー犯人の隠れ家」として表裏一体に構成していく。クリスティが「ミステリー」を媒体として描こうとしたのは、まさに仮想現実を思わせるほど「見せかけ=ほんもの」が広がる記号の世界だったと言える。現実は虚構、虚構は現実。人間とは、その反転を生きる役者。クリスティは『バートラム・ホテルにて』において、ホテル全体を記号の世界に仕立てながら、このシェイクスピアのメッセージを現代に甦らせている。