- 著者
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上野 俊一
- 出版者
- 国立科学博物館
- 雑誌
- 国立科学博物館専報 (ISSN:00824755)
- 巻号頁・発行日
- no.14, pp.p117-132, 1981-12
- 被引用文献数
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ヨウザワメクラチビゴミムシ Trechiama tamaensis A. YOSHIDA et S. NOMURA の存在は, 東京都下奥多摩の養沢鍾乳洞で, 1951年8月31日に見つかった, 死体の破片に基づいて予告された。8年後にようやく生きている個体が採集され, 正式に記載されたが, 雌のみに基づく命名だったので, 正確な類縁関係は明らかでなかった。一方, 1953年に大磯で, また1972年に小田原で, それぞれ海岸に打ち上げられた, 洪水のごみの中から採集されたメクラチビゴミムシは, ヨウザワメクラチビゴミムシに近縁のものだ, ということだけはわかっていたが, 本来の生息地が発見できないので十分な材料が得られず, 腫名が未確定のままになっていた。死体の発見後13年めに初めて雄が採集された結果, 当初から予想されていたように, ヨウザワメクラチビゴミムシは, ハベメクラチビゴミムシ群のものであることが確認された。また, この種が洞窟に特有のものではなく, 関東山地南東部の地中に広く分布していることもわかってきた。近年, 地中環境にすむ動物の調査法が進むにともなって, 全国各地で多くの懸案が解決されるようになったが, 小田原の海岸で採集された種は箱根湯本の廃坑で見つかり, 大磯海岸で採れた種の本来の生息地は, 実に27年ぶりに丹沢山地で確認されて, いずれも実体が明らかになった。この論文では, ヨウザワメクラチビゴミムシの雄を記載するとともに, 箱根および丹沢の種をそれぞれ新しく命名した。それらの名称と既知の分布域は次のとおりである。1)ヨウザワメクラチビゴミムシ T. tamaensis A. YOSHIDA et S. NOMURA-関東山地南東部(養沢鍾乳洞, 大岳鍾乳洞, 御岳山, 御前山, 高尾山, 大垂水峠)2)タンザワメクラチビゴミムシ T. varians S. UENO-丹沢山地東部(ヤビツ峠);ほかに大磯海岸で採集された1個体がある3)ハコネメクラチビゴミムシ T. pallidior S. UENO-箱根山東部(白石地蔵の穴);ほかに小田原市御幸ヶ浜の海岸で採集された1個体がある以上の3種はたがいによく似ていて, 雄交尾器を検討しないかぎり正確に同定することはむずかしい。しかし, ハベメクラチビゴミムシ群のほかの既知種とは明確に区別され, とくに上翅の剛毛式や交尾片の特異な形態がいちじるしい特徴になる。興味深いのは, 箱根山に固有のハコネメクラチビゴミムシが, 富士山や伊豆半島のものとはまったく異なる, という事実である。富士山南東麓の溶岩洞群にはコマカドメクラチビゴミムシ T. lavicola S. UENO が, また伊豆半島東部の溶岩洞と廃坑には近縁のオオルイメクラチビゴミムシ T. ohruii S. UENO がそれぞれ分布し, ハベメクラチビゴミムシ群のうちでも特殊化のもっともいちじるしい一亜群を形づくっている。この亜群とヨウザワメクラチビゴミムシ亜群とは, 前胸背板後角の形態や後角毛の有無, 上翅の肩部や基縁部の構造, 上翅亜端溝の長さや曲がり方, 交尾片の形状などの点で大きく異なり, ごく近い過去に同じ祖先から分化したものとはとうてい考えられない。よく知られていることだが, 箱根の動物相と富士や伊豆の動物相とは, たがいによく似た点が多く, 同じチビゴミムシ類でも, ヨウザワメクラチビゴミムシなどとは系統の異なるフジメクラチビゴミムシ Kurasawatrechus fujisanus S. UENO は, 富士山麓の溶岩洞と箱根湯本の白石地蔵の穴とに分布し, それ以外の地域からは知られていない。したがって, ナガチビゴミムシ属 Trechiama のものだけが, この分布型からはずれた類縁関係を示すのは, 注目に値する事例だといえよう。その理由を説明するのは容易でないが, ハベメクラチビゴミムシ群の分布域が, 本州中央部の太平洋岸に沿ってひじょうに細長く延びていることと, ヨウザワメクラチビゴミムシ亜群の既知の3種のうちの2種までが, 河川の洪水に流されて, 本来の生息地から遠く離れた海岸で採集されている, という事実は暗示に富んでいる。ハベメクラチビゴミムシ群の甲虫類の祖先は, おそらく過去のある時期に分布をいったん分断され, いくつかの原型に分かれたのだろう。それぞれの原型は, その後ふたたび分布を拡げるとともに細分化を起こして, ヨウザワメクラチビゴミムシ亜群に見られるような同胞種をつくったのではなかろうか。長肢型のメクラチビゴミムシ類の拡散が現在もなお行なわれつつあり, それを助ける要因として河川の洪水が大きく影響していることは, これまでにもなん度か指摘してきたが, タンザワメクラチビゴミムシやハコネメクラチビゴミムシの例も, この推論を裏づけるものである。