著者
上野 俊一
出版者
国立科学博物館
雑誌
国立科学博物館専報 (ISSN:00824755)
巻号頁・発行日
vol.2, pp.57-72, 1969
被引用文献数
2

対馬からこれまでに見つかったチビゴミムシ亜科の甲虫類は5種ある。そのうちの2種は, 土生と馬場(1959,p. 77)によってすでに記録されているが, 残りの3種はこの論文で新たに報告するものである。これら5種のチビゴミムシ類のうち, 4種までが大きい複眼とよく発達した後翅をもち, 対馬以外の地域にも広く分布している。最後の1種は地中性で, 複眼も後翅も体の色素もなく, 明らかに対馬固有の種と考えられる。 有翅の4種のうちの3種はホソチビゴミムシ属に含まれるもので, それぞれホソチビゴミムシ Perileptus japonicus H.W. BATES, オオホソチビゴミムシ P. laticeps S. UENO およびツヤホソチビゴミムシ P. naraensis S. UENO と呼ばれる。最初の種は, 日本と朝鮮半島を含むアジア東部に広く分布しているが, 北部地域への拡散は比較的最近に行なわれたものらしい。また, あとの2種は, 今のところ日本列島以外から知られていないが, 朝鮮半島にも分布している可能性がある。いずれにしても, これらの種のすべてが, おそらく西日本から対馬へ侵入したものであろう。 ホソチビゴミムシ類は, ほとんどつねに流水の近くにすみ, 生息場所が乱されたり危険が迫ったような場合にはすぐ飛び立つし, 灯火に渠まってくる性質もある。体が微小でしかも活動的な昆虫にとっては風が拡散の動因になり得るので, 対馬海峡や朝鮮海峡のような狭い水域が, ホソチビゴミムシ類の拡散に対する決定的な障害になったとはまず考えられない。上記の3種も, 新第三紀以降のどの時期にでも対馬へ侵入し得たであろうが, 実際に定着が行なわれたのは案外新しい時代のことなのではなかろうか。 有翅の他の1種ヒラタキイロチビゴミムシ Trechus ephippiatus H.W. BATES は, シナからシベリアにかけて広い分布域をもち, 西日本へは朝鮮半島を経て侵入したものと考えられる。したがって, 分布域の広い有翅の種であるとはいうものの, その由来はホソチビゴミムシ類の場合とかなり異なっている。対馬への定着がいつどうして行なわれたかを知る手掛りは少なく, しかも信頼性に乏しい。しかし, ヒラタキイロチビゴミムシのような甲虫の移動に陸橋が不可欠であろうとは必ずしも考えられないので, 現存の対馬産の個体群はそれほど歴史の古くないものかも知れない。 以上の有翅種に比べると, 盲目で地中性のチビゴミムシは, より古い時代から対馬にすみついてきたものらしい。この種は, アトスジチビゴミムシ群に属する新種で, 西日本の内帯に分布するノコメメクラチビゴミムシ属 Stygiotrechus S. UENO と類縁の近いものである。しかし, 体表をおおう細毛がなく, 前頭部と頬部とにそれぞれ1対ずつの剛毛があり, 前胸背両側の背面剛毛列が弧状に並んだ多数の剛毛から成り, また上翅側縁部の第5丘孔点が前方へ移動して第6丘孔点から遠く離れているので, これを西日本の種と同じ属に含めるには無理がある。そこで, この種と, 同じ系列に属すると考えられる韓国産の洞窟性チビゴミムシ類とに対して, チョウセンメクラチビゴミムシ属 Coreoblemus S. UENO という新しい属を立て, 前者をツシマメクラチビゴミムシ Coreoblemus venustus S. UENO と命名した。チョウセンメクラチビゴミムシ属とノコメメクラチビゴミムシ属とは, 同じ属群のうちでも比較的原始的な地位を占め, 分布の様子も散発的, 遺存的である。しかも, これら2属の分布域が対馬海峡によって明確に区分されている点を合わせ考えると, ツシマメクラチビゴミムシの祖先が対馬に定着した時期はかなり古く, 対馬を含む朝鮮陸塊と西日本とが古対馬水道によって隔てられていた時代, おそらくは第三紀の中新世にまで遡るのではないかと推察される。 なお, この対馬産の地中種は, 朝鮮半島の石灰洞にすむ同属の種に比べて, かなり特異な分化を遂げている。とくに, 前趺節における雄の第二次性徴が基節だけにしか現われていない点は, 一般に属や亜属の標徴として用いられるほどチビゴミムシ類に例の少ない形質である。それで, 新属の模式種には, より普遍的な特徴をそなえた韓国産の種の一つを選び, その記載を属の記載に合わせて論文末につけた。属模式種 (Coreoblemus parvicollis S. UENO) の産地は, 韓国忠清北道堤川郡清風面北津里の清風風穴, 模式組標本は南宮〓氏によって採集されたものである。
著者
上野 俊一
出版者
国立科学博物館
雑誌
国立科学博物館専報 (ISSN:00824755)
巻号頁・発行日
vol.18, pp.163-198, 1985

オニメクラチビゴミムシ群 (group of Trechiama oni) の甲虫類, 主として中国山地の東部と四国北東部とに分布し, 淡路島南部と和泉山脈にもそれぞれ1種が生息する。日本海岸から瀬戸内海の南側まで拡がっているので, この種の昆虫群としてはかなり例外的な分布域をもつことになる。本来は地下浅層にすむものらしいが, 石灰洞など自然の洞窟や鉱山の廃坑からも見つかっている。既知種は17あり, 新たに6種を追加記載した。これら23種のすべてを文献とともに列挙し, 区別点を検索表を検索表で示すとともに, 既知種のうちで原記載の不完全な2種の再記載も行った。 この種群は3亜群に大別され, そのうちのふたつはさらに2∿3の系列に次のように区分される。 1) サトウメクラチビゴミムシ亜群 a) ゾウズサンメクラチビゴミムシ系 ムラカミメクラチビゴミムシ T. murakamii S. UENO, ゾウズサンメクラチビゴミムシ T. instabilis S. UENO b) サトウメクラチビゴミムシ系 フジワラメクラチビゴミムシ T. fujiwaraorum S. UENO, オノコロメクラチビゴミムシ T. onocoro S. UENO, サトウメクラチビゴミムシ T. satoui S. UENO, シロトリメクラチビゴミムシ T. tenuis S. UENO 2) オニメクラチビゴミムシ亜群 a) フジタメクラチビゴミムシ系 フジタメクラチビゴミムシ T. fujitai S. UENO, ワカスギメクラチビゴミムシ T. moritai S. UENO, キンショウメクラチビゴミムシ T. spinulifer S. UENO, マチオクメクラチビゴミムシ T. cuspidatus S. UENO, トノミネメクラチビゴミムシ T. crassilobatus S. UENO, ヒウラメクラチビゴミムシ T. hiurai S. UENO, ユキコメクラチビゴミムシ T. yukikoae S. UENO(この種は別系列のものである可能性が強い) b) オニメクラチビゴミムシ系 オニメクラチビゴミムシ T. oni S. UENO c) コスゲメクラチビゴミムシ系 タンゴメクラチビゴミムシ T. tangonis S. UENO, シュテンメクラチビゴミムシ T. shuten S. UENO, イチジマメクラチビゴミムシ T. silicicola S. UENO, コスゲメクラチビゴミムシ T. kosugei S. UENO, ムコガワメクラチビゴミムシ T. expectatus S. UENO, イズミメクラチビゴミムシ T. dissitus S. UENO, テンガンメクラチビゴミムシ T. yoshiakii S. UENO, ノトメクラチビゴミムシ T. notoi S. UENO 3) タイシャクメクラチビゴミムシ亜群 a) タイシャクメクラチビゴミムシ系 タイシャクメクラチビゴミムシ T. insolitus S. UENO これらのすべてが同一の祖先から分化したものかどうか, という点には多少問題があるが, いずれもヨシイメクラチビゴミムシ群 (group of T. ohshimai) のうちから派生したことは確かなので, ここでは単一の種群の亜群として取り扱った。 最初の亜群は, 四国の北東部と淡路島南部とに分布し, 吉野川本流の右岸には侵入していない。このことからみて, 中国山地の東部から瀬戸内海を渡って四国へ移住した祖先型のチビゴミムシは, おそらく讃岐山脈を中心に分化したものと推察される。次の亜群は, 主として中国山地の東部に分布し, 東からコスゲメクラチビゴミムシ系, フジタメクラチビゴミムシ系, オニメクラチビゴミムシ系の順に拡がっている。系列間の相互係は複雑で, 分化の過程を追跡するのも容易ではないが, 少なくともオニメクラチビゴミムシが, 2番めの系列のうちから分化したことは確かだろう。最後のタイシャクメクラチビゴミムシ亜群は, 上翅の剛毛式がほかの亜群の場合と大きく異なり, 分布の様子も遺存的なので, かなり古い時代から隔離されてきたものであるにちがいない。 この種群の甲虫類の調査はまだ不十分で, とくにオニメクラチビゴミムシ亜群に属する系列間の空隙を埋める地域の様子がよくわかっていない。将来, 千ヶ峰山地, 西丹山地西部, 播但高原北部, 津山盆地周辺の山地などからこの亜群メクラチビゴミムシ類が発見されれば, 系統関係も分布の過程も, より高い信頼性をもって解析できるようになるだろう。
著者
上野 俊一
出版者
国立科学博物館
雑誌
国立科学博物館専報 (ISSN:00824755)
巻号頁・発行日
vol.8, pp.137-153, 1975

屋久島からは, これまでにチビゴミムシ類が3種知られ, そのうちのひとつは固有種, 他のひとつは固有の新属新種であることがわかっていた。1974年の夏に行なった現地調査で, 従来調べられていなかった地域からさらに1新種が発見されたので, 屋久島産のチビゴミムシ類は全部で4種になった。これらは次ぎのとおりで, あとのふたつが新種および新属新種である。1) ホソチビゴミムシ Perileptus japonicus H.W. BATES 2) ヤクシマチビゴミムシ Epaphiopsis (Pseudepaphius) janoi (JEANNEL) 3) ワタナベチビゴミムシ E. (P) watanabeorum S. UENO 4) ツヤチビゴミムシ Lamprotrechus convexiusculus S. UENO 以上の4種のうち, ホソチビゴミムシだけはよく発達した後翅をもち, アジア東部に広く分布しているが, 他の3種は後翅の退化した飛べない虫で, 屋久島以外の地域から発見される可能性がない。ヤクシマチビゴミムシとワタナベチビゴミムシは, ともにケムネチビゴミムシ属 Epaphiopsis のサイカイチビゴミムシ亜属 Pseudepaphius に含まれる。この亜属の種類は日本の南西部に広く分布するが, とくに四国と九州とでいちじるしい種分化を遂げ, 亜属の起源がこのあたりにあったことを示唆している。屋久島産の2種も, もともとは南九州から移住したものに違いないが, 木土の種類とは上翅の剛毛式が明らかに異なるので, 特別の種群として区別できる。したがって, これらの種の共通の祖先は, かなり早い時期に南九州の母体から隔離され, その後さらに同所的な種分化を起こして今日にいたった, とみてよかろう。両種はたがいによく似ているが, ワタナベチビゴミムシのほうが小型で扁平, 体色が暗く, 前胸背板の後角がひじょうに鈍くて小歯状にならず, 上翅の条線は浅くて点刻がきわめて弱い。また, 雄交尾器の形態にも顕著な相違が見られる(図2acd;5参照)。最後のツヤチビゴミムシは, 四国の高山に生息するヒサゴチビゴミムシ属 Iga のものにかなりよく似ているが, 上唇の前縁が深く切れこんで二片状になっていること, 前胸背板の側縁が完全であること, 上翅の剛毛式がいちじるしく異なること, 前脛節の外縁に縦溝がないことなどの点で明らかに異なり, 後者との関係も直接的なものではないらしい。しかし, どちらの属も, かつてヒマラヤから東アジアにかけて広く分布していた有翅の祖先型から分化し, 高山の特殊な環境だけに生き残ってきた遺存群であろと考えられる。この原型に近いと思われる形態を現在までとどめているのは, 台湾, 北ベトナム, 北ビルマおよびヒマラヤに分布するハバビロチビゴミムシ属 Agonotrechus である。いっぽう, 特殊化した型のほうは, 四国, 屋久島, 台湾, 雲南, チベットおよびヒマラヤ東部のいずれも高山のみに生息していて, それぞれ孤立した特徴をもち, 相互の関係がかならずしも近くはない。この群のチビゴミムシ類は九州からまったく見つかっていないが, ツヤチビゴミムシの起源が九州のどこかにあったことはまず間違いなかろう。おそらく更新世の初期に九州から屋久島へ侵入したものが, 島が分離されるとともに八重岳の高所へ定着して現在まで生き残ってきたのであろう。要するに, チビゴミムシ相から見た屋久島は, 大きくとれば九州や四国と同じ生物地理学上の地域に含まれるけれども, これらとのあいだにかなり顕著な断絶が認められる。隔離された島としての歴史がそれほど古くないにもかかわらず, このように特殊性が大きいのは注目すべき事実で, おそらく八重岳が孤立した高山として離島の役割を果たし, しかも降水量が多くて良好な生活環境が保たれてきたことに起因するのであろう。
著者
上野 俊一
出版者
国立科学博物館
雑誌
国立科学博物館専報 (ISSN:00824755)
巻号頁・発行日
no.14, pp.p117-132, 1981-12
被引用文献数
2

ヨウザワメクラチビゴミムシ Trechiama tamaensis A. YOSHIDA et S. NOMURA の存在は, 東京都下奥多摩の養沢鍾乳洞で, 1951年8月31日に見つかった, 死体の破片に基づいて予告された。8年後にようやく生きている個体が採集され, 正式に記載されたが, 雌のみに基づく命名だったので, 正確な類縁関係は明らかでなかった。一方, 1953年に大磯で, また1972年に小田原で, それぞれ海岸に打ち上げられた, 洪水のごみの中から採集されたメクラチビゴミムシは, ヨウザワメクラチビゴミムシに近縁のものだ, ということだけはわかっていたが, 本来の生息地が発見できないので十分な材料が得られず, 腫名が未確定のままになっていた。死体の発見後13年めに初めて雄が採集された結果, 当初から予想されていたように, ヨウザワメクラチビゴミムシは, ハベメクラチビゴミムシ群のものであることが確認された。また, この種が洞窟に特有のものではなく, 関東山地南東部の地中に広く分布していることもわかってきた。近年, 地中環境にすむ動物の調査法が進むにともなって, 全国各地で多くの懸案が解決されるようになったが, 小田原の海岸で採集された種は箱根湯本の廃坑で見つかり, 大磯海岸で採れた種の本来の生息地は, 実に27年ぶりに丹沢山地で確認されて, いずれも実体が明らかになった。この論文では, ヨウザワメクラチビゴミムシの雄を記載するとともに, 箱根および丹沢の種をそれぞれ新しく命名した。それらの名称と既知の分布域は次のとおりである。1)ヨウザワメクラチビゴミムシ T. tamaensis A. YOSHIDA et S. NOMURA-関東山地南東部(養沢鍾乳洞, 大岳鍾乳洞, 御岳山, 御前山, 高尾山, 大垂水峠)2)タンザワメクラチビゴミムシ T. varians S. UENO-丹沢山地東部(ヤビツ峠);ほかに大磯海岸で採集された1個体がある3)ハコネメクラチビゴミムシ T. pallidior S. UENO-箱根山東部(白石地蔵の穴);ほかに小田原市御幸ヶ浜の海岸で採集された1個体がある以上の3種はたがいによく似ていて, 雄交尾器を検討しないかぎり正確に同定することはむずかしい。しかし, ハベメクラチビゴミムシ群のほかの既知種とは明確に区別され, とくに上翅の剛毛式や交尾片の特異な形態がいちじるしい特徴になる。興味深いのは, 箱根山に固有のハコネメクラチビゴミムシが, 富士山や伊豆半島のものとはまったく異なる, という事実である。富士山南東麓の溶岩洞群にはコマカドメクラチビゴミムシ T. lavicola S. UENO が, また伊豆半島東部の溶岩洞と廃坑には近縁のオオルイメクラチビゴミムシ T. ohruii S. UENO がそれぞれ分布し, ハベメクラチビゴミムシ群のうちでも特殊化のもっともいちじるしい一亜群を形づくっている。この亜群とヨウザワメクラチビゴミムシ亜群とは, 前胸背板後角の形態や後角毛の有無, 上翅の肩部や基縁部の構造, 上翅亜端溝の長さや曲がり方, 交尾片の形状などの点で大きく異なり, ごく近い過去に同じ祖先から分化したものとはとうてい考えられない。よく知られていることだが, 箱根の動物相と富士や伊豆の動物相とは, たがいによく似た点が多く, 同じチビゴミムシ類でも, ヨウザワメクラチビゴミムシなどとは系統の異なるフジメクラチビゴミムシ Kurasawatrechus fujisanus S. UENO は, 富士山麓の溶岩洞と箱根湯本の白石地蔵の穴とに分布し, それ以外の地域からは知られていない。したがって, ナガチビゴミムシ属 Trechiama のものだけが, この分布型からはずれた類縁関係を示すのは, 注目に値する事例だといえよう。その理由を説明するのは容易でないが, ハベメクラチビゴミムシ群の分布域が, 本州中央部の太平洋岸に沿ってひじょうに細長く延びていることと, ヨウザワメクラチビゴミムシ亜群の既知の3種のうちの2種までが, 河川の洪水に流されて, 本来の生息地から遠く離れた海岸で採集されている, という事実は暗示に富んでいる。ハベメクラチビゴミムシ群の甲虫類の祖先は, おそらく過去のある時期に分布をいったん分断され, いくつかの原型に分かれたのだろう。それぞれの原型は, その後ふたたび分布を拡げるとともに細分化を起こして, ヨウザワメクラチビゴミムシ亜群に見られるような同胞種をつくったのではなかろうか。長肢型のメクラチビゴミムシ類の拡散が現在もなお行なわれつつあり, それを助ける要因として河川の洪水が大きく影響していることは, これまでにもなん度か指摘してきたが, タンザワメクラチビゴミムシやハコネメクラチビゴミムシの例も, この推論を裏づけるものである。