- 著者
-
二井 彬緒
- 出版者
- 学校法人 自由学園最高学部
- 雑誌
- 生活大学研究 (ISSN:21896933)
- 巻号頁・発行日
- vol.1, no.1, pp.45-53, 2015 (Released:2016-08-15)
- 参考文献数
- 16
「ユダヤ人問題」は終わっていない.これはアウシュヴィッツをはじめとしたナチス・ドイツによる「絶滅強制収容所」の解放以降も,「ユダヤ人DP(Displaced Person)問題」や「ユダヤ難民」と名前を変えて続いている問題である.これらの延長に存在するもの,それがパレスチナ問題である.この複雑な紛争を語る時,ユダヤ人問題は切っても切れない存在だ.ホロコーストとパレスチナ問題という異なる歴史上の二点はこのようにして一本の線の上に位置づけることができる.これらの問題を並行して考えることは,ユダヤ人社会の意識の違いを見る糸口にもなる.仮にホロコーストをより普遍的な歴史的事象と捉えた時—つまりユダヤ人以外の民族にも起こり得る歴史的出来事であると考える場合—パレスチナ問題はホロコーストを生き抜いたユダヤ人にとってイスラエル国家という存在の根本を揺るがす問題にもなる.本誌のこの論文は,卒業論文「“ホロコースト” と“パレスチナ問題”—ユダヤ人として生きる基準—」の内容をすべて掲載するのではなく,その一部であるE・ヴィーゼルを中心に,サラ・ロイ,イラン・パペのユダヤ人社会における立ち位置とホロコーストに関する考え,また,彼ら「預言者的ユダヤ人」がユダヤ人社会に果たす役割を中心に論じていく.