著者
二井 彬緒
出版者
学校法人 自由学園最高学部
雑誌
生活大学研究 (ISSN:21896933)
巻号頁・発行日
vol.3, no.1, pp.43-58, 2017 (Released:2017-12-21)
参考文献数
27

イスラエル国家を思考することは、ショアーの亡霊を呼び起こし、「国民国家nation-state」を思考することである。H・アーレントによれば、ショアーとは、近代ヨーロッパ式国民国家がその発展上の限界点に達した際におこった、「『国民』ならざる存在」の排除である。近代において、「『国民』ならざる者」、すなわちユダヤ人たちは、ある場所(ある国家)に居住しながらも「ホームランド」を喪失した者たちと目され、国家の内部にいながらその構成員にはなり得ない存在、G・アガンベンの言葉を使えば「ホモ・サケルHomo sacer」となったのである。イスラエルとは、そうした歴史の文脈の上で、シオニストたちによってユダヤ人の「ホームランド」として生まれた国民国家である。国民国家は、人びとのあいだに「国民」と「『国民』ならざる存在」といった想像上の境界線を引く。それは、個々人がみずからを「国民」として自己同一化するidentifyことであり、これもまた虚構でしかない。しかし、この虚構が強い効力を持つとき、言い換えれば、ナショナリズムが生まれるとき、「『国民』ならざる存在」の排除が起こるのだ。さて、近年、ニュースや新聞、またイスラエルに関する話題が持ち上がるあらゆる場において、「イスラエル批判は反ユダヤ主義である」といったレトリックを見かける。このレトリックは、「ユダヤ人」「イスラエル人」「シオニスト」を、あたかも同義語として見なすような効果を持っている。本稿では、現代思想と国民国家論の視点から、このレトリックを国民国家の表象として批判する。その中で、「国民」というアイデンティティという枠から脱し、個々人の生を語ること、そこにどのような可能性が存するのかを論じる。
著者
野口 大介
出版者
学校法人 自由学園最高学部
雑誌
生活大学研究 (ISSN:21896933)
巻号頁・発行日
vol.3, no.1, pp.94-103, 2017 (Released:2017-12-21)
参考文献数
13

2008年から2016年まで筆者が長崎県内において勤務した3つの長崎県立高等学校(諫早高等学校,長崎北陽台高等学校および猶興館高等学校)において実践した理数科課題研究指導や,自然科学部(部活動)などで指導した生徒化学課題研究の内容についてまとめた。筆者は,生徒一人ひとりの実態にあわせて研究テーマを設定し,粘り強く指導しながら探究を深め,対外的に目に見える成果を上げることを常に心がけ,生徒の自信と向上心を育む実践に取り組んできた。各校での実践から,生徒たちは研究を通じてさまざまな困難を克服しながら最終的には専門性の高い成果を上げ,その内容が学術誌に取り上げられたり,受賞論文が書籍に掲載されたりするなどした。こうしたことにより生徒たちの科学的思考力や表現力の育成に貢献するとともに,生徒たちは自信を育み,視野を大きく広げ,その後の進路実現を含む高い目標に向かって努力する向上心を持たせたことに結びついた。
著者
林 美帆
出版者
学校法人 自由学園最高学部
雑誌
生活大学研究 (ISSN:21896933)
巻号頁・発行日
vol.3, no.1, pp.1-19, 2017 (Released:2017-12-21)

日本近代女性史の中で大きく取り上げられる、与謝野晶子と平塚らいてうが中心となって行われた大正期の母性保護論争は、女性が母となることで国家から金銭的援助を得ることの可否を問うものであった。羽仁もと子はこの論争に直接的には関わらず、どちらかの主張を指示する言説は発表していない。しかしながら、羽仁は家計簿をはじめとした家庭論や職業論など、独自の視点を『婦人之友』誌上で展開し、多くの女性の支持を集めていた。本稿では、与謝野と平塚の母性保護論争における主張を整理し、羽仁の家庭論および職業論と対比することで、同時代の女性がおかれている状況を明らかにする。その上、二人と羽仁との共通点および差異を考察し、羽仁が示した解決策の一つが「女性の組織化」であったことを論じる。
著者
村上 民
出版者
学校法人 自由学園最高学部
雑誌
生活大学研究 (ISSN:21896933)
巻号頁・発行日
vol.1, no.1, pp.26-44, 2015 (Released:2016-08-15)
参考文献数
31

自由学園創立者である羽仁もと子、吉一は、創立初年の1921年から、当時自由画提唱者として、 また農民美術運動の推進者と注目されていた洋画家、山本鼎を美術科主任として招聘した。山本鼎 は、病に倒れる直前の1942年秋頃までの20年間、つまり彼の後半生を通じて自由学園の美術教育 に携わり、また羽仁夫妻の教育事業に深く関与した。本稿は、自由学園草創期から10年間の学園美 術の展開、そして自由学園工芸研究所設立にいたる過程を、羽仁もと子・吉一と山本鼎の協働の側 面から論じる。羽仁夫妻は、自由を基調とした教育をめざし、教育と社会改造を深く結び付けよう とする志向を持っていたが、山本の自由学園での教育実践は、それまでの山本の自由画運動や農民 美術運動を統合させた形で学園美術を方向づけ、自由学園教育が持っていた社会への拡張性を具体 的に推し進めた。山本鼎はまた、自由学園卒業生による自由学園工芸研究所の設立(1932年)にも 関わった。工芸研究所の設立は、生徒たちの、山本鼎からの自立過程でもあった。
著者
大貫 隆
出版者
学校法人 自由学園最高学部
雑誌
生活大学研究 (ISSN:21896933)
巻号頁・発行日
vol.8, no.1, pp.30-43, 2023 (Released:2023-08-04)
参考文献数
36

マタイ24, 28/ルカ17, 37に,「死体のあるところはどこでも,そこに禿鷲たちが集まるであろう」というイエスの発言がある.共観福音書の研究においては,マタイとルカ福音書に共通する語録資料(通称Q資料)の一部とみなされている.この語録は私が過去二十年来続けてきたイエスの「神の国」のイメージ・ネットワークの新たな網の目として追加的に「積分」可能である.このことを論証することが本論考の課題である.私見では,プルタルコス『倫理論集』の一篇「自然現象の原因について」918Cとルクレティウス(前99年頃?55年頃)『事物の本性について』IV, 679に,内容上も文言上も最も顕著な並行事例が見つかる.それは死肉があれば,場所の如何を問わずどこにでも集まってくる禿鷲の超能力を称える格言であった(以上第II節).福音書記者マタイとルカがQ資料に加えた編集とその神学的意味を分析(第III節)することによって,Q資料がこの格言を用いていた意味が復元できる.すなわち,すでに死から復活して今は天にいるイエスが間もなく再臨するが,その再臨が人間の居場所を問わず目に見えるものだということである.生前のイエスにとっては,同じ「人の子」という語は自己呼称ではなく,自分が宣べ伝えている「神の国」が間もなく地上に実現する時に出現するはずの超越的救済者を指していた.この違いを考慮に入れた上であれば,生前のイエス自身が問題の格言をその「人の子」の到来の普遍的な可視性を言い表すイメージとして,稲妻のイメージとワンセットで用いたことに「さもありなん」の蓋然性がある.その到来は稲妻のひらめきが地上の特定の「あそこ」や「ここ」に限定されないのとまったく同じように,地上のどこでも目に見える宇宙大の出来事だというのである(第IV節).
著者
大貫 隆
出版者
学校法人 自由学園最高学部
雑誌
生活大学研究 (ISSN:21896933)
巻号頁・発行日
vol.5, no.1, pp.1-21, 2020 (Released:2020-06-13)
参考文献数
47

初期ユダヤ教黙示思想に認められる終末論は宇宙史の終末論,魂の上昇の終末論,民族史の終末論の三つに下位区分される.しかし,アレクサンドリアのユダヤ人思想家フィロンにおいては,中期プラトン主義の影響を受けて,宇宙は神の最良の制作物とみなされる.そのため,宇宙の終わりについての終末論は成立しない.善人にも降りかかる自然災害の問題性は意識されているが,神の摂理の付属現象として説明されて終わる.―人間の魂には神的ロゴスと同じ叡智(理性)が宿っている.しかし,身体を通して働く感覚の惑わしの下にある.それを徳の涵養によって克服して,天に向かって上昇し,神を見ることに努めなければならない.ところが,その上昇は神の本質(ウーシア)を知る一歩手前,神の存在の事実(ヒュパルクシス)を知ることで終わる.フィロンはそれを超える途としての脱魂体験を示唆するが,それも究極的には理性の枠内にあり,同じ限界を超えるものではない.生涯にわたる徳の涵養と理性主義という点で,初期ユダヤ教黙示思想の中の魂の上昇の終末論とは明瞭に異なる.―フィロンは同時代のユダヤ教を席巻した政治主義的メシア運動を承知していたと思われるが明言は避けている.彼がその代りに説いたのは,徳の涵養を遂げた人 間から成る宇宙国家論であった.
著者
杉原 弘恭 田口 玄一郎
出版者
学校法人 自由学園最高学部
雑誌
生活大学研究 (ISSN:21896933)
巻号頁・発行日
vol.4, no.1, pp.42-68, 2018 (Released:2019-04-05)
参考文献数
63

フレキシブルで多目的なフレームワークとしてのケイパビリティ・アプローチの汎用性を拡張するために,ケイパビリティの概念整理を行った.その際に,ルーツとしてのネガティブ・ケイパビリティを探るとともに,センの提唱したケイパビリティの定義式を基本とし,ヌスバウムとの比較を通じ,これまでケイパビリティを論ずる際に出されたいくつかのキーとなる概念を,(1) Positive-Negative, (2) Active-Passive, (3) Explicit-Implicit (Potential) の3軸として抽出し,その組み合わせによる静学的な8象限のケイパビリティ・キューブを提示した.さらに,システム論による定義式の解釈を行って,動学的能力と構造変化能力を兼ね備えていることを示した.続いて視座としてのケイパビリティに影響を及ぼすネガティブ・ケイパビリティ,ケア(caring)を概観し,加えて教育的なつながりを確認するために,リベラル・アーツとの関係,さらにはその延長線上に位置するマネジメントとのつながりについて述べた.
著者
大貫 隆
出版者
学校法人 自由学園最高学部
雑誌
生活大学研究
巻号頁・発行日
vol.6, no.1, pp.24-43, 2021

生前のイエスによるエルサレム神殿倒壊の予言(マルコ14, 58)は,復活信仰成立後間もない原始エルサレム教会の中で再び活性化された.それは使徒言行録と全書6–7章に記されたステファノ殉教事件から読み取られるように,復活のイエスが天上から再び到来するという待望と結びついていた(第I節).その待望は満たされずに終わり,ステファノを含むギリシア語を話すユダヤ人キリスト教徒はエルサレムから離散した.しかし,アラム語を話すユダヤ人キリスト教徒は残留した.やがてペトロに代わって「義人」(主の兄弟)ヤコブが指導権を掌握した.以後その系譜に連なりながら後二世紀までさまざまな分派として存続したパレスチナのユダヤ人キリスト教のことを「ユダヤ主義キリスト教」と呼ぶ.第II節で取り上げる『ヘブル人福音書』の断片は,ユダヤ主義キリスト教のキリスト論が初期の「人の子」キリスト論であったことを推測させる.それは義人ヤコブに顕現する復活のイエスを「人の子」と明示している.第III節では,義人ヤコブの最期に関するヘゲシッポスの報告から,ヤコブとその仲間が「人の子」イエスの再臨を待望していたことが論証される.そこでは,生前のイエスが織り上げていた「神の国」についてのイメージ・ネットワークが,原始エルサレム教会の復活信仰によって補正された上で,継承されていることが証明される.同時に,ヤコブが時の大祭司によって「律法を犯したかどで」処刑されたというユダヤ人歴史家ヨセフスの証言から,ヤコブがモーセ律法の中の「供儀」条項を拒否していたと推定される(仮説1).第IV節では,AD 70年のローマ軍によるエルサレム神殿の陥落直前に,原始エルサレム教会がヨルダン川東岸のペラ(Pella)へ脱出したこと,その根拠となったのがキリストによる「天啓」あるいは「命令」であったという証言が取り上げられる.その証言はヘゲシッポス,エウセビオス,エピファニオスという教父たちの他,後二世紀のユダヤ主義キリスト教に属する外典文書『ペテロの宣教集』の中に見出される.そこでも,イエスは「人の子」とされ,二回にわたる到来が語られる.一回目は生前のイエスのことで,彼は「真の預言者」として「供儀の廃止」を予言したと言う.二回目は差し迫った再臨のことで,その時初めて「供儀の廃止」が実現されると言われる.おそらく,ローマ軍によるエルサレム陥落の直前には,生前のイエスによる神殿陥落予言(マルコ14, 58)がまたもや活性化され,それがキリストによる「天啓」あるいは「命令」と解釈されたものと推定される(仮説2).第V節では,皇帝ドミティアヌスがイエスの親族(ひ孫)を直接尋問して,その終末待望について問い質したという,またもやヘゲシッポスの報告が分析される.イエスの親族が語る「神の国」は,「人の子」イエスの再臨によって実現されるという点で,原始教会の復活信仰による補正を経ているが,生前のイエスの「神の国」のイメージ・ネットワークをよく留めている.
著者
高野 慎太郎
出版者
学校法人 自由学園最高学部
雑誌
生活大学研究 (ISSN:21896933)
巻号頁・発行日
vol.7, no.1, pp.123-138, 2022-05-07 (Released:2022-05-07)
参考文献数
21

ESD:Education for Sustainable Development:持続可能な開発のための教育やSDGs:Sustainable Development Goals:持続可能な開発目標の大流行を背景とした環境教育の実践が盛り上がりをみせる一方で、人々の環境意識が軒並み低下しているのはなぜか。本稿は、これまでの環境教育が見てこなかった指標を参照しながら人々の環境意識の実態を捉えたうえで、授業の時空のみに留まろうとする環境教育を排し、生活や生き方といったキャリアの時空まで教育意図が貫徹するための方法論として「グリーンガイダンス」の概念セット(理論・機能)と実践例を提案するものである。なお本稿は、映画『タネは誰のもの』(原村政樹監督、2020 年公開、きろくびと配給)DVDパンフレットによせた文章に加筆したものである。
著者
村上 民
出版者
学校法人 自由学園最高学部
雑誌
生活大学研究 (ISSN:21896933)
巻号頁・発行日
vol.5, no.1, pp.22-35, 2020 (Released:2020-06-13)
参考文献数
33

本稿を含む3つの論考は、自由学園草創期(1921 年~1930年代前半)におけるキリスト教とそれに基づいた教育を、創立者羽仁もと子(旧姓松岡、1873–1957)・吉一(1880–1955)のキリスト教信仰との関係において検討することを目的とする。なかでも羽仁夫妻における「自由」と「独立」への関心に焦点をあてる。本稿では3つの論考に共通する問題意識を明らかにするとともに、最初の課題として松岡もと子、羽仁吉一の青年時代とキリスト教との出会いについて扱う。 羽仁もと子・吉一夫妻は、自身の信仰の事業として自由学園を設立した。その教育理念はキリスト教を土台としていたが、その最初期には直接的にキリスト教を標榜せず、当初は形の定まった礼拝も行われなかった。また、校名「自由」の意味をヨハネ伝との関係で定式的には語らなかった。羽仁夫妻は「自由」を自由学園の教育と宗教に深く関わるものとして、すなわち自由学園を名指すもの、決してとりさることのできないものとして堅持し、戦時下の校名変更の圧力に対してもこれに応じなかった。この「自由」は戦後もなお自由学園にとって問題(課題)でありつづけた。「自由」は自由学園の教育とキリスト教を考える上でキーワードとなるものだが、その含意は必ずしも自明ではない。 本稿を含む3つの論考では、「自由学園のキリスト教」を考えるために、まず自由学園の草創期(1921 年~1930 年代前半)を検討範囲とし、これを検討するために3 つの側面を取り上げる。 (1)松岡もと子、羽仁吉一の青年時代とキリスト教との出会い (2)羽仁もと子、吉一の出版事業とキリスト教との関わり (3)羽仁夫妻の「信仰の事業」としての自由学園創立とそのキリスト教
著者
大貫 隆
出版者
学校法人 自由学園最高学部
雑誌
生活大学研究 (ISSN:21896933)
巻号頁・発行日
vol.1, no.1, pp.2-7, 2015 (Released:2016-08-15)

R・ジラールの文化人類学によれば,供犠とは「いけにえ」の上に共同体の攻撃性を集約することで,内部の平和と秩序を基礎づけ保持してゆくメカニズムである.イエスの「神の国」はユダヤ教の贖罪の供犠を終わらせるもの,従ってユダヤ教の禁忌を破るものと見做され,イエスは排除された.パウロと四つの福音書もその次第を報告するが,彼ら自身がイエスの死を供犠と見做している箇所は一つもない.ジラールによれば,まさにそこにこそ,現代が供犠的キリスト教に対する根本的な批判を試みるための最大のチャンスがある.ところが,現実のキリスト教では受難と供犠が頻繁に混同されている.S・ヴェイユと鈴木順子氏の学位論文においても両者が混在し,繰り返し同義的に用いられている.私の見方では,両者は出来事としては同一であるが,「供犠」はその出来事を自己存続を図る共同体から見た場合の概念,「受難」は供犠として奉献される者から見た場合の概念として,アスペクト上互いに明確に区別するべきである.
著者
二井 彬緒
出版者
学校法人 自由学園最高学部
雑誌
生活大学研究 (ISSN:21896933)
巻号頁・発行日
vol.1, no.1, pp.45-53, 2015 (Released:2016-08-15)
参考文献数
16

「ユダヤ人問題」は終わっていない.これはアウシュヴィッツをはじめとしたナチス・ドイツによる「絶滅強制収容所」の解放以降も,「ユダヤ人DP(Displaced Person)問題」や「ユダヤ難民」と名前を変えて続いている問題である.これらの延長に存在するもの,それがパレスチナ問題である.この複雑な紛争を語る時,ユダヤ人問題は切っても切れない存在だ.ホロコーストとパレスチナ問題という異なる歴史上の二点はこのようにして一本の線の上に位置づけることができる.これらの問題を並行して考えることは,ユダヤ人社会の意識の違いを見る糸口にもなる.仮にホロコーストをより普遍的な歴史的事象と捉えた時—つまりユダヤ人以外の民族にも起こり得る歴史的出来事であると考える場合—パレスチナ問題はホロコーストを生き抜いたユダヤ人にとってイスラエル国家という存在の根本を揺るがす問題にもなる.本誌のこの論文は,卒業論文「“ホロコースト” と“パレスチナ問題”—ユダヤ人として生きる基準—」の内容をすべて掲載するのではなく,その一部であるE・ヴィーゼルを中心に,サラ・ロイ,イラン・パペのユダヤ人社会における立ち位置とホロコーストに関する考え,また,彼ら「預言者的ユダヤ人」がユダヤ人社会に果たす役割を中心に論じていく.
著者
杉原 弘恭 松島 耕太 大口 遼太郎 鬼崎 衛 雜賀 順己 花井 聖仁 小田 幸子
出版者
学校法人 自由学園最高学部
雑誌
生活大学研究 (ISSN:21896933)
巻号頁・発行日
vol.2, no.1, pp.71-90, 2016 (Released:2017-04-21)
参考文献数
16

江戸期の上名栗が林業主体,下名栗が薪炭業主体という地域経済の違いは,地域の政治体制にも影響を及ぼしているが(上名栗世襲制・下名栗輪番(年番)制),その違いは地域の基盤の地質の違いが植生の違いに影響している可能性があることを指摘した.その上名栗の名主の町田家と組頭の柏木家の地域経済への取り組みの特色を分析した.町田家は林業を主軸に江戸に進出し名栗との両輪経営を行って名栗の繁栄に寄与し,柏木家は江戸・東京より名栗に回帰する形で名栗の各種産業発展に寄与した.町田家は,林業から筏輸送,材木卸までの川上(名栗)から川下(江戸)へのサプライチェーンを形成したものの,当時の制度的制約から仲買以降の江戸の消費者までを取り込むことはほとんどできなかった.一方,柏木家は,各種事業を行って,大正期には筏の代わりに公共交通機関を整備し,温泉旅館を核とし東京の消費者の名栗への来訪を促進するという川下(東京)から川上(名栗)への流れのバリューチェーン形成を指向した.町田家は林業のキャピタルゲイン指向かつ「規模の経済性」を求め,柏木家はキャッシュフロー重視のインカムゲイン指向かつ「範囲の経済性」を求めたといえる.林業からいち早く離脱した柏木家であったが,柏木家の山づくりで見られた生態学的な「範囲の経済性」の考え方が反映されたといえる.一貫経営は資金の内部留保となることから私的な蓄財ともなるが,当時資金を負担して公共事業を行うのは名主・庄屋層であったことから,名主としての雇用や公共事業等の原資を獲得するための面があったと思料される.
著者
木村 秀雄
出版者
学校法人 自由学園最高学部
雑誌
生活大学研究 (ISSN:21896933)
巻号頁・発行日
vol.4, no.1, pp.78-96, 2018 (Released:2019-04-05)
参考文献数
24

自由学園における「親友を作ってはいけない」という指導はなぜ存在したのか、青年海外協力隊員の「派遣先の国が好きになれなかったらどうしよう」という不安にはどう答えるべきか、人類学の「仕事を始める前にまず調査地の人と仲良くなるべきだ」という調査論は正しいのか、この3 つの疑問を出発点に、他者に共感することの功罪について論ずる。「速い思考(システム1)」と「遅い思考(システム2)」、「手続的行為」と「宣言的行為」、「価値観に彩られた感情的行為」と「価値自由な慣習的行為」という人間の行為を2つに類型化する理論的枠組みをさまざまな観点から論じ、この枠組みを基礎にして「共感」について広い観点から論ずる。その結果、3つの疑問に対して、共感が人間の生活において大きな力を持っていることを認めつつも、それを強調しすぎることは視野をせばめ、教育・国際協力・人類学調査の目的に合致しないことがあると回答する。さらに最終的に、共感を利用しながらも、社会に対する広い視野を保ち、社会の公共性に対する考慮を失ってはならないと結論づける。
著者
高野 慎太郎 津山 直樹
出版者
学校法人 自由学園最高学部
雑誌
生活大学研究 (ISSN:21896933)
巻号頁・発行日
vol.6, no.1, pp.56-75, 2021 (Released:2021-04-21)
参考文献数
12

本研究は、子どもの声を反映した教科横断型カリキュラムの創発過程を分析することによって、生徒と教師における中動態的関係を明らかにするものである。そのために、アクティヴ・インタビューによって得られたデータの分析を行う。教科横断型の授業においては、生徒と教師の間だけでなく、教師と教師の間にも中動態的な関係性が現れる。アクティヴ・インタビューからは、そうした輻輳化した中動態的な関係の中から新たな実践が創発される様子が明らかとなっている。また、教科横断型の授業による効果としては、「地理で情報を得て、考察を国語で行う」「教科横断によって問いを持ち越すことができた」といった生徒の語りに象徴されるような、各教科の特性と限界を補完しあう形での相乗効果が見受けられた。
著者
真中 昭典 田嶋 健人 津山 直樹
出版者
学校法人 自由学園最高学部
雑誌
生活大学研究 (ISSN:21896933)
巻号頁・発行日
vol.7, no.1, pp.1-21, 2022-05-07 (Released:2022-05-07)
参考文献数
25

本研究は,教師と児童の関係性の中にある「教える–教えられる」という非対称な関係を問題と捉え,子どもの声を聞き,それに応じる形でカリキュラムをリデザインする「カリキュラム生成」の実現を目指した。総合的な学習の時間を主とした「探求学習」におけるカリキュラム生成のプロセスを分析し,その成果と課題を明らかにするものである。アクション・リサーチによる理論と実践の架橋・往還を目指し,教師と研究者が協働してカリキュラム生成を行った。実践では,児童の声を活かした探求学習を通して,調べ学習に必要な知識・技能を獲得することや探求テーマに関する専門的知識を獲得することだけでなく,児童の意識変容や専門的知識を超えた概念形成を目指した。これらを実現するための工夫として,具体的には,本質的な問いの設定,e-カリキュラムデザイン曼荼羅を活かしたカリキュラムリデザイン,パフォーマンス課題の設定,ルーブリックを用いた評価等を行った。抽出児童5名のパフォーマンス課題や振り返り等の記述から,実践プロセスにおける児童の意識変容や概念形成の様子が明らかとなった。また,教師と研究者との協働によるカリキュラムのリデザインを通して,児童の声を活かした探求学習を実現するカリキュラム生成が行われたことが成果としてとして挙げられる。
著者
高野 慎太郎 津山 直樹 成田 喜一郎 上條 由貴
出版者
学校法人 自由学園最高学部
雑誌
生活大学研究 (ISSN:21896933)
巻号頁・発行日
vol.7, no.1, pp.82-101, 2022-05-07 (Released:2022-05-07)
参考文献数
21

本研究では、アクティブ・ラーニングの再検討に向けて、人間史学習を中核とした教科横断型実践のカリキュラムの創発過程について、学習指導案や授業資料などのドキュメントデータから明らかにした。これによって、授業方法論の開発者が現場の実践から影響を受け、方法論の問い直しや定義の更新を生じ、それが再び現場の実践にフィードバックされる過程を確認することができた。加えて、創発された教科横断型実践の実態についても、これまでになされてきた教科横断型実践との差異を明記しながら、可能な限りのドキュメントデータの提示とその詳述を行った。これによって、実践者同士が「観」を語り合い、ボトムアップで共通の学習テーマを設定し、「社会不安」という教科間の接点を見出しながらカリキュラム創発がなされている点が明らかとなった。こうした記述を通した全体からは、実践研究の水準においては、実践者と方法論の開発者における相互作用的なカリキュラム創発の過程が示され、また、授業実践の水準においては、アクティブ・ラーニングの諸課題を克服する実践の方向性が示されている。
著者
髙橋 由佳 河原 弘太郎 遠藤 敏喜
出版者
学校法人 自由学園最高学部
雑誌
生活大学研究 (ISSN:21896933)
巻号頁・発行日
vol.2, no.1, pp.50-63, 2016 (Released:2017-04-21)
参考文献数
21

古来から多くの芸術家や研究者がそれぞれの目的で音楽の可視化・図形表現を試みている.本論文では楽譜の持つ音楽要素を縞模様で表現する.縞模様には,自由学園生活工芸研究所のオリジナル・テキスタイルであるプラネテを用いる.手法としては,計量情報学でよく知られているジップの経験則を用いる方法と,ヨハネス・イッテンの色彩論を用いる方法を紹介する.聴覚と視覚という異なる感覚を用いた表現メディアの融合の,縞模様を用いた新たな例を提供する.
著者
大貫 隆
出版者
学校法人 自由学園最高学部
雑誌
生活大学研究 (ISSN:21896933)
巻号頁・発行日
vol.6, no.1, pp.24-43, 2021 (Released:2021-04-21)
参考文献数
47

生前のイエスによるエルサレム神殿倒壊の予言(マルコ14, 58)は,復活信仰成立後間もない原始エルサレム教会の中で再び活性化された.それは使徒言行録と全書6–7章に記されたステファノ殉教事件から読み取られるように,復活のイエスが天上から再び到来するという待望と結びついていた(第I節).その待望は満たされずに終わり,ステファノを含むギリシア語を話すユダヤ人キリスト教徒はエルサレムから離散した.しかし,アラム語を話すユダヤ人キリスト教徒は残留した.やがてペトロに代わって「義人」(主の兄弟)ヤコブが指導権を掌握した.以後その系譜に連なりながら後二世紀までさまざまな分派として存続したパレスチナのユダヤ人キリスト教のことを「ユダヤ主義キリスト教」と呼ぶ.第II節で取り上げる『ヘブル人福音書』の断片は,ユダヤ主義キリスト教のキリスト論が初期の「人の子」キリスト論であったことを推測させる.それは義人ヤコブに顕現する復活のイエスを「人の子」と明示している.第III節では,義人ヤコブの最期に関するヘゲシッポスの報告から,ヤコブとその仲間が「人の子」イエスの再臨を待望していたことが論証される.そこでは,生前のイエスが織り上げていた「神の国」についてのイメージ・ネットワークが,原始エルサレム教会の復活信仰によって補正された上で,継承されていることが証明される.同時に,ヤコブが時の大祭司によって「律法を犯したかどで」処刑されたというユダヤ人歴史家ヨセフスの証言から,ヤコ ブがモーセ律法の中の「供儀」条項を拒否していたと推定される(仮説1).第IV節では,AD 70年のローマ軍によるエルサレム神殿の陥落直前に,原始エルサレム教会がヨルダン川東岸のペラ(Pella)へ脱出したこと,その根拠となったのがキリストによる「天啓」あるいは「命令」であったという証言が取り上げられる.その証言はヘゲシッポス,エウセビオス,エピファニオスという教父たちの他,後二世紀のユダヤ主義キリスト教に属する外典文書『ペテロの宣教集』の中に見出される.そこでも,イエスは「人の子」とされ,二回にわたる到来が語られる.一回目は生前のイエスのことで,彼は「真の預言者」として「供儀の廃止」を予言したと言う.二回目は差し迫った再臨のことで,その時初めて「供儀の廃止」が実現されると言われる.おそらく,ローマ軍によるエルサレム陥落の直前には,生前のイエスによる神殿陥落予言(マルコ14, 58)がまたもや活性化され,それがキリストによる「天啓」あるいは「命令」と解釈されたものと推定される(仮説2).第V節では,皇帝ドミティアヌスがイエスの親族(ひ孫)を直接尋問して,その終末待望について問い質したという,またもやヘゲシッポスの報告が分析される.イエスの親族が語る「神の国」は,「人の子」イエスの再臨によって実現されるという点で,原始教会の復活信仰による補正を経ているが,生前のイエスの「神の国」のイメージ・ネットワークをよく留めている.
著者
吉川 慎平
出版者
学校法人 自由学園最高学部
雑誌
生活大学研究
巻号頁・発行日
vol.3, no.1, pp.69-80, 2017

立野川橋梁(西武鉄道呼称:大沢開渠)は,西武池袋線ひばりヶ丘~東久留米駅間(所在地:東京都東久留米市)に位置する,径間数メートル程の複線の小橋梁(溝橋)である.この立野川橋梁の下部工は上下線で異なり,上り線はコンクリート橋台であるのに対し,下り線はレンガ積み橋台となっていることが大きな特徴である.同路線におけるレンガ積み橋台は,旧・入間川橋梁(現存)や旧・山手跨線橋(撤去)にも見られ,これらは共に,西武鉄道池袋線の前身である武蔵野鉄道武蔵野線が開業した1915(大正4)年当時に建設されたとする文献の存在から,立野川橋梁も同時期のものと推定される.また,上り線コンクリート橋台は,当該区間が複線化された1953(昭和28)年当時に建設されたものと考えられる.即ち立野川橋梁の橋台は,大正期の武蔵野鉄道による単線での開業と,昭和期の西武鉄道による複線化という2つの歴史的要素を伺い知ることができる現役の遺構と言える.しかしながら,立野川橋梁下部工の存在実態については,現場の立地的制約からほとんど知られておらず,文化財指定等もされていないのが現状である.本稿では,立野川橋梁の現状を紹介するとともに,100年前の遺構と考えられるレンガ積み橋台に注目し,同路線の全橋梁を対象とした遺構の残存状況調査の結果から,所在地である東久留米市をはじめ,沿線地域における同橋台の歴史的価値と保存の意義について考察した.