- 著者
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大貫 隆
- 出版者
- 学校法人 自由学園最高学部
- 雑誌
- 生活大学研究
- 巻号頁・発行日
- vol.6, no.1, pp.24-43, 2021
生前のイエスによるエルサレム神殿倒壊の予言(マルコ14, 58)は,復活信仰成立後間もない原始エルサレム教会の中で再び活性化された.それは使徒言行録と全書6–7章に記されたステファノ殉教事件から読み取られるように,復活のイエスが天上から再び到来するという待望と結びついていた(第I節).その待望は満たされずに終わり,ステファノを含むギリシア語を話すユダヤ人キリスト教徒はエルサレムから離散した.しかし,アラム語を話すユダヤ人キリスト教徒は残留した.やがてペトロに代わって「義人」(主の兄弟)ヤコブが指導権を掌握した.以後その系譜に連なりながら後二世紀までさまざまな分派として存続したパレスチナのユダヤ人キリスト教のことを「ユダヤ主義キリスト教」と呼ぶ.第II節で取り上げる『ヘブル人福音書』の断片は,ユダヤ主義キリスト教のキリスト論が初期の「人の子」キリスト論であったことを推測させる.それは義人ヤコブに顕現する復活のイエスを「人の子」と明示している.第III節では,義人ヤコブの最期に関するヘゲシッポスの報告から,ヤコブとその仲間が「人の子」イエスの再臨を待望していたことが論証される.そこでは,生前のイエスが織り上げていた「神の国」についてのイメージ・ネットワークが,原始エルサレム教会の復活信仰によって補正された上で,継承されていることが証明される.同時に,ヤコブが時の大祭司によって「律法を犯したかどで」処刑されたというユダヤ人歴史家ヨセフスの証言から,ヤコブがモーセ律法の中の「供儀」条項を拒否していたと推定される(仮説1).第IV節では,AD 70年のローマ軍によるエルサレム神殿の陥落直前に,原始エルサレム教会がヨルダン川東岸のペラ(Pella)へ脱出したこと,その根拠となったのがキリストによる「天啓」あるいは「命令」であったという証言が取り上げられる.その証言はヘゲシッポス,エウセビオス,エピファニオスという教父たちの他,後二世紀のユダヤ主義キリスト教に属する外典文書『ペテロの宣教集』の中に見出される.そこでも,イエスは「人の子」とされ,二回にわたる到来が語られる.一回目は生前のイエスのことで,彼は「真の預言者」として「供儀の廃止」を予言したと言う.二回目は差し迫った再臨のことで,その時初めて「供儀の廃止」が実現されると言われる.おそらく,ローマ軍によるエルサレム陥落の直前には,生前のイエスによる神殿陥落予言(マルコ14, 58)がまたもや活性化され,それがキリストによる「天啓」あるいは「命令」と解釈されたものと推定される(仮説2).第V節では,皇帝ドミティアヌスがイエスの親族(ひ孫)を直接尋問して,その終末待望について問い質したという,またもやヘゲシッポスの報告が分析される.イエスの親族が語る「神の国」は,「人の子」イエスの再臨によって実現されるという点で,原始教会の復活信仰による補正を経ているが,生前のイエスの「神の国」のイメージ・ネットワークをよく留めている.