著者
今岡 典和
出版者
関西福祉大学社会福祉学部研究会
雑誌
関西福祉大学社会福祉学部研究紀要 (ISSN:1883566X)
巻号頁・発行日
no.12, pp.55-60, 2009-03

戦国期の地域権力の性格の捉え方には様々な見解があるが,近年は特に「戦国大名」の概念を求める立場と,守護の概念を重視する立場が並存している.本稿では,戦国期の地域権力における守護職・守護権の意義を重視する立場から,その意義について改めて論じ,さらに具体例として越前朝倉氏を取り上げ,朝倉氏における守護職・守護権の意義について検討した.朝倉氏は,応仁の乱の時に越前守護代となり,長享・延徳の相論で斯波氏との間で越前の支配権と自らの家格をめぐって争い,その後守護家として幕府から認定されるにいたる.戦国期においては,守護権(国成敗権)は守護家という家によって体現されるのが大きな傾向であり,朝倉氏も守護家として認定されることと越前の支配権は深く結びついていた.そこに,戦国期の地域権力の中でも守護家を独自の存在として捉える意義が存するであろう.
著者
今岡 典和
出版者
関西福祉大学社会福祉学部研究会
雑誌
関西福祉大学社会福祉学部研究紀要 = The journal of the Department of Social Welfare, Kansai University of Social Welfare (ISSN:1883566X)
巻号頁・発行日
no.12, pp.55-60, 2009-03

戦国期の地域権力の性格の捉え方には様々な見解があるが,近年は特に「戦国大名」の概念を求める立場と,守護の概念を重視する立場が並存している.本稿では,戦国期の地域権力における守護職・守護権の意義を重視する立場から,その意義について改めて論じ,さらに具体例として越前朝倉氏を取り上げ,朝倉氏における守護職・守護権の意義について検討した.朝倉氏は,応仁の乱の時に越前守護代となり,長享・延徳の相論で斯波氏との間で越前の支配権と自らの家格をめぐって争い,その後守護家として幕府から認定されるにいたる.戦国期においては,守護権(国成敗権)は守護家という家によって体現されるのが大きな傾向であり,朝倉氏も守護家として認定されることと越前の支配権は深く結びついていた.そこに,戦国期の地域権力の中でも守護家を独自の存在として捉える意義が存するであろう.
著者
今岡 典和
出版者
史学研究会 (京都大学文学部内)
雑誌
史林 (ISSN:03869369)
巻号頁・発行日
vol.66, no.4, pp.p455-481, 1983-07

個人情報保護のため削除部分あり出雲尼子氏の戦国大名としての権力の形成については、従来幕府―守護体制に対する反逆的性格が強調される事が多かったが、室町期の出雲守護京極氏との関係に注目すれば、京極氏との連続面が目立ち、尼子氏の守護としての性格が明らかとなる。京極氏の出雲領国支配は、自立性の強い国人・寺社等の伝統的在地勢力によって大きな制約をうけていた。これに対して尼子氏は、京極氏一族の守護権限代行者として近江から出雲に入り、経久の代に京極氏の家督と守護権を継承し、更にそれを幕府によって認定されている。尼子氏は戦国期における幕府―守護体制の一環に加わる事により、早期に一国支配を実現し得たのである。その事は、家臣団の構造においても伝統的国人層を中心とする出雲州衆と尼子氏の権力機構を構成する富田衆の二重構造として表われており、それは同時に尼子氏権力の本質な問題点ともなっていたのである。It has been emphasized that, as to the power of the Amagos, Sengokudaimyo 戦国大名 in Izumo, it was established against the bakuhu-幕府-shugo 守護 system. But when we pay more attention to the Amagos' relationship to the Kyogokus 京極氏, shugo in Izumo-no-kuni 出雲国 in the Muromachi 室町 period, we can find that there is a considerable continuance between the two. Therefore we may regard the Amagos as shugo. Concerning to the rule by the Kyogokus over Izumo-no-kuni, it was restricted by highly independent, traditional local powers, such as kokujins 国人, temples, shrines and so on. Against these powers, the Amagos came to Izumo from Ohmi 近江 for the purpose of acting for the Kyogokus. In the days of Tsunehisa 経久, the Amagos inherited the estates and the rights of shugo, and then was authorized by the bakuhu. Thus the Amagos was able to rule out Izumo-no-kuni as a whole by taking part in the bakuhu-shugo system earlier than the other Sengoku-daimyos. But the Amagos' power was established after such process that it was sustained by a vassal of duality, consisting of two groups : one, Izumoshu-shus 出雲州衆 who largely came from traditional kokujin class, and the other Toda-shus 富田衆 who administered political affairs. This duality remained a great problem for the Amagos.
著者
今岡 典和
出版者
史学研究会
雑誌
史林 (ISSN:03869369)
巻号頁・発行日
vol.66, no.4, pp.p455-481, 1983-07